ヤン・イクチュン監督。オーディトリウム渋谷のカフェでお話を聞く

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監督デビュー作『息もできない』(08)でいきなり世界中から注目され、多くの映画賞も受賞したヤン・イクチュン。元々は俳優で、『息もできない』でも主演もしている彼は、日本でも『夢売るふたり』『かぞくのくに』などに出演、5月公開の宮藤官九郎監督作『中学生円山』の出演も控えている。
痛烈に他者を求める気持ちを描いた『息もできない』に心をわしづかみにされた、たくさんの人たちから次回作が待ち望まれているヤン監督が、日本で日本人俳優を起用して撮った短編映画『しば田とながお』がオーディトリウム渋谷で公開中だ。
今度の映画は、心に傷を追った女・しば田と、彼女を見つめる男・ながおのもどかしい関係性が、またもや心をキュッと締め付ける。
しば田とながおの間には何があるの? ながおはしば田の傷を癒すことができるのか? 最後まで目が離せない。
来日中のヤン監督に、映画の裏話と気になる次回作のことなど、いろいろ聞いてみた(ややネタばれもありますので、ご注意ください!)

ーー『しば田とながお』にすごく引き込まれました。
「ホントに?(笑)」
ーー『しば田とながお』の中には、監督の個人的な記憶や感情は入っていますか? 入ってるとしたらどこに顕著ですか?
「たぶん入っています。恋愛感とか、好きだっていう気持ちがあるのに素直になれないところなどですね。自分の相手に対する好きだっていう感情はわかっていても、相手の感情はわからないから、片思いが多かったんですね。今回の作品だけでなく、『息もできない』などもそうで、男が自分の感情を素直に表現できないことに苦しんでいることが多いんです。『しば田とながお』のながおもそうで、気持ちも態度も
受け身です」
ーーしば田が、黙って見つめているながおによく皮肉なことを言います。途中、しば田がいろんな顔になる場面があります。あれはどうやって思いついたのですか?
「ハハハ。もうふっとただ思いついたんですね。頭の中で考えたんじゃなく感覚的に思い浮かんだ」
ーー脚本にはなかったんですか?
「いや、脚本には書いてあります。日常での会話や、個人的な日記を書くときに、論理的に説明しきれない、曖昧でファンタジー的な要素が入ってしまうことがあるものですが、それと近いと思います。しば田の顔が変わることは男の主人公が求めていることかもしれません。想像でしかありませんが、女の子はたぶん、今つきあってる人がどういう人が好きなのかなって頭の中で考えることがあるんじゃないかと思うんです。女優だったらこういうタイプの顔が好きかな?とか。そういう頭の中で考えていることをそのまま画にしてみました。このように『しば田とながお』は、主人公の内面に向かっていて、言葉で説明することが難しい映画になりました(笑)」
ーーそこがおもしろいです。自分の記憶が呼び起こされたりします。
「感情が浮かんだときに、これを相手にどう説明するだろうと悩むじゃないですか。その悩みのポイントが描かれていると思います」
ーー『息もできない』の男女は、キスもしない手もつながない純愛でしたが、『しば田とながお』にはキスシーンがあります。キスシーンを撮る難しさや面白さを教えてください。
「覚えてません(笑)」
ーー思い出してください(笑)。
「キスシーンをいきなりやったわけじゃなく、スタッフと役者も作品世界にのめりこんだ上でやったので、みんなの中でちゃんとした共感が生まれたと思うんです。だから自然にうまくいきました。ただ、ロケ場所の問題があって。ほとんどゲリラ撮影だったため、途中、警察に止められてしまうなど、いろいろあったんです。そういう中での撮影は大変といえば大変ですよね。あと、すごくアップで撮ったから、俳優は不思議な感情を呼び起こしたかもしれません(笑)」
ーーそういうドキドキも俳優の表情に出ているのかもしれませんね。
「キスシーンは、される立場よりする立場が重要で、ながおのぎこちなさやドキドキ感の芝居が良かったと思います。ながおさんってハリウッドのエイドリアン・ブロディ(『戦場のピアニスト』『ミッドナイト・イン・パリ』などに出演)に似てるんですよね。鼻が高くて、背も高い(笑)」
ーー俳優のヤン・イクチュンさんとしてはキスシーンと喧嘩シーン(『息もできない』は暴力シーンがたくさん)どちらが難しいですか?
「やりたいのはやっぱりキスシーンなんですけど(笑)。自分もしば田とながおみたいに感情をうまく表現できないので、喧嘩シーンのほうがやりやすいんです(笑)」
ーー今までキスシーンは?
「やったことあんまりない。覚えてないくらいやってないかもしれません。次の映画では全身でキスするシーンをやりたいです(笑)」
ーー日本の俳優の表現は、監督に何をもたらしたでしょうか?
「韓国の俳優と比べると、日本の俳優の感情表現は自然過ぎて、少々物足りないところがありますね。システム化された社会に人間が慣れると、原始的な面がどんどんなくなってしまうのかなという気がします。僕にはそれがあまりおもしろくありません。『しば田とながお』は、シネマ☆インパクトというワークショップから生まれた映画です。映画を撮る前に、受講生と、その場で即興的に感情表現する授業もやりましたが、皆、自分の中に溜まっているモヤモヤやイライラを吐き出すことに抵抗があったようです。日本や韓国に限らず、世界中の誰もがストレスを大なり小なり抱えていると思いますが、日本人はそのストレスを外に出さず、心のうちに抑えているような印象があります。それで、ワークショップでは閉じ込められた感情をオープンにすることを行いました。ワークショップをはじめる時、自分の怒りを外に出せない人はいますか?と聞いたら、4、50人くらいいた受講生の中で10人以上が手を挙げて、これは大変だと思いました。韓国では怒りを露わにできないと病気になると言われているんです。“怒り病”っていう」
ーーええ!そうなんですか。
「そういう病気は、怒りによって病気になるのではなくて、怒りをがまんすることでなるんですね。怒りやストレスはむしろ外に出すことで、問題があることが明確になるので、そこから直していくことになるんです。我慢するともっとおそろしい問題につながってしまうと思うので、感情は外に出していったほうがいいんじゃないでしょうか。相手を傷つけたり、問題を起こす以外はなるべく。哀しみや苦しみなど、いろいろな感情を経験することによって、前向きで幸せな感情も表現できると思うんです。幸せのまわりには必ず悲しみや絶望もあるものです。絶望感や哀しみを経るからこそ、幸せな感情も得られるのではないでしょうか」

『息もできない』をはじめ韓国映画では激しく感情をぶつけ合う場面が多いのは、心の平穏を考えてのことらしい。それに比べて日本の表現は抑制的。『しば田とながお』に出演した俳優たちはヤン・イクチュン演出で新しい表現を獲得したのか?
ぜひ映画をご覧いただきたい。(木俣冬)

(後編に続く)