「Cooking for Geeks ―料理の科学と実践レシピ」オライリージャパン

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「料理の常識」は、実はけっこう間違っていることがあります。少なくとも、つい最近までは確実にそうだったし、現在でも決して正確とは言えない常識がまかりとおってしまっています。僕も気をつけているつもりだけど、たぶんやってしまってると思います。おまけに最近では何のブームかわからないけど、イケメン男性料理家が次々に登場して、「俺のテクニック」「俺の斬新なレシピ」を披露していたり……。(イケメンじゃなく、テクもなく、斬新でもありませんが、これも似たようなことをやっちゃってます……。すみません)

「間違った常識」が広まってしまうのは、いい意味で曖昧な「家庭の味」に「のりしろ」があるからでしょうか。その「のりしろ」を自分好みの味つけに変えて、「素敵な俺レシピ」として「このレシピが、絶対うまい!」と俺LOVEな提案をしちゃったり、「これが最高!」と断言してしまう。あ、そういえば以前、OFFICE CUEの鈴井貴之さんが「断言したがる人にロクなヤツはいない」と仰っていたのを思い出しました。

主に味覚と嗅覚に由来する、料理の「うまい」「まずい」は、本来主観によってしか判断できない、とても曖昧なものです。そしてその曖昧さこそが、料理という懐の深さであり「のりしろ」のような気がします。「うちの味」「おふくろの味」などと言われるものは、その象徴でしょう。

味は主観的なものだけれど、感動する味もある。多くの主観が集まれば、その評価は客観めいたものになる。これはメディアと受信者の間でよく起きるできごとです。個人的なもののはずの「味」に「うまい」「まずい」という境界線が引かれてしまったのは、発信者側の責任でもあるはずです。

では、多くの人が感動しがちな味とは何か。自分の知っているその「常識」は人に伝えてもいいものなのか。僕にとってそんな悩みの一助になったのが、「食の科学」という分野でした。

1年ぶりにエキレビに書くというのに、やっぱり前フリが長くなりました。さて本題は、総ページ数406P、重さ837g(タニタのクッキングスケールKD-320調べ)という「Cooking for Geeks」です。

一般的な文庫がだいたい110〜150g、新書が140〜180g、四六判の書籍だと300g程度ですから、重さは倍以上。しかもソフトカバーなのに! もっとも原書をAmazon.comで見ると、2.1ポンド=953gとあるので、まだ日本語版は軽いようです。

概要はサクッと行きましょう。

第一章「ハロー、キッチン!」は本書の考え方
第二章「キッチンの初期化」は基本ツールとその使い方
第三章「入力の選択:風味
と食材」は味覚の基本メカニズム
第四章「時間と温度:料理の主要変数」は加熱の仕組みと各素材の変性
第五章「空気:焼き菓子作りの重要変数」は菓子に使う小麦粉や卵の性質
第六章「食品添加物の使い方」は調味料と添加物の仕組み
第七章「ハードウェアで遊ぶ」は真空調理や低温調理

上記の各章に、合計100以上のレシピやその筋のオーソリティのインタビューが差し込まれています。たまに専門的な用語も出てきますが、料理に興味がある人なら、一冊読みとおせば確実に料理はうまくなりそう。極端に言えば、4章と6章だけでもいいかも。や、もう4章だけのために3570円(5%の税込)を支払う価値があると言っても過言ではありません。

というのも、「料理がうまくいかない」人の多くは「加熱」でやらかしてしまいがち。味つけの濃い薄いなどは、多少失敗しても卓上の調味でなんとかなりますが、加熱し過ぎて焦がしたりすると、取り返しがつきません。よくマンガやドラマでも失敗料理の代表として、鍋を焦がしたり、オーブンから煙がもうもうと上がったりします。やはり共感を呼びやすいから、「失敗料理」の象徴として使われているのでしょう。

ではなぜそういう失敗が起きるのか。その理由は、「間違った常識」を土台にアレンジを加えてしまうから。「中華は強火で短時間」というプロ用のメソッドは、家庭のガスコンロの火力では難しかったりします。「玉ねぎはアメ色になるまで炒める」のも相当シンドイ作業です。「なぜ?」「どういう理屈?」「その効果は?」という明確な基準がわからずに、あちこちに手を加えると、失敗するリスクばかりが増えていってしまいます。

