福島第一原発の事故により福島県外に避難した住民は現在、6万人以上ともいわれる。事故から1年を迎えても故郷に変える目処が立たないなか、ストレスや不安に押しつぶされそうな日々を過ごしている。

 郡山市から、小学生の息子とともに一家で避難してきた福純さん(仮名・50代・主婦)は、震災後から息子さんが頻繁に鼻血を出すようになったという。

「うちの子が通っていた小学校は郡山市内でも2番目に線量の高い学校でした。4月になって郡山の自宅でいつものように夕食を食べていたら、突然、息子がバッと鼻血を出したんです。ツーっと垂れてくるのではなく、食卓が真っ赤になるほど勢いよくブワッと。でも、本人は気づいておらず、『どうしたの!』って言ってやっと気づきました。ほかにも、いろいろな症状が出ました。息子は運動が得意で学年でも2番目に足が速かったんですが、すごく遅くなってしまった。それから、いつも猫背になってしまって口がだらしなく開いて、寄りかかるようにしか座れなくなったんです」(福純さん)

 こうした息子さんの異変にも、当時は「震災のショックのせい」程度にしか考えていなかった。しかし、5月に東京の赤坂プリンスホテルに避難してから、似たような症状の子供が多いことに気がついた。息子さんの異変が放射能が原因ではないかと考えた福純さんは、その影響について、チェルノブイリの症例も含めて調べ始めた。

「内部被曝すると、まず循環器系がやられてしまうようです。それで鼻血が出る。足が遅いのと姿勢が悪くなってしまうのは、セシウムが原因ではないかと。セシウムは筋肉にたまりやすく、筋肉の動きに影響を及ぼすようです。実は、このほかにも、視界に蚊が飛んでいるように見えたり、心臓がキューッと痛くなったり、手の甲や腕に500円玉大の内出血ができたりと、低線量被曝が原因と思われる症状が現れていました」(福純さん)

 福純一家が昨年12月に都内でホールボディカウンターで内部被曝線量を測ったところ、同じ日に検査をしたいわき市の家族に比べて、その値は数倍も高かったという。

「うちの子を測ったら、担当の先生が『うわっ』っと驚いて、『もう一度、測りましょう』って。複数回調べて、最後は洋服も脱いで測ったんですが、明らかに高い数値でした。事故から10ヵ月もたっていたのに。ショックでした」(福純さん)

 もちろん両者の因果関係は証明できない。だが、現実問題として突きつけられた内部被曝の数値と、今、何が起きているのかを知るにつれて、かえって福純さんは冷静さを取り戻したという。

「頭では、ひどい事故が起きたとわかってはいるけれども、ハートの部分ではまさかそんなことに巻き込まれるわけがないと思っている自分がいた。でも、福島を離れて、さまざまな情報を得て、自分でも勉強しました。その結果、今では『あの線量では、戻れるわけがない』と思っています。チェルノブイリの強制避難区域と同じレベルですから」(福純さん)

 今、福純さん夫婦は、東京を拠点に、福島の残留家族を支援する団体を立ち上げている。

「コンセプトは、『とにかく一度でも福島から離れる』ということ。そして、元気になってもう一度考えてほしいんです」(福純さん)

(取材/頓所直人)

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