震災から2年たち、前に進み始めた佐々木親子。自然な笑顔も出るようになってきた

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宮城県・気仙沼(けせんぬま)で活動するアイドルグループ、SCK GIRLS。その最年少メンバーの佐々木莉佳子(りかこ)ちゃんも、親子で東日本大震災を被災した。あれから2年、佐々木親子はどのように前に進んできたのか。写真とともにこの2年を振り返る。

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2011年3月11日、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市。その町で生活する少女がいる。名前は佐々木莉佳子。震災当時は9歳だった。

「地震が起きたときは、6時間目の算数の授業中でした。最初は“グラグラ”だったのが、どんどん体験したことのない揺れがきたんです」

その頃、気仙沼漁港で仲買・販売をする父・利重(とししげ)さんはものすごい揺れに「これはヤバい」と車に飛び乗り、莉佳子ちゃんを迎えに向かったという。

「道路はすでに大渋滞でまったく車が動かない。すぐに車を乗り捨てて学校まで走りました。学校に着くと泣きじゃくる娘の手を取り、高台に走ったんです」

莉佳子ちゃんは走っている最中、自宅のほうを見ると町中に大量の木くずが舞い上がっているのが見えたという。

「その木くずがどんどんこっちに近づいてくるんです。それが怖くて……とにかく人生で一番の速さで走りました」(莉佳子ちゃん)

その後、襲ってきた津波は彼女が10年間生まれ育った自宅兼水産会社の工場を流してしまった。家族全員無事だったが自宅をなくした佐々木家。すぐに避難所生活が始まったが、毎日続く余震に莉佳子ちゃんはほとんど眠れなくなっていた。



「眠れないし、ご飯も食べられなくて……。ずっと布団に潜っていました」(莉佳子ちゃん)

「ふさぎ込むようになり、幼児のように甘えるようになって……なんとかしたい。そう思っていたときに、地元で活動を始めるというアイドルグループ、SCK45の話を聞いたんです」(利重さん)

利重さんは震災前の娘の笑顔に戻ってほしい。それだけを願って娘に内緒でメンバーオーディションに応募した。

「私、小さい頃から歌って踊るのが大好きだったんです。だからお父さんに言われたときはすごくうれしかった」(莉佳子ちゃん)

しかし、グループが活動を始めると「災害に便乗している」「こういうので同情を買うのはおかしい」など、ネット上やライブ会場では非難の声が上がったという。「いろいろ言われたけど、私は町の人が元気を取り戻すまで歌い続けたい気持ちのほうが強かったですから」(莉佳子ちゃん)

2012年4月1日、SCK45は「SCK GIRLS」に改名。気仙沼だけでなく、一関(いちのせき)や仙台の各市、東京などのイベントからも声がかかり始めた。莉佳子ちゃんも毎週のように大好きな歌を歌い踊ることで、少しずつ笑顔が戻っていった。



一方で両親もそんな娘の姿を見て奮起。誰よりも先に元の場所に工場を再建しようと動き始めた。

「国からの“かさ上げ”を待っていたらいつまでも前に進みません。気仙沼が元気になるために、誰かが動き出さないとダメだと思うんです。思い出は流されてしまいましたけど、私たちには未来がありますから」(利重さん)

そして2年がたった。佐々木家は着実に前へ向かっている。

「今年の6月から本格的に仕事を再開し、私の会社の魚を待っている方々に届けます。それを食べた方から『やっぱり気仙沼の魚はおいしい』という声を聞きたいんです」(利重さん)

「直接は恥ずかしくてお父さんには言っていないけど、あのとき学校に迎えに来てくれてうれしかった。これからは夢である宇宙一のアイドルに向かってもっともっと努力するから。あと将来、サンダーバードが大好きなお父さんにサンダーバード2号の基地を作ってあげるからね」

莉佳子ちゃんはこう話すと、無邪気に笑った。

(取材・文/林 将勝 撮影/佐藤佑一 協力/気仙沼 街の情報誌『浜らいん』)

●佐々木莉佳子(ささき・りかこ)

2001年5月28日生まれ 宮城県出身身長=148cm 血液型=A型 特技=ダンス・徒競走 宮城県気仙沼市から発信する産地(S)直送(C)気仙沼(K)アイドルプロジェクト「SCK GIRLS」のメンバー。SCK GIRLSの最新情報はHP【http://simcitykesennuma.sakura.ne.jp/sck45/】、莉佳子ちゃんの最新情報は公式ブログ【http://ameblo.jp/sck-rikako】まで