例えば、4章にあるレシピ「にんじんのソテー」のNOTE(補足)欄にはこうあります。
<鍋に食材を入れ過ぎないよう注意すること。糖分をカラメル化するにはにんじんの表面を十分な高温にする必要がある。鍋に食材を入れすぎると、蒸し野菜と同じになってしまう。>
<オリーブオイルやバターは熱の伝達を助ける。オイルがにんじんと鍋の表面の間に薄い層を作って、熱がこの非常に薄い層を通って伝わるのだ。>

通常のレシピ本は「こう作りましょう」としか書いてありません。それは伝達すべき情報を単純化して明確にするためですが、それでは本質的な理解から遠ざかってしまうという面もあるわけです。

そしてこの4章でもっとも手厚く扱われているのが、「肉」「魚」「卵」といった動物性たんぱく質の調理にまつわる温度管理です。一般に大人が口にする肉は日本人が考えるほど加熱しなくても、ほとんどの菌は死滅します。実は厚生労働省の指針でも、食肉の加熱にまつわる指針は「中心部を63度で30分」もしくは「75度で1分加熱」となっています。

この本では各機関のガイドラインが示されていますが、例えば豚肉は、FSIS(米国農務省食品安全検査局)のガイドラインでは60℃で1分、USDA(米国農務省)なら71℃となっています。だいたいどの国でも肉への加熱の目安はこの間の温度帯。つまりステーキで言うミディアム程度です。しかし日本では中がちょっと赤いだけで「寄生虫が」と毛嫌いされてしまいます。本書では、 USDAの寄生虫生物学疫学研究所のデータを引用して、「1世紀前には〜1.4%の豚が(旋毛虫症に)感染していたが、1996年にはアメリカで検査された221,123頭の動物の中に感染していたものはいなかった」としています。

ちなみに、肉がかたくなる温度帯は66〜71℃くらい。逆説的に言うと、肉の中心をこの程度以下の温度にとどめれば、ほのかにピンク色が残ったジューシーな仕上がりになります。どんな食べ物でもリスクはゼロにはできませんが、「本当に危険か」「どの程度リスクがあるのか」など、すべての情報は一度疑ってみてもいいかもしれません。あっ。くれぐれも子どもやお年寄り、免疫力が低下している方が召し上がる場合は、しっかり加熱してください。

「味覚」や「調理の科学」について解明されていることは、意外に少なかったりします。だからこそ「間違った常識」が伝播するわけですが、一方でその「常識」はアップデートされやすいもの。実際、この本に書いてあることもすべてが検証された事実ではなく、仮説レベルの情報もあります。だからこそ、料理を科学するのは面白いんです。

本書からは少し離れますが、昆布ダシの引き方は、「水から昆布を入れて弱火で加熱。沸騰直前に引き上げる」が常識でした。しかし10年ほど前、大学の研究チームにより「60℃で1時間加熱するのが、もっとも昆布ダシの主成分であるグルタミン酸が抽出できる」ことが判明しました。当時、取材したところ「80℃以上ではほとんどグルタミン酸は抽出されない」「温度を上げると余計なくさみが出る」とも。つまり、ダシがしっかり抽出できる温度帯を長時間かけて通過させ、雑味成分が抽出される温度帯にならないうちに引き上げる。

またステーキなどにおいて、「肉汁が逃げないよう、肉の表面を焼きつける」という常識も、1930年代に間違いだということが証明されていますが、いまだにその常識に縛られている方もいらっしゃいます。確かに肉の表面に焼き色をつけると風味が増し、おいしく感じられるもの。その意味では、昆布ダシもステーキも、昔からの手順はおおむね正しかったことになります。しかし厳密には手順の意味は解析されていなかったり、間違っていた。科学的アプローチが進むことで、「常識の正体」が明らかになり、さらなるうまさにつながっていくわけです。

「Cooking for Geeks」の序文にもあるように「料理についてまだ知らないことというのは、知っていることよりもはるかに早く増えて行くよう」です。

料理を含め、すべてのコンテンツは、偉大なる先達の膨大な遺産を継承しつつ検証し、次代へとつむいでいくもの。我々現代人だって先人の知恵の恩恵にあずかっているんです。最後に名作マンガ『ヒカルの碁』の最終巻で主人公の進藤ヒカルに対し、韓国の棋士、高永夏(コ・ヨンハ)が言ったセリフで本稿を締めくくりたいと思います。

「遠い未来と、遠い過去をつなげるためにオマエがいる? オレたちは皆そうだろう」
(松浦達也)