――やめたのはご家族のため?

「いや、プロレスラー、スタン・ハンセンのためだよ。以前から自分で納得のいく試合ができなくなったらやめようとは思っていたんだ」

――ハンセンさんのライバルたち、アンドレ、ジャンボ鶴田、三沢光晴……若くして亡くなったレスラーも多いですね。

「キックボクシングやほかの格闘技の選手は、こんなに早く死ぬかい? リングの上で死んだ人がどれくらいいる? プロレスほど多くはないだろう。ほかの格闘技を批判しているわけじゃないよ。プロレスは『フェイク』という言葉でよくバカにされることがあるけど、フェイクだったら、なぜ三沢やゲーリー・オブライトはリング上で死んだんだ? プロレスは最も過酷で厳しい、肉体管理の難しいスポーツなんだ。オレ自身、両肩、両膝、背骨に人工関節が入っている。闘いの代償さ。だから、これほど肉体を酷使するスポーツはほかにはないと自信を持って言えるよ」

――試合数も多いですしね。

「量が違うんだ。年間300試合もザラという時代もあった」

――今はどんな日常を送られているんですか?

「いわゆるリタイアメントライフだよ。ふたりの子供が野球をやっていてね、なるべく彼らのプレーを観に行くようにしている。あとは健康のために歩いたり、有酸素運動を週に5、6回」

――ところで、日本では女のコを積極的にデートに誘いもせずに、気がつけば30代で童貞という男が増えているんですよ。

「30代でチェリーボーイだって!? 昔は恥じらいというものが日本人の美徳であったと思うが、そんなレベルじゃないわけだな……。これはアメリカも同じだけど、インターネットやフェイスブックばかりで、肌と肌のコンタクトを避けるようになってきた。健康的じゃないよね。人生は短いんだから、好きな女のコには積極的にアタックするべきだよ。オレなんて、女のコからのアプローチをずいぶん断ってきたもんだ……ジョークだよ(笑)。若い人たちは、『プレイボーイ』を読んで、DVDでオレの試合を観てアグレッシブに生きてほしいね!」

(取材・文/中込勇気、撮影/ヤナガワゴーッ!)

■スタン・ハンセン
1949年生まれ、テキサス州出身。77年、新日本に初参戦し、アントニオ猪木らと多くの名勝負を繰り広げた。81年12月に全日本に移籍、2000年の引退まで日本における外国人エースとしてファンに愛された。奥さまは日本人である。

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