秋たけなわ。「日本はいいな―」とつくづく思う。帰国して間もないので、とりわけそう感じるのだろう。

 パリは相変わらず良かったし、ワルシャワもまた行きたくなると思わせる魅力たっぷりな街だった。こちらでも存分に秋を堪能したが、住みたい、暮らしたいという思いまでは湧かなかった。それは、この両都市に限った話ではない。これまで僕は60以上の国を巡っているが、それぞれといま暮らしている東京とを天秤に掛けると、軍配は必ず東京に上がる。
 
 日本を訪れる外国人旅行者も、日本を一様に暮らしやすそうな国だという。日本に移り住んでいる外国人の満足度も高いと聞いた。
 
 しかし、政治家や政治評論家がそうした声をもとに「日本は素晴らしい国だ」と胸を張るのはどうかと思う。日本にもいいところもあれば悪いところもある。外国も同様。いいところもあれば悪いところもある。これは100か0かの話ではない。60対40とか、55対45とか、そうした微妙な問題だ。天秤に掛けた末の、究極の問に対する答えなのだ。少なくとも僕はそうだ。「日本はいいな―」と言いたくなる動機は、10%、20%の差に基づいている。暮らしについては、その程度でも、大きな差として実感できるという話なのだ。
 
 細部に目を凝らせば、外国に見習うべき点は多々ある。決定的なものが日本に欠けていることも考えられる。凄く良いというより、まあまあ良いという話が、凄く良いもののように伝えられる現状に、僕は何か不満を感じてしまう。現状に満足すれば、より良いモノにはなっていかない。
 
 日本のサッカーもそうだ。だいぶ良くなったが、もの凄く良くなったわけではない。現状に満足すればより良いモノにはなっていかない。フランス、ブラジル戦は、まさにそのことが示された試合だった。右肩上がりは、思っていたほど急角度ではなかった。それまで「良い」で通してきたものは「微妙」に転じている。
 
「良い」か「悪い」か。是か非か。二者択一でものを言うことの危なさを知った試合といってもいい。問われているのは良くなった程度だ。
 
 僕にとって、あまり良く映らなかったものは、ザッケローニの采配だ。メルマガでも述べたが、中でもいただけないのはその「15人サッカー」だ。招集した23人メンバーを「出る人」「出る可能性がある人」「出そうもない人」の3グループに分けるやり方は、可能性を狭めることに繋がる。可能性を広げる時期に、15人サッカーをされるとチームの総合力は上がらない。外国人監督なのに、世界基準とは異なる采配をするザッケローニ。同じ傾向に陥った岡田前監督より、罪は重いと言うべきかもしれない。
 
 とはいえ100%否定しているわけではない。自分の中での支持率は40%だ。「辞めろ!」と、声高に叫びたくなるほどではないが満足度は低い、という感じだ。
 
 少なくともメディアはなにも言わない。是か非かについて言及しようとしない。前任者の岡田サンの時もそうだが、80対20の関係になって初めて騒ぎ出す。というわけで、40対60でも、少しは言った方がいいという気に傾く。
 
 外国にあって日本に足りないものの一つは「熱」だ。日本のサッカー界より、外国のサッカー界の方が、楽しげに見える理由はこの差にある。常にワイワイガヤガヤしているのが外国。対する日本は大人しい。満足度100%では全くないにも拘わらず。ザッケローニについてもしかり。満足度は、彼に好意的に見ても60%ぐらいだというのに、何かを言おうとしない。40%の不満が表面化することはない。
 
 少なくとも議論の余地は大いにある。そして外国には、その議論を楽しもうとする気質がある。しかもサッカーは政治や経済とは違い、人の生き死にはかかっていない。それこそ「ザックばらん」に話せる題材なのだ。日本人は大衆迎合しやすいとか、批判精神に乏しいとか、議論ベタだとか、そうした難しい話ではない。「ザックばらん」か否か、だと思う。ナチュラルか否か。