『三田評論』2013年4月号
「東横線と慶應」特集に収録された座談会では、東急が目下、東京・渋谷で推し進めているプロジェクトについてもとりあげられている。そのなかで東急は、いったんは失われたものも復活させようとしている。かつて文部省唱歌「春の小川」に歌われながら、現在は護岸に囲まれ水質もよくない渋谷川を、上流からもう少し濾過した下水を流すなどして水量を増やし、親水公園のようにしようという計画がそれにあたる。

写真拡大

去る3月16日に、東急東横線がみなとみらい線・東京メトロ副都心線・西武池袋線・東武東上線とのあいだで相互直通運転を開始し、同時に東横線のターミナルである渋谷駅が地下化されてから一カ月が経った。

東急東横線は渋谷と横浜とを結ぶ、東京急行電鉄の主要路線だ。沿線の日吉(横浜市港北区)には、慶應義塾大学の日吉キャンパスや慶應義塾高校がある。その発端は、昭和初年に、東急の前身である東京横浜電鉄が慶應義塾に対して、日吉台の7万2千坪あまりの土地を無償提供すると申し出たことにさかのぼる。通学客をあてこんだものとはいえ無償とは、電鉄側にはよっぽど勝算があったのだろう。

かように東急、とりわけ東横線と慶應の関係は深い。慶應義塾の機関誌『三田評論』の4月号は、今回の東横線と他社路線との直通運転開始を受けて「東横線と慶應」という特集を組んだ。その冒頭には「思い出は東横線とともに」と題する座談会を収録、泉麻人(コラムニスト)・岡田一弥(不動産経営者)・牛島利明(慶大商学部教授)と3人の慶大OBに、東急から都市開発事業本部の東浦亮典を交えて、東横線沿線の過去から将来に向けたビジョンにいたるまでが語られている。

私鉄にはそれぞれ沿線のカラーが存在したりするが、なかでも東横線は代官山、自由が丘、田園調布などの高級住宅地を擁することもあり、そのブランドイメージは全国随一といえる。

出席者のうち泉麻人は、慶應義塾の中等部から高校に進学してから東急東横線を利用するようになった。西武線沿線で育った彼は、東横線沿線にある「サンジェルマン」(1970年に開店した渋谷店をはじめ、東横線の主要な駅付近にはほぼ店舗が存在する)というパン屋にカルチャーショックを受けたと語る。

《クロワッサンとかフランスパンが店頭にある風景というのは、これは違うなというものを感じましたね。(中略)高校の頃でしたか、サントリーワインかなんかのCMで、フランスパンを買って、週末はワインをみたいなライフスタイルが作られていく。その代表的な店の一つですね》

高校時代の泉の話では、もう時効だろうからと明かしたエピソードも面白い。当時(1970年代)のアイドルであるキャンディーズや中野良子のポスターをよく電車から失敬したというのだ。とくに電車が渋谷駅に入り、乗客が全部降りたときがねらい目だったとか。それも相互直通開始によってできなくなる……って、よいこはマネしちゃダメ、絶対!

今回の相互直通の開始前後から、渋谷の街も大きく変わりつつある。昨年には渋谷駅東口の旧東急文化会館跡地に、新たな複合商業施設である渋谷ヒカリエがオープンした。

渋谷の街は地形の高低差が大きいことから、ヒカリエには、人々が上下に容易に移動ができるよう、エスカレーターやエレベーターを集積した「アーバン・コア」という円形の空間が設けられている。このアーバン・コアを結節点として、地下と地上、駅と街、さらに将来的にはほかのビルとも空中回廊のように結びつけるという構想のもと現在、都市計画が進められているという。

渋谷の街にはあちこちに坂や階段が存在する。いままで渋谷に来る人々は、起伏の多さを体感しながら街を歩いていたわけだ。だが、そうした感覚も、空中回廊によって大きく変わらざるをえないのではないかと東急の東浦が予想しているのが興味深い。

座談会では、直通運転により東横線沿線のイメージやブランドが変わってしまわないか、出席者たちから懸念の声もあがっている。自由が丘で不動産会社を経営する岡田一弥は、再開発著しい渋谷や横浜のほか線路で一本につながった新宿や池袋にも対抗できるよう、東急とも協力しながら、《それぞれの駅周辺ならではの魅力とか、その駅ならではの味付けをもっと考えなくては思うんです》と語る。岡田はこれまでにもスイーツのテーマパークである「自由が丘スイーツフォレスト」のオーナーを務めるなど、自由が丘という街の個性を引き出すべく尽力してきた。

ただ、そんな東横線沿線のブランドイメージに太刀打ちできる路線はちょっとほかにないのではないかという気もする。むしろ戦々恐々としているのは、西武や東武など乗り入れ相手の沿線かもしれない。

東横線が全線開通したのは1932年、慶應の日吉キャンパスの開校はその2年後のこと。完成したばかりで、沿線も開発途上にあった東横線のイメージを、慶應ブランドが高めた部分もけっして小さくなかったはずだ。今回の東武東上線との相互乗り入れで、日吉と慶應義塾志木高校のある志木が1本でつながった。2019年には相鉄の乗り入れにより、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)のほうまで行けるようになる予定だという。この乗り入れの前提となる相鉄の路線延伸に関しては、地元自治体(神奈川県と藤沢市)と相鉄に慶應義塾が加わり検討が進められている(同特集収録の西山敏樹「慶應義塾キャンパス周辺鉄道網の変遷」を参照)。《慶應をネットワークするための線路を東急さんが敷設しているんじゃないかと(笑)》という座談会での岡田の発言もあながち冗談ではなさそうだ。

「東横線と慶應」特集では、前出の座談会のほか、慶應出身者たちがおのおの自分と東横線との思い出を寄稿している。なかには鉄道史的にも興味深い話も少なくない。たとえば大野義夫(慶大名誉教授、元慶應義塾高校校長)の寄稿「普通部に通った頃」では、東横線ではかなり早い時期から、録音テープでの車内放送が行なわれていたほか、ラジオのニュース解説番組を車内で放送するという試みも行なわれていたという。これなど、いま都市部の鉄道の車内で見られるデジタルサイネージによる情報提供の原型ともいえるかもしれない。

あるいは、代官山のヒルサイドテラスのオーナー家である朝倉健吾の寄稿「代官山考」では、いまから30年近く前に、代官山駅の場所変更をめぐって東急と地元住民とのあいだに起こった騒動についても記されている。「代官山駅がなくなってしまうかもしれない」との噂まで立ったこの騒ぎでは、それまで傍観者だった住民らが立ち上がり、いったんは渋谷寄りに移った駅をもとの場所に戻すことに成功した。このことが、現在にまでいたる代官山の地域コミュニティが萌芽するきっかけにもなっているという。

『三田評論』4月号では特集だけでなく、新作『東京プリズン』が話題の作家・赤坂真理がインタビューで「自分の文体のルーツは、光GENJIと宮崎駿」と語っていたり、「三人閑談」という恒例企画では「われらの「ラーメン二郎」」と題して、ラーメン二郎目黒店店長の若林克哉・食評論家の横川潤・慶大法学部教授の池田真朗による座談会が組まれていたり、はたまた「社中交歓」のページでは、テレビアニメ「ドラえもん」でかつて出木杉君役を務めた声優の白土澄子が寄稿していたりと、じつに読みでがある。しかし、ここに名前をあげた人たちが全員慶大卒の「塾員」だというのも何だかすごい話だが。(近藤正高)

※『三田評論』の注文方法など詳細は公式サイトを参照。