「メディアは、わかりやすい極論ではなく、建設的な意見、現実的なプロセスを述べる人の声をしっかり伝えてほしい」と語るジャーナリストの江川紹子氏

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「原発という混沌とした物事をも“単純化”してしまっている」

ジャーナリストの江川紹子(しょうこ)氏は、今のメディアの問題点をこのように指摘する。

国や東電という「悪」を叩き続け、「全原発の即時廃炉」以外の選択肢を議論以前に排除してしまうようなやり方では、おそらく脱原発はこれ以上進まない。それどころか、むしろ急進的な“反原発派”と、それ以外の脱原発派の間にさえ深い溝ができてしまう。

問題の単純化によって、その分断を後押ししてしまっているようにすら見える今のメディア。「できれば原発なんてないほうがいい」という“民意の最大公約数”を前に進めるために、メディアができることとはなんだろうか?

■「不安」を伝えておけば批判されることはない

―昨年3月の福島事故以降の、原発問題に関するメディアの報道についてどうお考えですか?

江川 特に事故直後は、伝える側にも知識が少なかったし、何かにつけて「危ない! 大変だ!」と最大級に危険を強調するほうが人目を引きつけます。煙が立ったら「火事だ!」と大騒ぎすることが、メディアの役割のひとつだという面も否定しません。ですが、そうはいっても、なかにはやたらと不安を煽るだけのようなものもありましたよね。

―いくらなんでも……と。

江川 新聞にしても、1面や社会面には感情的で派手な見出しが躍り、冷静な意見は得てして中面にあったりする。これで「両方載せた」と言われても、忙しい読者は中まで全部読みませんよね。

原発の問題は社会の仕組み、人々の生活のあり方などにも関わってくるので、多角的に、冷静に考えないといけません。事故前なら「危ないから止めろ!」と感情に訴えてもよかったかもしれませんが、事故が起きて多くの人の感情のメーターが振り切れそうになっているところに、さらに感情的な報道をするのは違う。

例えば、食品への放射能の影響などは、もっと人々の理性に働きかける報道が必要でした。でも、「不安です」という人の声を伝えておけば批判されないから、結局、メディアを介して不安を高め合うことになってしまった。

―江川さん自身は事故直後、原発問題について発言を控え気味にされていたように見えました。

江川 正直、自分にはわからないことが多かった。あまり無責任なことは言えないし、とにかく慎重になるべきだろうと考えていました。一方、「多少間違ってもいいから積極的に情報を拡散しよう」という人もいましたね。

―確かに、ジャーナリストの中にもいろんな“流派”が入り乱れていました。

江川 事故直後は、そうなったのも当然だと思います。問題は、間違った情報が、時間がたっても訂正されていないことです。それどころか、今も事実ではないことをセンセーショナルに国内外に拡散し続けている方もいる。

知り合いでもある同業者を批判するのはためらっていましたが、実際に福島に住んでいる方々が、あるジャーナリストのセンセーショナルな報道内容について「迷惑です」とはっきり言ったのを聞いて、黙っていられなくなりました。間違った情報は福島の人たちへの差別を生みかねません。間違っていたら修正するのは最低限のルールです。引くに引けないのかもしれませんが、これは勝ち負けの問題じゃありません。

―現在の反原発デモについてはどう考えていますか?

江川 原発への拒否感を示すという意義があると思います。ただ、「全原発の即時廃炉」は現実問題としてそれなりにリスクがある。それに、ひと口に脱原発といっても、何十年もかけてやっていこうというものまで、本当はすごく幅があるはずでしょう。

でも今は、「即時」以外の意見の人はみな推進派だ……という風潮さえあるように感じます。ツイッターなどで「もっと時間をかけるやり方もあるんじゃない?」と言っただけで、方々から「推進派だ」と詰められる。

―デモの参加者がみんなそうというわけではありませんが、確かに、そういう過激な声は目立って見えますね。

江川 私も、大飯原発の再稼働をめぐる政府の段取りは問題だと思う。ただ、脱原発を目指す側が、こうなる前にもう少し現実的な話をできていれば―つまり「やめる」「やめない」の二元論ではなく、きちんとした“条件闘争”ができていれば、例えば「ここだけは今は動かすけど、40年廃炉は確実に守る」といった最低限の約束を政府から引き出すことができたかもしれない。残念です。

―結果的に、大飯原発の再稼働の発表では“政治決断”というばかりで、脱原発へ向けてなんの進展もありませんでした。

江川 今の急進的な反原発派の主張は“革命”を目指すやり方です。多少の犠牲が出てもかまわない、何がどうあってもやり遂げるんだ、と。そういう運動を否定はしませんし、実際に極端なものがあったほうが、世論の“中心軸”が動くという一面もあります。

でも、今のままでは、その声が広がりを持つでしょうか。この夏に一切、再稼働を許さなかったとしたら、もしかすると命を落とす人もいるかもしれない。「命か経済か」という二元論に落とし込んだり、いきなり「全原発の即時廃炉」のような最大級のことを達成できるほど、問題は簡単ではありません。すべてのリスクを洗い出した上で、それぞれのリスクを減らして「より安全」を求めていく、という“比較級の発想”が必要だと思うんです。

―言い方は悪いですが、“妥協”がないと先へ進めない。

江川 この問題は短距離走では克服できません。今だけ盛り上がっても意味がないし、「敵か味方か」というスタンスでは、現実的に脱原発をしようと思っている人たちをも遠ざけてしまう。

既存の社会の仕組みを変えるとき、無理やり一気に変えようとすれば副作用が大きいし、後で揺り戻しも来ます。むしろイライラするくらい「全然変わらない!」と思っても、粘り強く少しずつやったほうが着実に動いていく。どうしたらそれをより確実に速めていけるかを理性で考えないと。

―そして、そういう動きをサポートするのもメディアの役目。

江川 現実的な方法を伝え、議論する場をつくることですね。問題は、今のメディアが「わかりやすさ」ばかりを優先していること。わかりやすくて文句を言う人はいないでしょうが、わかりやすければいい、というものでもない。

複雑でわかりにくい現実を正確に伝えるには、それなりの時間が必要です。でも、テレビは短時間で「面白くわかりやすく」を求めるので、善か悪かの二元論、悪役をつくってのバッシング、レッテル貼りが横行してきました。ばっさり切り捨てるようなコメントが「切れ味鋭い」と評価されたり……。新聞、雑誌も一本の記事が短くなっているなかで「わかりやすさ」を求め、被災者や事件の被害者をステレオタイプに描いたりして、感情に訴えがちです。

それは、視聴者や読者を「問題をわかった気分」にさせるかもしれません。でも、複雑な問題をそうやって単純化して、本当に理解したことになるんでしょうか。今必要なのは、複雑なことをじっくり読み解き、感情より理性に働きかけること。極論ではなく建設的な意見、現実的なプロセスを述べる人の声をしっかり伝えてほしいと思います。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)

1958年生まれ、東京都出身。大学卒業後、神奈川新聞社に入社し、社会部記者に。29歳で退社後はフリージャーナリスト。89年の坂本堤弁護士一家失踪(当時)事件以来、オウム真理教問題を追い続けるほか、冤罪、災害、教育などをテーマに取材。著書に『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』(岩波現代文庫)など