前回のコラムでも書いたように、連日、映画『だいじょうぶ3組』の撮影に励んでいる。Tシャツやワイシャツ1枚で校庭や街なかを歩き回るシーンなどは、この厳しい寒さが恨めしく思える。毎朝、撮影が始まる時間も早く、夜型の生活を送っていた人間には、少々しんどい日々だ。そんななか、僕の心を支えているのは、クランクアップ後に計画している海外旅行への思いだ。今回は、キューバに行こうと思っている。

“カリブ海の真珠”とも呼ばれるキューバ。革命の主人公であるカストロ、チェ・ゲバラ。ノーベル賞作家・ヘミングウェイ。さらには、モヒート、葉巻――人によって抱くイメージは様々だろう。だが、僕にとってキューバと言えば、何と言っても“野球”なのだ。

 僕が子どもの頃にまだWBCはなかったが、それでもオリンピックやワールドカップなどの国際大会において、キューバは常に金メダルの最右翼だった。どんなにメジャーリーガーのプレーが素晴らしくても、僕のなかで「野球王国」と言えば、キューバをおいてほかになかったのだ。

 キューバは共産主義国だから、当然、王様などは存在しない。だが、野球界にはいた。僕にとっては、彼が王様だった。当時、キューバ代表の4番打者を任されていたオレステス・キンデランは、やはり、当時“キューバの至宝”と謳われた若き主砲オマール・リナレスと比しても、あきらかに王様の風格を備えていた。

 だから、初めて生で彼のプレーを観ることができたときには、心躍るほどうれしかった。2001年、僕はスポーツライターとして台湾で開催されたIBAFワールドカップ(2011年で大会廃止)を取材した。結局、その大会で7大会連続となる金メダルを獲得することとなるキューバ代表の4番打者は、もちろんキンデラン。台湾の夜空に放たれた、滞空時間の長い、大きな、大きなホームランは、いまでも僕の胸に焼きついている。

 その翌年、とんでもないニュースが耳に飛びこんできた。キューバは共産主義国であることから、それまでキューバ人選手が海外のリーグでプレーすることは、亡命でもしないかぎりは難しかったのだが、国として方針転換をし、金儲けを目的としないのであれば、キューバ人選手の国外におけるプレーを容認するというのである。

 そして2002年、キンデランは、現在のキューバ代表監督であり、当時、キンデランやリナレスとともに代表のクリーンアップを任されていたアントニオ・パチェコとともに来日。社会人野球のシダックスに入団した。

 子どもの頃から憧れていた選手が、日本でプレーする。このニュースによろこびを爆発させた僕は、その後、さらなる感激に打ち震えることとなる。その日のことについては、また次回に――。

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