現在も他所で仕事をしている関係でまだ名前は明かせないというが、大月社長曰く長野県の若年世代に精通した人物だという。トップチームの反町監督、ユースチームの岸野監督、加藤GM、予定されているアカデミーダイレクターらが中心となって綿密な情報交換を行い、これまで以上に風通しの良い体制作りが出来れば、ユースの人材がトップチームへの練習参加やトレーニングマッチへ出場するなどの交流が深まり、クラブとして一貫した育成が可能となる。そういった環境は、他のJリーグクラブなどからすれば当たり前の環境であったが、まだ山雅は“Jリーグ1年生”。昇格のためにトップチームへの強化には熱心だったが、こと育成面はおざなりになっていた部分は多かった。

この体制とすることで、クラブには『選手を育てる』という責任が生じるが、それはプロとして“望むところ”だろう。松田直樹の着けていた背番号3を背負う選手は育成組織から輩出する――。大きな夢の第一歩はこうして始まった。

■著者プロフィール
多岐太宿
物書きを目指していた2004年末、地元に偶然にもアルウィンと松本山雅FCがあったことから密着を開始。以来、クラブの成長と紆余曲折を偶然にも同時進行で体感する幸運に恵まれる。クラブ公式、県内情報誌、フリーペーパー等に寄稿。クラブの全国区昇格を機に、自身も全国区昇格を目指して悪戦苦闘中。