昭和プロレスの象徴と平成プロレスのエースが、世代を超えて緊迫の一騎打ち!

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「今、マット界のキャスティングボートを握っているのは棚橋弘至だ」

去る9月、アントニオ猪木はIGFのパンフレット上のインタビューでこう語った。ならば、両者にプロレスの未来を語ってもらおう。新日本プロレスの初代エースと現エースによる、夢の一騎打ちのゴングが鳴った!

■「先輩たちを引退させてやってくれよ」

猪木 はいどうも!

棚橋 お久しぶりです。今日はよろしくお願いいたします。

猪木 相変わらずモテてる?

棚橋 おかげさまで、いいモテ方をしてます。健全なモテ方を(笑)。

猪木 別れ方を教えなきゃな、俺が(笑)。

棚橋 キターッ!(笑)。猪木さんもお元気そうですね。

猪木 いやいや、元気なフリだけで、同期はみんな逝っちゃって、もう残ってるのは少ないから。俺もそろそろお迎えだよ(笑)。

棚橋 そういうことを言わないでください! 猪木さんにはずっと元気でいてほしいですよ。

―IGFのパンフレットで、猪木さんは棚橋選手を「長年、座長をやっていると自然と風格が出てくる」と評していましたね。

猪木 まあ、俺も若い頃にアメリカ修行に出て、毎日いろんな地域で試合をやって、その場で客の心をつかまないといけなかった。IGFは12月にパキスタンで大会をやったけど、お客さんは選手のことを知らないわけだから、出た瞬間のオーラでグッと客をつかむという、そこが大事な部分でね。

棚橋 自分は、初めてプロレスを観た人にとって、いかに心に残る試合をするかというのをすごく大切にしてます。今はテレビ放送が深夜で子供たちが観るのが難しい時間帯なので、プロモーションで全国を回るときに、プロレスを丁寧に説明することも心がけてます。

―今年は新日本のリングに桜庭和志(さくらばかずし)と柴田勝頼(しばたかつより)が参戦するなど、「ストロングスタイル」がひとつのキーワードになっていますよね。

棚橋 ストロングスタイルには悩まされましたね。新日本の伝統にストロングスタイルというものがあるとして、では具体的にそれは何かっていう答えはない。ファンの方に「棚橋はストロングスタイルっぽくない」と言われることがありますが、「じゃあストロングスタイルってなんですか?」って言うと、答えられないんですよね。猪木さんは難しい宿題を新日本に残していったんです(苦笑)。

猪木 あれは誰かが言い始めたことでね、俺にはわからねえな。ただ、メキシコにルチャリブレがあるように、それぞれの形がある。自分たちの目指すものだけしっかり持っていればいい。どんな形にしても格闘ファンっていうのは多いわけだからね。『ガッチャマン』とか(アニメや特撮モノ)も、もとは全部「プロレス」じゃん。そこに「闘い」がある、というね。そして、その道を目指した限り、みんなが食べていけるようにしなきゃいけないっていうのは、俺たちの役割で。年齢のせいか、だいぶ考え方が変わってきたけど(笑)。

棚橋 猪木さんは新日本プロレスの絶対的なエースで、社長として所属選手と社員を全員食わしてやるっていう使命も持っていました。僕は自分で「俺がエースだ!」って言い出したんですけど、当時からエース像を描くときには、猪木さんみたいに飛び抜けたスターがいて客を呼ぶということを自然とイメージしてましたね。

猪木 あんまり持ち上げなくたっていいんだよ(笑)。実はあんな猪木にはついていけなかったって言ったっていいんだよ、全然。

棚橋 確かに、ついていけない部分もありましたけど(笑)。猪木さんが、新日本から離れられたときの気持ちをお聞きしたかったんです。自分で新日本プロレスをつくられて、愛着というか思い入れもあったと思うんですけども。

猪木 いやぁ、もう引退してね、人からなんと言われようと、環境問題やエネルギー問題に関わっていきたいと。そういう思いに至った以上、それをまっとうしたいと思ってたんだよな。もうひとつは(1998年に)UFOを立ち上げたときに、「世界戦略」っていうのを考えていてね。

棚橋 世界戦略?

