自らを「占い作家」と称する飯田さん。あくまで仕事は放送作家、だが無償でしていた占いが「当たる」と評判になり……?

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 年間約4000人、累計で2万人以上の人を占い、芸能界でも中川翔子、MEGUMI、東京03など長年の信奉者が多い占い作家・ゲッターズ飯田さん。

 いくつかの占いの要素を掛け合わせ、自らの視点を生み出しつつ、早口でビシバシと言い当てていく新しいスタイルはどうやって生み出されたのだろうか。

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――大学在学中からお笑いの世界に入られたとか。お名前の「ゲッターズ」は、その頃のコンビ名だったというのは本当ですか。

「はい。大学在学中に後輩とコンビを組んで漫才をやっていたんです。ぼくはもともと人を笑わせるのが大好きでした。1年生から落語研究会に入っていて、けっこう人気者で。先輩に頼まれてネタの台本を書いたりもしていました。2年生頃から普通の就職活動も始めましたが、企業説明会に行くと売り上げがどうのこうのとか、それによって出世が決まるとか、あまりにもつまらなさそうで。大学3年の後半で吉本興業の養成所に合格して、お笑いの世界に入ったんです。4年生の時に一応レギュラー番組も持ちました」

――お笑いタレントとして順調だった飯田さんがなぜ占いの道に入られたのですか。

「1996年にお笑いの世界に入って、しばらくしてある占い師と出会ったんです。性格とかズバズバ当てられて、占いをするほうが向いていると言われました。でも、よくよく見るとその人、四柱推命(しちゅうすいめい)の本を見ながら話していたので『その本をください』『ダメです』みたいなやりとりがありまして(笑)。それからお金を出していろんな占いを勉強しに行くようになったんです。そうして自分のことを占ううちに表に出るいわゆる“演者”には向いていないということがわかり、裏方としての放送作家に力を入れていくようになりました。

 名古屋から上京し、楽屋でいろんな人を占っていると、某大手プロダクションのファンクラブサイトで占いをやってほしいとか、コンパで占ってほしいなど、どんどん占いの仕事の比重が大きくなっていきました」

――その当初から、飯田さんは相手が有名無名を問わず、ほとんど無償で占うというスタンスを続けていらっしゃいますね。

「イべントは場所が必要だったりするので場所代をいくらかいただいてますが、基本、ぼくは無償で占いたいんです。それには理由があって、ひとつはぼくが上京する前に500円で占うすごい占い師のおばあさんに出会ったこと。秋に出会ったんですが、『桜の咲く頃にご飯が食べられるようになるよ』と言われて、本当に春にテレビ東京でレギュラーが決まったんです。それ以外にもいろいろ占ってもらって助けてもらった。すごく感謝しました。それからぼくも『占いでお金を取らない』と決めたんです。

 もうひとつの理由は、これは続けてみてわかったことですが、無償で占うほうが情報が入ってくるということです。『タダだから』という気安さでいつもは占いなんてと思っている人も面白半分にやって来る。だからこそイベントとかコンパとか、あまり秘匿性のないところでもたくさんの人を占える。そのデータの蓄積が四柱推命とか算命学(さんめいがく)とかいう歴史的な占いのデータの上に新たに加えられるわけです。

 だから、生年月日からの占いのほかに『ボーダーを着る女は、95%モテない!』というような行動心理学的な占いが生まれてきたんです」

――行動心理学的な占いとは今までになかった面白い観点ですね。

「例えば『ボーダー…』の場合、ぼくのイべントに恋愛相談に来る女性が圧倒的にボーダーを着ていたんです。あるときは8割ボーダーだった(笑)。それでボーダーを着ている女性に『恋の悩みですね』と言ってみたら『なんでわかるんですか!』とみんな驚く(笑)。逆にお金持ちの男性を観察していると、例えば『トイレは必ず真ん中を使う』といった共通点がわかってきたり。また、ある日の同じ時間に『ふられました』というメールが一斉に入ってきたりすることがあるんです。あれ? 人間って思ったよりもシンプルで、案外ざっくりしたものなのかも、と思えてきたんです」