桜宮高校バスケット部体罰自殺事件の後、桑田真澄の発言が大きな反響を呼んでいる。
一昨日は、大阪市教育委員会が桑田を招いて研修会を行った。

講演後の会見で「スポーツマンシップとはどうあるべきかを話した」と説明。体罰について「ダメなものはダメで、論理なんていらない」と力説した。

桑田がこの一件で注目されたのは、朝日新聞のインタビューに応えて以来だろう。

プロ野球選手と東京六大学の野球部員の83%が、体罰を肯定していることを問題視し、「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きる体罰はひきょうで、指導者が怠けている証拠だと説いた。また旧弊な指導法についても触れ、スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると指摘した。
早くから野球少年として注目されていた桑田は、小学校、中学校では体罰を受けていたが、PL学園高校では、体罰を否定する中村順司監督の指導を受けた。

そして「一番力が伸びたのは、高校時代だ」と述懐している。

誠に説得力がある。NPBで173勝を挙げMLBにも挑戦し、A-RODやジーターとも対戦した一流の投手が、日本の旧弊な野球指導を鋭く批判したのだ。
部外者や選手として一流になれなかった人が話すのとは、重みが違う。その上に桑田は論理的で、冷静で、分かりやすい。

体罰、そして日本女子柔道の代表監督辞任と問題が続いて以降、多くのスポーツ関係者がコメントを発している。しかし、それらは及び腰での発言が多かった。
谷亮子、山下泰裕(気が付けば、東海大の副学長である!)など柔道関係者は、「事実とすれば、問題だ」的な発言をした。
「事実とすれば」というコメントは、「自分は知らない」というニュアンスで発せられる。また「(体罰を振るった)当事者を非難していない」ことにもなる。

谷亮子は、「私は体罰を受けたことがない」といった。確かに天才少女選手だった旧姓田村亮子に手を上げる指導者はいなかったと思える。しかし彼女とて、ときには手が飛ぶような柔道界の指導は見聞きしてきたはずである。本当に改革を望んでいるなら、柔道界の悪しき体質に言及すべきところだ。
谷亮子の発言は、まさに“政治家的”であり、体制擁護派としてのものだった。

桑田はそうする必要もないのに、自分が育ってきたスポーツ界の問題点に一歩踏み込んで発言をした。そこが大きな反響を呼んだのだ。

この問題は「体罰」という行為に本質があるのではない。体罰を生むような「体質」に問題があるのだ。
指導者が生徒を支配し、自主性の芽を摘み、あたかも軍隊のように頤使する中で暴力は生まれる。女子柔道の監督は暴力だけでなく、パワハラでも告発されていた。パワハラとは直接手を振り上げるのではなく、言葉や態度で選手を追い詰めることである。
桜宮高校の事件も体罰とともにパワハラもあったのは間違いがない。
「体罰」のような目に見える行動は防ぐことはできても、パワハラを防ぐのは難しい。「体罰」を禁止するだけでは、体育会系の陰湿な選手支配は、伏流水のように流れつづけ、世間が忘れた頃には、「体罰」は復活するのだ。

桑田も言及している通り「進歩していない指導者」の体質を改善しなければ、問題の本質的な解決にはならないのだ。

ただ、桑田がこうして積極的な発言をするのを目にするたびに、世間は釈然としないものを感じているだろう。
桑田、清原が卒業したPL学園は、二人の卒業後、野球部員の死亡事故を起こしている。明るみには出なかったが、先輩部員の「いじめ」だったとされている。
また、桑田自身も現役選手時代に、マスコミの強引な取材に対して他の選手(岡崎郁、山本雅夫)とともに暴力事件を起こしている。
桑田自身、旧弊で強権的な体育会系の指導のなかで育ってきたのは間違いがない。また、暴力を振るった過去も持っている。

私はだから桑田には「語る資格がない」といいたいのではない。むしろ「語るべき」だと思う。しかし、そのためにはPL学園も含めたアマチュア球界の「体質」について、知っていることをすべて語らなければならない。また若い日に暴力を振るった人間が「体罰絶対否定」に変化した経緯も語るべきだ。

何といっても桑田は競争の「勝者」なのだ。その点では谷亮子、山下泰裕と同じである。
自らの内なる「旧弊な体質」について語らない限り「きれいごと」の誹りはまぬかれないだろう。

桑田真澄が過去を「超克」するときに、スポーツ界の真のオピニオンリーダーが誕生するのだと思う。