猪木 残念ながら、俺の発想が早すぎて、なかなかみんながついてこられなかったから、それはすぐに終わってしまったんだけど。それと並行して(当時の新日本の)方針を聞いたとき、これは俺と違うなっていうのがあってね。(新日本が)自分のいろんな思いとは違うものになってしまうと。自分の思いを継ぐ人がいたらよかったけどね。ただ、そこまでの人材を俺が育てきれてなかったから。

棚橋 猪木さんがちょうど新日本を離れるのと時期を同じくして、(PRIDEなどの)総合格闘技の台頭があって、猪木さんはそちらの会場によく行かれていましたけど、そのときはプロレスがピンチだったわけですよ。僕らが全力でプロレスをしても響かないところに、猪木さんはすごく影響力があったから、新日本がグラついたとき、僕の心情としては、猪木さんが新日本側に立って守ってほしかったっていう気持ちはありました。

―寂しかったんですね。

棚橋 はい。でも猪木さんの世界戦略は、すごくスケールが大きいなあとは思いましたけど。

猪木 格闘技ブームがあって、K−1があってPRIDEが出てきて、そのときに新日本の誰かが「あれはプロレスとは違うんです」と言ったとか。だけど、それは違うんだよな。格闘を全部含めて俺たちは異種格闘技もやってきたから、俺は「そういうものを無視するわけにはいかないよ」って言ってね。

―実際、猪木さんがK-1やPRIDEに力を貸していたときは、新日本から「闘い」が薄れているように見えた部分もありましたね。

棚橋 残念ながら、その流れは感じてましたし、僕にそれを止める力はなかったですね。

―いくら関係者が「あれは違う」と言っても、ファンは「闘い」を求めていくし、猪木さんはそれを気づかせたかったんでしょうね。

棚橋 新日本はそういうものと闘う運命を背負っていますよね。

猪木 結局、今、格闘技に夢も何もなくなってしまったなかで、もう一回プロレスに振り子が戻りつつある。そして、戻ってきたときの受け皿をしっかり持っておかないといけない。だけどまだ、その受け皿がどこにもできてない。

―猪木さんにとって、プロレスが「闘い」という根本的な理念から外れていったら寂しいわけですね。

猪木 まず、レスラーは強くなきゃダメでしょう。もうひとつは、(棚橋の顔を見て)早く先輩たちを引退させてやってくれよ!(笑)

棚橋 はい(笑)。

猪木 これはもう、それぞれの人生だから、俺にはなんとも言えねえけど、よく俺は(プロレスというジャンルを)ピザパイにたとえるんですね。俺たちの時代には大きなピザパイがあったけど、次に続く世代がピザパイの具を食べて、端を食べて、誰も新しいピザパイを持ってこられなかった。今は小さなピザパイを食い合ってる状態だと思う。

棚橋 じゃあ、僕が新しいピザパイを持ってきます、絶対に!

猪木 ほう、いいじゃない。

■「あのときはクビになる寸前でした」

―棚橋さんも「プロレスは闘いである」という教えをしっかり残していく意識はあるんですよね。

棚橋 勝負論が抜けたら、プロレスは一切面白くないですから。どっちが勝つんだろう? 応援してるほうに勝ってほしいっていう感情移入があってこそ、ファンはそれを自分のエネルギーに変えられる。そういうことに関しては、プロレスは非常に伝わりやすいジャンルなんじゃないかなって。

猪木 ある意味、宗教的なね。リングは絶対的なものであって、そこにいる観客は信者みたいな。そういう関係を築かなければ、ファンほど薄情なものはないよ。結局、つまらなくなったら、「あー、ヤメた」と言って、もう来ないんだから。それをグッとつかんでおくには、すごいパワーを発していかないと。

棚橋 常に発しておかないといけないですね。

―それが行き着くと、猪木さんみたいに「観たくないヤツは観るな」と言えてしまうという(笑)。

猪木 観たくないヤツは最初から観るわけがないんだからさ(笑)。

―さっきPRIDEの話が出ましたが、ちょうど猪木さんがPRIDEと関わっている2002年、棚橋さんが知人の女性から刺されるという“事件”がありました。

棚橋 ありました、はい。

―あのとき、猪木さんは棚橋さんをPRIDEの会場に連れていって、リング上で挨拶させましたよね?

