リングに上がれば、先輩後輩関係なく殴り合う世界。とはいえ、リングを降りても上下関係はドロドロだった。“女帝”として一時代を築いた、ブル中野が陰湿イジメの全貌を語ってくれた。

――ブルさんが女子プロレスの世界に入ったのは1983年でした。当時、全日本女子プロレス(以下、全女)には、名だたる先輩レスラーがいましたね。

「いちばん上にジャガー横田さん、ミミ萩原さんがいて、怖い先輩といえばデビル雅美さんもいましたね」

――名前を聞いただけで怖いイメージがあります。

「入ったばかりの頃は、みんな優しいですよ。ただ、プロテストに合格して、試合に出るようになると厳しい先輩に変わります」

――どのように厳しいのでしょうか?

「完全な縦社会だったので、先輩には絶対服従なんですよ。何かを命令されたら『ハイ』以外の選択肢はありません(笑)。雑用も新人の仕事なんですけど、先輩が花道でファンから触られないようにしなければならない。ファンから触られると、試合後にぶっとばされますからね」

――お局の先輩について聞こうと思っていましたが、先輩は全員がお局みたいなものなんですね。

「私は生意気だったので、リングの中で先輩に反発していました。日頃の鬱憤を晴らすには、絶好のチャンスだったので。試合が終わってからボコボコにされるのはわかっていましたけど、それを踏まえたうえで抵抗していました」

――その結果なのか、新人の頃は先輩たちから無視されていたそうですが‥‥。

「全女のレスラー全員から無視されていました。私が同期のレスラーをちょっとイジメていたんですけど、それが気に食わなかったみたいで。風紀を乱すヤツは、徹底的に無視する風潮がありました」

――じゃあ、練習もまともにできませんね。

「そうでしたね。スパーリングをやりたくても、誰も組んでくれない。先輩は誰もプロレスを教えてくれない。それだけじゃなく、挨拶しても全員から無視されたのはつらかったです」

――さすがに辞めたくなったのでは?

「毎日辞めたいと思っていましたよ。新人なのでお金もなかったですしね。新人のレスラーって、先輩からおごってもらわないと、まともに御飯を食べられないんですよ。でも、私だけが食事に誘われないなんてことも、しょっちゅうありました」

――それはつらい。よく辞めずに我慢しましたね。

「つらい時期を乗り越えられたのは、ダンプ松本さんのおかげなんです。私が挨拶をして、最初に挨拶を返してくれたのがダンプさんだったんです。そして『悪役にならないか?』と誘ってくれました。ダンプさんは私がちゃんと仕事をしているのか、噂どおりの人間なのかどうかをちゃんと見ていてくれた先輩なんです。それから4年間、タッグを組ませていただきました」

――ダンプさんとタッグを組んでから、ブルさんはトップレスラーへと成長していきました。後輩にはどう接していたんですか?

「私の後輩も結構ひどい目にあっているんですよね。クラッシュギャルズが人気の頃、全女は団体としてもピークを迎えていましたが、レスラー同士の関係はいちばんひどかったです。先輩のレスラーが後輩に対して身にならない練習、イジメ目的の練習をさせたり‥‥。会社は何も手を打ってくれなかったんですよ」

――そんな理不尽な仕打ちには、どう対抗したんでしょう?

「ある時、地方巡業中だったんですけど、後輩や共感してくれる仲間と“夜逃げ”したんです。言葉を変えればストライキですね。それ以降、先輩レスラーからのイジメはなくなりました。ただ、戻ってから全員ボコボコにされましたけどね(笑)」

――当時は先輩レスラーのイジメが横行していたんですね。

「北斗(晶)、アジャ(・コング)もイジメられていました。でも、イジメられるのは目立つ存在ということ。イコール、プロとしてお客さんにウケるということ。そういう逆境を乗り越え、プロレスを続けてきた人たちは、みんなスター選手になっていますよ」

――ブルさんの後輩たちもイジメを乗り越え、トップレスラーになったんですね。

「私は長与千種さん、ライオネス飛鳥さんのライバルにはなれなかったけど、後輩たちがライバルとして戦ってくれた。その存在が、ブル中野のプロレスラー人生を長くしてくれたと思います。後輩たちが恩返しをしてくれたことに今でも感謝しています」