執筆者:菅 正至 (すが・まさし)

 経営は科学であり、知的な業務であると思われている。しかし、現実の経営は「理屈」という“建前”と「感情」という“本音”で成り立っているのが普通であろう。

 これまで、いろんな会社を診てきたが、論理という「理屈」だけで経営が行われている会社はひとつもない。常に「感情」で、“認識”と“選択”をするという意思決定をするところがほとんどである。したがって、会社を動かす原動力のひとつは「感情」であるというのは間違いのないところであろう。

 そこで感情を動かすものはなにかについて考えてみたい。当然のことであるが感情と論理はまったく別の次元のものである。論理は知的な作業であるが、感情はむしろ“愚かさ”によって動かされることも多い。

 “愛”と“愚かさ”が同義語であることを考えると納得のいくところであろう。本当に経営が論理という「理屈」で成り立つなら、もっともアタマの良い人材がビジネスで成功するはずである。現実にはそうではないということに異論を唱えるひとはいない。

 私はここで、「感情」で意思決定をやりましょうと提唱しているのではない。会社が「感情」で動いているという事実認識をしたうえで、どうしたら合理的な経営ができるのかを考えましょうと提唱しているのだ。

 感情という言葉自体が、非論理的、非合理的というニュアンスがある。しかし、感情を科学することは人間の組織において排除できない要素なのである。所詮、世の中のメカニズムは、“好き”と“嫌い”のパーセプションからなる二元論のゲームなのだ。

 そうはいっても感情だけでものごとを成功させるわけにはいかない。論理も一方では必要な条件だ。論理の伴わない経営など混沌の極みでしかない。問題なのは、論理と感情はトレードオフの関係であることが多いからだ。

 多くの経営者は、ある特定の課題解決に「情」をとるか「理」をとるかに迷うことになる。両方とも相容れない要素であるから、同時に満たすことはできない。どちらをとっても100点であるというわけではないのだ。

 そうしたときに、わたしはこう考える。すなわち、経営における「合理性」とは、論理による合理性とはまったく違うものである。経営における合理性とは、“論理”と“感情”を混在させたもっとも最適な状態と定義したい。そのように割り切れないから、経営者は悩むのである。要は定義と割り切りの問題なのだ。また、大事は理をもって、小事は情を持ってという考えの経営者もいる。これも、それなりに合理性のある考え方であろう。

 感情という要素の重要性を述べたが、経営者は“自分の感情”と“他者の感情”を客観的な醒めた目でみる資質が必要である。感情で動くのは組織であって、経営者であってはならない。経営者は常に感情の力学を応用して、組織を動かしてゆかねばならないからである。自らが感情で動いていては、組織を動かすことはできない。ちょうどテコの視点がぶれるようなものだからである。

 感情の力学は、どのような高度な科学も分析できない、人間のもっとも知的な学問であるとわたしは思っている。

執筆者プロフィール

菅 正至 (すが・まさし)
すが事務所 代表
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主に国内の中堅企業に対して、人事労務関係のコンサルティングを行っています。特にリストラ関係、人事制度設計、組織変革マネジメントに強みを持ち、多くの企業でプロジェクトを成功に導いています。個人事務所なので日本一敷居の低い経営コンサルタントを目指しております。
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