『第三世界の長井』(小学館)は、『神聖モテモテ王国』の作者ながいけんの作品、なんだけれどもなんだこりゃ意味がわからないぞ……。そして二巻までまとめて読んだ時にわかりはじめる、ギャグの世界の裏側にある恐怖。作れば作るほど整合性が壊れる世界の、終焉の物語。

写真拡大

あのながいけん閣下の新刊『第三世界の長井』が発売されました。
「あの」です!

というのもこの作家謎が多すぎる。
1996年から『神聖モテモテ王国』(通称キムタク)というギャグ漫画を週刊少年サンデーで連載、かなり特徴的なテンションと間の作風で、非常にコア、アンドカルトな人気を博しました。
ところが2000年に、突然の休載。唐突すぎてファンの間では諸説あがりましたが、謎のままでした。
2003年に復帰して『神聖モテモテ王国』(キムタク)の集中連載をしましたが、現在も未完のままです。
その後ファンロードでしばらく長井建名義で連載していましたが2006年には終了。多くのファンがながいけんの、『神聖モテモテ王国』の復活を願いました。

そして2009年、ついにゲッサンにて『第三世界の長井』の連載が始まります。
やった!待ってました閣下!
(注:閣下というのはながいけんの自称であり、ファンからの愛称。)

ところが。
この『第三世界の長井』、ちょっと見ただけだと何が何だかさっぱりわからない。
帯には「初級者は『神聖モテモテ王国』からお読みください。『第三世界の長井』は真性です。ご注意を」との注意書きまで。
ずいぶん突き放したノリですが、まったくもってこの文章正しいとぼくも思います。

出てくるのは、普通の青年と、無口で謎めいた少女音那。ここまでは普通。
問題はここから。主人公の長井と呼ばれる青年、明らかにデッサンがおかしい。
ながいけんは非常に絵がうまい作家で、背景やモブキャラクターまで緻密に描きます。
なのに長井だけ落書きなんですよ。関節とか間違えまくってますし。
そしてもう一人登場するのが博士。
頭に長いトゲが生えた博士で、ぶっちゃけコピペキャラです。
この長井と博士が、変身したり、町中で大声で叫んだり、普通に学校に通ったり、吐血したり、敵と戦いそうになったりします。

本来ならあらすじの説明でこんな書き方すると普通はアウトなんですが、めちゃくちゃなんです。一切の整合性がない。
実際意図的に「めちゃくちゃ」という言葉で表現するしか方法がないように描かれています。
もちろん完全に何もかもを忘れて、スラップスティックに脈絡ない行動をする長井を見て笑うのもアリだと思います。
けれどもコマの間に突然「KOEI」とか出てきても、笑っていいのかどうか困るよ。
突然長井がラーメンと戦い、それを昭和極道史で例えられても、なんというかその、困る。

「笑い」って、なんらかの話のつながりやキャラクター性が面白かったり、パロディ性があったり、ボケとツッコミのリズムがあって生まれるものです。
ところが、そういうものが完全にない。
もちろんながいけんテンポは生きているのでそこは面白いのですが、笑いのつかみどころがない「めちゃくちゃ」から生まれるのは爆笑ではなく不安です。

『第三世界の長井』は1・2巻同時に発売されましたが、これはほんと正しい売り方。
なぜなら一巻だけだと本当になんだかわからないけれども、二巻まで読むと不安の正体が少し明確になるからです。
これがギャグマンガなのかどうかも、二巻まで読むと少しずつわかってきます。

この作品を理解する際、子供の頃にやった遊びを思い出すとヒントになります。
紙に「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どうした」と書いて、ごちゃまぜにして、適当にくっつけて読み上げる。
全く関係ないつながりの文章が完成して、そのめちゃくちゃさが面白いです。

長井の行動はこれと同じです。
作中に、アンカーと呼ばれる、青年や音那などの一部キャラにしか見えない文章が登場します。
いくつか抜粋してみます。

「設定77 主人公の父親はディオに間接的に殺害された(七号くん)」
「設定82 主人公の趣味は珍しいケシゴム集め(アントンシクくん)」
「設定85 主人公はくさい分泌液を全身から出して敵を追い払える(二号くん)」
「設定98 長井が失敗すると「KOEI」と出る(ダ・ガマくん)」
「設定117主人公はスーパーヒーローに改造される(二号くん)」
「設定137主人公の父親の名前は「ジャックダニエル」(日没キッドくん)」
「設定160主人公は以前泣いて馬謖をメッタ斬りにした(二号くん)」