猪木 俺んとこにしょぼくれて来たもんな(笑)。

棚橋 当時、僕はデビューしたての若手だったんですけど、猪木さんにお会いして、「お騒がせしました!」って挨拶したら、「騒いでねえよ」って。ホッとしました。

猪木 ハッハッハッ! 人を騙(だまし)たりとかしたわけじゃなかったから。まあ、騙したのかもしれないけどな、女のコを(笑)。

棚橋 まぁ、ある意味……(苦笑)。

猪木 許せる罪と許せない罪は区別しないといけない。世の中があんまりちっちゃなことを取り上げて、人の芽を摘んじゃうっていうのはね。政治家なんかもホントにどうでもいい話が山ほどあるんだけど、スキャンダルに流されて潰れちゃう。政治の場合とは違うけど、われわれはスキャンダルを勲章と思える発想を持たないとね。

―猪木さんからすると、「どうってことねえよ」っていう。

猪木 どうってことないよ、別に。ただ、知らないけど、当時の幹部たちは大変だったんだろ?

棚橋 いやぁ、大変でした。クビになる寸前でした。

猪木 じゃ、よかったじゃん(笑)。

棚橋 猪木さんが騒いでないんだったら、いいかって(笑)。いえいえ、そうじゃなく深く反省しましたけど。そこからいろんなものを背負ったので、当時の僕にはプロレスを一生懸命に頑張るっていう選択肢しか残ってなかったので。

猪木 経験に勝るものはなしってね。俺もいろんなスキャンダルに巻き込まれてきたんだけど、結局、それがあるから今日があるっていうね。(1989年の参議院議員時代には暴漢に)首も切られてね。

棚橋 演説中にですよね。

猪木 そう。相手の名前も聞かなかったけどね。例えば講演のネタにしたって、経験でモノをしゃべるしかないじゃん。学問で習ったことなんかより。そのへんはおかげさまで、けっこうな金額の講演料をいただいて(笑)。今、口先で飯を食ってるような(笑)。

棚橋 お! 棚橋にも講演の仕事をお願いします(笑)。

■新日本とIGFの交流はあるか?

― 大晦日(おおみそか)のIGF両国国技館大会で、藤田和之vs小川直也があります。棚橋さんはどう見ますか?

棚橋 試合内容が面白ければいいと思います。プロとして見せるものであるならば、それを観たファンが、面白いか面白くないか、どう感じるかだけが重要だと思うんで。どんな有名な選手が闘おうとも面白くなかったら、それは見せる側の仕事として失敗だと思います。無名の選手でもすごい白熱するものを見せられたなら、それは成功だと思うし。僕はそれにすべてを注いでます。

猪木 藤田と小川には遺恨っていうか、俺の知らないところでストーリーがあったみたいで(99年1・4東京ドームで、小川が橋本真也にプロレスの範疇(はんちゅう)を超えるケンカファイトを仕掛け事実上KO、無効試合となり遺恨を残した)。藤田が橋本の付き人をやってたなんて、俺はそんなことを知らなかったんだけどね。取ってつけたようなストーリーじゃなく、ちゃんと理由があるんだったらいい。

―新日本とIGFって異母兄弟みたいなものだと思うんですけど。

棚橋 確かにお父さん(猪木)は同じですからね。ただ、今は交わる必然性はそんなにないですね。新日本は新日本の目指す方向があるし、IGFは、猪木さんの目指すものが選手たちに伝わっていればいいと思いますね。

