前回の続き

「もし、あなたが観に来てくれた試合で私がホームランを打つことができたら、それはチームのために打ったホームランではなく、あなたのために打ったホームランです」

 キューバの英雄からそんな愛にあふれた言葉をかけられ、夢見心地で家路についた僕だったが、途中、ふと我に返った。

 これ、いつもは逆なんじゃないだろうか――。

 キューバの国民的英雄とは比べるのもおこがましいほどだが、それでも僕も街を歩いていると、「写真を撮ってください」「サインをください」と声をかけられることがある。それも、決して少なくない機会だ。そんなとき、僕はどんな対応をしていたか。どちらかと言えば、あからさまに困ったような態度を見せている自分がいた。迷惑であることを匂わせるような言動をとることがあった。気恥かしかったのだ。

 大学時代に『五体不満足』が出版され、多くの人に知られるようになった。メディアで広まったイメージは、「誠実な努力家」。だが、そんなたいそうな人物でないことは、自分がいちばんよくわかっている。僕の知らないところで勝手に広まっていく“虚像”に、まだ二十歳を超えたばかりの等身大の僕は、ずっと苦しめられていた。

世間のイメージだけでも息苦しく感じていたのに、実際に面と向かって、その虚像を鼻先に突きつけられると、もう、どうしようもないくらいに息がつまった。だから、目の前で否定してしまいたかったのかもしれない。僕はそんなにいいやつじゃないですよ、そんな立派な人間じゃないですよ、と――。

ところが、このキューバの英雄はどうだろう。「子どもの頃からあこがれていた」という異国の若輩者に、こんなにもあたたかな言葉をかけてくれた。それだけで、僕はしばらくの間、HAPPYな気持ちで過ごせるにちがいない。それに比べて僕はと言えば、せっかく声をかけてきてくださった方々に、どんな態度をとってきたのか。そのことを思うと、有頂天でいた自分が一気に奈落の底まで突き落とされ――いや、むしろ、みずから落ちていきたい心境にさえかられた。

それからだ。街で声をかけてくださる方々に、できるだけ気持ちのいい応対をしようと心がけるようになったのは。それからだ。それまで、「あんな本、出すんじゃなかった」と、『五体不満足』出版を悔いる気持ちさえあったのが、「あの本のおかげで、様々なチャンスや出会いをいただけたのだ」と前向きにとらえられるようになったのは。

本が出てから、様々な迷いや葛藤を抱きながらスポーツライターという仕事と向き合ってきた。それが、キンデラン選手との出会いによって、このキューバの王様の“教え”によって、僕は自分の気持ちにひと区切りをつけられたような気がしている。深く、感謝している。

そんな彼が生きてきた国。そんな彼を育てた国。はじめて訪れるキューバに、僕はワクワクしていた――のだが、なんと僕が旅行を計画していた時期に、世界最大の葉巻の産地・キューバにて『ハバノス・フェスティバル』という葉巻の祭典が行われるらしいのだ。その時期は、アメリカやヨーロッパ中から葉巻の愛好者が集まるらしく、なんとホテルがどこも満室……。キューバ行きは、夢と消えた。

仕方ない。キューバは、逃げるわけでもない。王国への訪問は、また次の機会に!

■乙武洋匡のベースボールコラム〜バックナンバー
約束のホームラン
王国へのあこがれ希望 僕が被災地で考えたこと希望 僕が被災地で考えたこと
著者:乙武 洋匡
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(2011-07-14)
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