ひどい上に多い。なんだよ馬謖をメッタ斬りって。ここまでは笑える。
ここからが作品の面白いところ。これらのアンカーはすべて長井に影響してきます。
実は長井が変な絵なのも、アンカーのせい。博士がおかしいのもアンカーのせい。
長井の父親はディオに間接的に殺害され、ケシゴムを集めて喜び、失敗すると「KOEI」のロゴが表示され、スーパーヒーローになり、父はジャックダニエルで、以前馬謖をメッタ斬りにしているんです。
アンカーが増えるほど、長井はめちゃくちゃになってしまいます。
逆にアンカーにない行動は、一切取れません。理不尽ですが取れません。
つまり、これは「創る」ことで「壊される」、「めちゃくちゃにされるため」の物語なんです。

もちろん単なるネタ並べマンガではありません。
この作品に出てくる傍観者の青年は「なんなんだこのつじつまさえ合ってない無理やりなテクストは……」と語ります。
アンカーを見ながら語り合うキャラクターが数人出てくるのですが、彼らはこのちぐはぐなアンカーを見て焦ります。
謎の少女音那も言います「彼に会うなら覚悟が居る。彼はきっとお前の想像よりもはるかに歪んでるはずだ」と。

ギャグとしてめちゃくちゃな行動をとっている長井は、アンカーによって行動を左右されている。
彼の行動は次第に現実にも及ぶようになります。
例えば長井を襲ってくる敵が爆破行動をとることがあるんですが、そうすると現実のヘリが爆破されて墜落します。
ギャグ漫画であれば笑えるシーン。
ところが今作の場合、読者には「これはギャグなのか?リアルなのか?」と半端に考える余地が残っているので、笑えない。
もしめちゃくちゃなアンカーの出来事が現実に及べば、世界はどんどん壊れていってしまいます。
最初の時点では狂っているのは長井と博士だけなのですが、次第に周囲も整合性をなくしていくのです。
その整合性がなくなった表現として、UFOなどがでてくるのはなんとも興味深い。

なので、この作品は二巻まで一気にまとめて読むことを勧めます。
一巻で「わけわかんねー」で終わるにはもったいなさすぎる。
二巻ラストでは、うるるというこの世界の仕組みを知っている少女が出てきます。
長井は「この世界の主人公」。マンガ的には当たり前ですが、作中でそう語られるとメタ的な視点が生じてきます。
「いつの時代にも世界のどこかに物語の主人公……神の祝福者がいたの。世界はその瞬間、その者のためにある、それ以外の人間は背景かせいぜい脇役でしかないのよ」

このマンガは、世界の中心、主人公である「長井」が、外部の……作者の知人や他の作家などの「アンカー」によって引っ掻き回されることで、世界が崩壊していく物語なんです。

うるるは続けて言います。
「世界はこれから長井にふさわしく際限なくくるっていくわっ。長井は空虚で無価値な世界の中心で、わけもなく一人踊る虚無の王なのよっ」
ギャグ漫画の滑稽なキャラは、そのキャラを中心に世界をかえていく虚無の王。
現実の社会も実際は「長井」にあたる「主人公」がいて、あとのぼくらは「モブ」なのではないか。
実際長井はめちゃくちゃなアンカーで狂っていくし、周囲も巻き込まれ伝染していく。
現実だって同じで、そうやって世界はすでに壊れはじめているのではないか。

長井を利用しようとするうるる、彼のことを知っていて見守りながら干渉してしまう謎の青年、それに警鐘を鳴らす音那、観察者であり管理者のキャラ達。
描かれているのは一貫して、アンカーどおりに動く長井のコメディですが、一度理解してしまうと、崩れ落ちる現実世界の比喩であることが見え隠れしてゾワリとくるものがあります。

明かされていない部分は非常に多いのですが、徐々に明かされていく様子です。
「テクスト」「ジェノテクスト」などの単語が出てきており、ポスト構造主義、テクスト理論的な内容もかなり含んでいます。表層と深層についてもかなり細かく描きこまれています。
また「敵」は実は「アンチテーゼ」であるという表現も興味深い。
サブタイトルが「フォリ・ア・ドゥ(感応精神病)」とあるのも意味深なのか、意味が無いのか?
あかん、これは『エヴァ』や『まどか』ばりに、話したがりになるマンガだ!

ギャグ漫画としてみてもよし、世界滅亡物語として読むもよし、テクスト論の漫画版として読むもよし。
結局意味なんてないんでしょう?と開き直ってもよし。狂ってる!と叫んでもよし。
とんでもない作品なんですが、とにかくハードルが高いので、最初は「なんだかわからないよ!」から入るといいと思います。
つか、『神聖モテモテ王国』(キムタク)だって初級者向けかどうか。

しかしあれですね。こうわけのわからない世界が展開しているのを客観的に見せられると、他のギャグ漫画を今後読むのが怖くなりますね。
「これちょっと人にすすめづらいなあ」と口で言いながら、ひとにすすめたくてうずうずする作品です。

あ、大事なこと忘れてました。
ながいけん閣下の描く女の子は、ちょうかわいいです。

ながいけん
『第三世界の長井 1』
『第三世界の長井 2』

(たまごまご)