18日、待ちに待ちに待ち焦がれていたメジャーリーガー"Yu Darvish"が誕生した。Texas Rangersが5000万ドルを超える入札額を投資し独占交渉権を得たあの日からジャスト1ヶ月。1ヶ月間ある交渉期間のデットラインまで残り3分(ソースは団野村)にまで迫りようやく合意という、大人のプライドもとい欲望塗れのエゴが正面からぶつかり合う緊迫した交渉戦。アーン・テレムに団野村という、絶対に商談したくない人ランキング優勝候補な日米トップエージェントタッグで勝ち取った6年6000万ドルの大型契約は、交渉権獲得費用と合わせて1億ドルを超す文句なしに破格の契約である。世紀の契約が成立したこの日、同時に世界三大悪女とも称されるダルビッシュ紗栄子との離婚も成立させるという離れ業をやってのけた事実すら霞んでしまう程の存在感、それこそが我等86世代が誇る"Yu Darvish"なのである。


 今回の行き詰まる交渉戦に際し、ダルビッシュのエージェントを努めるアーン・テレムは、ダルビッシュの輝かし過ぎる実績をまとめた数百ページにも及ぶレポートを準備していたという。何でも、ダルビッシュ本人が数年前からテレムに詳細な評価レポートの作成を依頼していたのだとか(真偽の程は不明)。「米メディアによるYu Darvish徹底分析」でもちょこっと言及したが、世紀のイケメンダルビッシュとはいえども、価値判断はあくまでも数字(定量的根拠)に基づき行うのがアングロサクソン。たとえダルビッシュがどれだけイケメンであろうとも、どれだけ足が長くとも、どれだけTwitterを使いこなしていようとも、数字を眺めて統計的、科学的な根拠を得るまで、アメリカ人は納得しない。まずは蓄積、厳選されたデータを元に、ダルビッシュがいかにイケメンなのか、ではなく先発投手としての能力と将来性、あるいは健康状態などをロジカルに証明すること。これがいわば、その後何日にも渡り続くタフな駆け引きのスタート地点なのだ。


 テレムが作成したダルビッシュのレポートとは、一体どんなものなのだろうか。当然超極秘情報になるわけで、同じビッシュとはいえ僕でさえも知り得ない情報であるわけだが、自分だったらどんなレポートを作るだろうかと妄想を膨らませてしまう。どんな構成で、何を書くか、何を訴求するか、どんなデータが必要か、ロジックをどう構築するか、どの写真を使うか、などなど。僕も仕事柄、毎日企画書やらレポートやら書いてばかりいるわけであるが、ダルビッシュの実績をまとめたレポートを書く以上にエキサイティングな仕事を僕は知らないのだ。


 もちろん、MLBというかプロスポーツ選手のエージェントとは、パッと見の華やかさとは裏腹に極めてタフな仕事である。エゴの塊同然の顧客を抱え、毎日メディアの対応に全神経を費やし、タフでストレスフルな金銭交渉が何日も続き、おまけにひとたびビジネスが成功すれば今度は金の亡者と世間から叩かれ嫌われる辛い職業であることはよく知っている。団野村はいつ死んでもおかしくない。が、しかしそれでも、スポーツ選手のエージェントは魅力的な職業である。特に数字やデータをいじるのが好きな人にとってはなおさらで、僕も大学の頃ふと「メジャーリーガーのエージェントになりたい」と思い立ってロースクールへの進学とスペイン語の習得を志しては3分後に撤回した時代があったりなかったり。高校3年生の秋には受験勉強そっちのけでMLBのプレイオフ(2004年、Red Soxが宿敵NYヤンキー帝国を3連敗後の4連勝で沈め、86年振りWorld Championを成し遂げたシリーズである)をTVで観ていた僕に、呆れを通り越した母が「あんたメジャーリーグのエージェントになれば」と言い放ったこともある。数日前にNHKでMLBエージェントのドキュメンタリーを見たのだとか。まあそれくらい、まんざらでもなく面白そうな仕事ではある。


 日本でスポーツ選手のエージェントというと、たとえばCM出演やオフのTV番組出演の交渉を選手の代わりに行ったり(ダルビッシュはAVEXと契約中)、プロモーションをしたり、スケジュールを管理したり、それこそタレントのマネージャーみたいなイメージが付き纏うが、欧米でいうエージェントとは、基本的に選手契約交渉の代行業である。手っ取り早く言うと、交渉相手であるチームに選手を「高く売りつける」のが仕事であり、成立させた契約料の一部をマージンとしていただく完全成果報酬型のビジネスである。エージェントの多くは弁護士であるが、どちらかというと業務のイメージは金融商品の売買に近く、ウォール街のヘッジファンド辺りから転職したエージェントも多い。ひとりひとりの選手は「商品」であり、その価値は常に変化する。その選手の能力や実績、年齢、健康状態、人格などはもちろんだが、マーケット全体の市況や景気などにも大きく左右される。金融商品や天然資源と同じである。フリーエージェントの選手を顧客として抱えるエージェントは、その選手を1セントでも高く売りつけることがミッション。他の選手の状況や各チームの動きを見ながらマーケットの展望をシミュレーションし、売り時(タイミング)を見極めて契約を成立させる。買い手の立場であるGMも当然全く同じことを考えているわけで、故にどうやって相手を出し抜くかという情報戦と駆け引きが365日行われているわけである。


 選手がエージェントを雇い、シンプルにより好条件で自分を雇用してくれるチームで働くという文化はやはり、アングロサクソン的な個人主義、市場主義の賜物だと思う。サラリーマンではなく、個人事業主としてのプロスポーツ選手。このような文化があるからこそスコット・ボラスのような敏腕エージェントやハーバードMBA卒のGMが出てくるわけであり、またセイバーメトリックスが栄えたのも必然だったのだろう。あの『マネー・ボール』の著者マイケル・ルイスは本業が金融ノンフィクション作家であることは有名だが、MLBには金融市場のように選手の「マーケット」が存在し、その中で各プレイヤーがアクションを取りゲームを繰り広げていく様がとても面白いのである。リーマンショックを引き起こした国がプロスポーツの最先進国であることはある意味必然なのだ。


 まあともかく、僕が毎日カタカナを羅列しただけの霞を食うような企画書を書いて小銭を稼いでいるのも、いずれダルビッシュの分析レポートを書くためというわけなのである。