中日ドラゴンズ山本昌が、9日に行われた対東京ヤクルトスワローズ戦に先発登板し、6回1安打無失点。自身が持つプロ野球最年長先発登板セリーグ最年長登板最年長勝利記録を、47歳7カ月に更新した。
 プロ野球選手の選手寿命は平均で9年間と言われているが、山本は1983年に入団し、今年は30年目。今もなお第一線に立ち続ける姿勢には、ただただ脱帽だ。

 日米の最高齢登板記録は、わが国が阪急ブレーブス(現在のオリックスバファローズ)の浜崎真二で、米メジャーリーグがカンザスシティ・アスレチックス(オークランド・アスレチックス)のサチェル・ペイジだ。浜崎は1950年に48歳10カ月、ペイジは1965年に59歳でマウンドに上がった。
 浜崎は当時、ブレーブスの監督を兼任。記録となった試合は消化試合の余興だったが、その半年前には48歳4カ月でのプロ野球史上最年長勝利をマークしている。
 ペイジは1965年、アスレチックスと1試合だけの契約を結び、登板。先発投手として3回を投げ無失点で勝敗はつかなかったが、実はこのとき、すでに60歳以上だったのではとも言われている。

 そんな両者だが、プロでのキャリアのスタートは遅い。浜崎は1947年に45歳でブレーブスに、ペイジは1948年に42歳クリーブランド・インディアンスに入団した。

 ペイジの入団が遅れたのは、人種差別のため。メジャーリーグには1947年にロサンゼルス・ドジャースジャッキー・ロビンソンと契約するまで、黒人選手を排除するカラー・ラインがあり、ペイジをはじめとする黒人選手は、黒人選手だけのプロ野球リーグ、二グロ・リーグでプレーしていた。
 ただ、このニグロ・リーグは非常にレベルが高く、1900〜1950年に行われた対白人選手とのリーグ戦では、436試合268勝している。
 ニグロ・リーグ、メジャーリーグの覇者が戦うワールド・シリーズも行われたが、ニグロ・リーグのあまりの強さに、メジャーリーグのコミッショナーが横槍を入れたとも言われている。

 そのニグロ・リーグでペイジは、2,500試合以上に登板し、2,000勝以上を挙げ、完封勝利350試合以上、ノーヒット・ノーラン55試合以上も記録したとされている。
 にわかに信じがたい記録だが、後にニューヨーク・ヤンキース56試合連続安打を達成したジョー・ディマジオはマイナーリーグ時代、ペイジから内野安打を放ったことでメジャーに昇格したと言われている。それぐらい、ペイジの球を打つのは、至難の業だった。

 浜崎は、旧制の慶応義塾大学大連満鉄倶楽部満洲映画協会でプレー。1931年、1934年に行われた日米野球では、ディマジオ、ベーブ・ルースらメジャーリーグ選抜チーム相手に好投している。読売ジャイアンツの母体となる東京巨人軍から入団を勧められたが、日本代表チームが全敗したことで、契約を辞退している。
 太平洋戦争勃発直前の1941年に行われた明治神宮野球大会には、監督兼投手として出場。2試合連続での完封で、「41歳のエース」と讃えられた。

 入団が遅かったため、両者の選手としてのキャリアは短い。浜崎は3年間、ペイジは1965年にアスレチックスと1試合だけ契約したが、実働は5年間だ。

 それでも浜崎の言葉が印象的だ。1950年、48歳4カ月の日本プロ野球史上最年長勝利を記録した際、「若い投手には任せてられない」とマウンドに上がった。

 今年プロ30年目の山本も、まだまだ若手には負けられない。