メジャー史上、最も凶悪な選手
わが国が東北楽天ゴールデンイーグルスの新外国人選手、アンドリュー・ジョーンズ夫妻の夫婦げんかで揺れていたころ、地球の裏側、ベネズエラでは殺人未遂容疑で服役していた元メジャーリーガー、ウーゲット・ウルビナが服役7年目で釈放された。
ウルビナは、1995〜2005年にモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)、ボストン・レッドソックス 、テキサス・レンジャーズなどでプレー。エクスポズ時代には、ナショナルリーグ最多の41セーブを記録した。メジャー11年間での通算セーブ数は237。
1998年、2002年と2度に渡りオールスター・ゲームに出場。フロリダ・マーリンズ(マイアミ・マーリンズ)時代の2003年には、チームのシリーズ制覇にも貢献している。
メジャーリーグ史上、最も凶悪な選手は誰か。これまでは、1905〜1928年にデトロイト・タイガース、フィラデルフィア・アスレチックス(オークランド・アスレチックス)でプレーし、1936年に殿堂入りしたタイ・カッブだと思っていたが、ウルビナはカッブをも上回る。ウルビナに比べれば、カッブの悪事など、ほんのいたずらだ。
カッブは1909年の三冠王、1911年のアメリカンリーグMVP、9年連続を含む12度の首位打者獲得といった功績から、わが国では「球聖」と冠されるが、米国では「メジャーリーグ史上、最も偉大かつ最も嫌われた選手」と言われている。
とにかく喧嘩っぱやいことで有名だ。1917年のキャンプでニューヨーク・ジャイアンツ(サンフランシスコ・ジャアンツ)の2塁手、バック・ハーゾグにからかわれると、カッブは足で反撃に出た。常日頃かた相手に見えるようにスパイクの歯を磨いていたが、2塁への進塁では、その歯でハーゾグの太腿を切り裂いた。
たちまち大喧嘩に発展。殴り合いはその晩、ホテルでも再開されたが、カッブは倒れたハーゾグに馬乗りになり、容赦なく殴り続けたという。
喧嘩の相手は、選手だけではなかった。ビリー・エヴァンス審判員の判定に納得いかなかったカッブは、「殺してやる」と脅迫。そして試合終了後、本当に実行に移そうとした。
エヴァンス審判員も大学でボクシングの経験があったのだが、野獣カッブの敵ではなかった。1時間近く暴行を受け、通行人が止めに入ったおかげで、ようやく一命を取り留めた。
カッブは、スタンドのファンにも襲い掛かった。1912年、ニューヨーク・ハイランダーズ(ニューヨーク・ヤンキース)戦で、ファンからのブーイングに激怒。試合中にも関わらず、スタンドに飛び込んだ。
いくらカッブといえども、大観衆の中からがブーイングの犯人を見つけられない。するとカッブは、適当にファンを選び、襲い掛かった。
哀れな犠牲者は、クロード・ラッカー。労災事故などで片腕を失い、もう片方の腕も一部を失っていたが、カッブに容赦は無かった。周囲はすぐさま「その男を蹴るんじゃない。両手が無いんだぞ」と止めに入ったが、カッブは「両足が無くたって知るもんか」と平然と言い返した。
カッブは、年をとってもカッブだった。現役引退から20年後、元捕手のニッグ・クラークから、審判員を騙してカッブをアウトにしていたことを告白されると、クラークに噛み付いた。怒れる老カッブを鎮めたのは三人がかりだった。
カッブは1961年、癌で74歳で逝去。生前の凶行が祟り、葬儀に列席したのは、わずかに3、4人だった。
そんなカッブをも上回るウルビナの悪事は、5人の殺人未遂。2005年、自らの農場で働く5人の労働者をなたで襲い、ガソリンをかけ火をつけて怪我をさせたとして殺人未遂罪で逮捕、起訴された。
ウルビナは「勝手にプールに入っていたので厳しく叱ったが、事件の起きた時間帯には家に帰って寝ていた」と犯行を否定したが認められず、2007年に懲役14年の処罰が下された。
バックスクリーンの下で 〜For All of Baseball Supporters〜
野球は目の前のグラウンドの上だけの戦いではない。今も昔も、グラウンド内外で繰り広げられてきた。そんな野球を、ひもとく