猪木 2012年は中国、パキスタンで大会をやって、今後も広がっていきます。世界各国でWWEが放送されているけど、そのなかでIGFはIGFの勝負をやって(WWEとは違う)レスリングを見せる。新日本とも違うものを見せないといけないし、まず大事なのは個性化というかね。団体としても選手個人としても。将来的に(新日本とIGFが)交わったときはまたすごい火がついて、次の段階へ進めるのかもしれないし。

―棚橋さんは1・4東京ドームでオカダ・カズチカ選手を相手にIWGPの防衛戦がありますね。

棚橋 もちろんベルトを守って、チャンピオンの僕を筆頭に、新日本プロレスは2013年も目指す方向にしっかり進んでいきますよ。

―猪木さん、棚橋選手がもう一段階上に行くためには何をすればいいと思いますか?

猪木 ひとつには意表を突くってことでしょうね。

棚橋 意表を突く。

猪木 こんなに団体が多いんだから、東京ドームにリングを4つくらい置いてやりゃあいいんだよ、おまえ(棚橋)が仕掛けてさ。新日本(のフロント)じゃなくて、おまえが呼びかければ。そういう発想を持てばいい。業界全体、いろんなものをひっくるめてみんなが元気になるテーマだったら面白いでしょう。それで東京ドームをいっぱいにしてみれば、またそこから何かが始まるかもしれない。

棚橋 そう考えるだけでワクワクしますね。僕はジャンルを背負っていく人間になりますよ!

猪木 いいじゃない。

棚橋 あの、「僕、生まれてから一回も疲れたことないんです」っていうのが自分のモットーなんですが、猪木さんは疲れたことがあるんですか?

猪木 それはあるね。ただ、行く先々でありがたいことに、いろんな人が「(闘魂注入)ビンタください」って。何かを送ることによって何かが返ってくる。エネルギーを出し続けることで、逆にこちらに戻してくれる、というね。

棚橋 エネルギーの循環があるんですね。スターはエネルギーを発し続けないといけない。「元気ですかっ!」て。その言葉と「疲れたことないんです」っていうのは同じ意味なんじゃないかと思います。

猪木 「疲れた」ことはなくても、「突かれた」ことあるじゃん。

棚橋 アタッ!(笑)。字が違いますけど。やっぱり猪木さんは上手ですね(笑)。

猪木 ンムフフフ。棚橋、酒は飲むのか?

棚橋 飲みます!

猪木 今度飲むか。さしつさされつで。ダーハッハッハッ!

(取材・文/“Show”大谷泰顕 撮影/乾晋也)

●アントニオ猪木(あんとにお・いのき)

「東京ドームにリングを4つくらい置いてやりゃあいい。おまえが仕掛けてさ」1943年2月20日生まれ、横浜市出身。幼少時代に家族とともにブラジルに移住するが、力道山に見いだされ1960年、日本プロレスでデビュー。72年に新日本プロレスを設立し、モハメド・アリ戦など数々の伝説を残す。89年には参議院議員選挙に当選。98年に引退後、2007年に新団体IGFを発足し、中国やパキスタンに進出している

●棚橋弘至(たなはし・ひろし)

1976年11月13日生まれ、岐阜県出身。“100年に1人の逸材”の異名を持つ新日本プロレスのエース。IWGPヘビー級王座の最多防衛記録(11回)のほか、IWGPタッグ、G1クライマックス優勝、プロレス大賞MVPを2度獲得するなど、数々の栄冠を手にしている。得意技はハイフライフロー

■新日本プロレス 「WRESTLE KINGDOM7〜EVOLUTION〜in東京ドーム」

2013年1月4日(金)/東京ドーム/15:30開場、17:00開始予定

棚橋弘至vsオカダ・カズチカ(IWGPヘビー級選手権)、

中邑真輔vs桜庭和志(IWGPインターコンチネンタル選手権)、

真壁刀義vs柴田勝頼、天山広吉&小島聡vs武藤敬司&橋本大地ほか、全11試合 詳しくは【http://www.njpw.co.jp/】