『1985年のクラッシュ・ギャルズ』柳澤健/文藝春秋

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書名は『1985年のクラッシュ・ギャルズ』という。著者の名は柳澤健である。1つの時代を描くノンフィクションとして、たまらない興奮を感じながら本書を読んだ。あの天才レスラーたちの前半生が、こんな風に紹介されていく。

長与千種は1964年12月8日に長崎県大村市でこの世に生を受けた。
わが子を日本一の競輪選手に育てるという夢を持っていた父・繁は、生まれてくる子が男の子だと勝手に決めつけて出産祝いの準備をしていた。それが女の子だとわかると繁は、用意していたシャンパンをすべて叩き割った。父親が千種を男の子として育てようとしたため、彼女は母・スエ子に買ってもらった赤い靴を履くことができなかった。千種が小学校に上がるとき、父親は黒いランドセルを、母親は赤いランドセルを買ってくれた。どちらも選べずに千種は、ショルダーバックで学校に通った。
10歳のとき、借金のために一家は崩壊した。出稼ぎのために神戸に移住した両親は、千種を親戚の元に預けた。長与千種は中学校を卒業するとすぐに上京し、全日本女子プロレスの門戸を叩いた。一山いくらの練習生、「お前等の代わりはいくらでもいる」と脅されながら千種はようやくデビューを果たした。1980年8月8日、同期の大森ゆかりに敗れる。
千種は同期の中では落ちこぼれで、先輩や同期からは邪魔者扱いされた。ストレスから全身に湿疹が出たため、さらに冷たくされた。せっかくつかんだ全日本ジュニア王座も、後輩の立野記代に「押さえ込み」で敗れて失った。押さえ込みとは選手たちを競わせ、対抗意識を抱かせるために全日本女子プロレスのオーナーだった松永兄弟が強いていたルールで、技の流れも何もなく、ただ押さえ込んでカウントを取ったら勝ちという「ガチンコ」の試合に適用されるものだ。3つ取られた後、長与千種には何も残ってなかった。最後に唯一残されたチャンスが、全日本シングル王座を持つ同期のライオネス飛鳥に挑戦することだった。プロレスという世界に絶望していた千種は、飛鳥を訪ね、ある提案をする――。

ライオネス飛鳥こと北村智子は1963年7月28日に東京徒杉並区で出生した。
子供のころに彼女を傷つけたものは肥満をからかわれることだった。小児結核の治療のため幼時にステロイドを服用していたので、その副作用で肥っていたのだ。自分の体格が嫌でたまらなかった飛鳥は、ある日つけたテレビに解決策を見出す。当時人気絶頂だったビューティペアを知り、ジャッキー佐藤のようなプロレスラーになりたいと考えたのだ。激しいトレーニングを繰り返した結果、中学卒業のころには彼女の体はトップアスリートのそれとなっていた。1980年初頭に、飛鳥は念願の全日本女子プロレスに入門する。
入門後1年が経過したとき、全日本女子プロレスでは1つの事件が起きた。団体の最高峰であるWWWA世界シングル選手権試合で、チャンピオンだったジャッキー佐藤が横田利美(のちのジャガー横田)に「押さえ込み」で敗れたのだ。つまり試合は完全な「ガチンコ」だった。すでにビューティペアは解散していた。ジャッキー佐藤には商品価値がもうないと判断した松永兄弟が、上り坂の横田を当てて王座から引きずり落とすことを選択したのだ。一世を風靡した佐藤も、これであっさりと引退に追い込まれてしまう。
実力によって栄光を掴み取った横田が、新たな飛鳥の目標となった。横田と同じように練習に打ち込んだが、そこには落とし穴があった。同期の中ではずば抜けた実力を持つだけに、飛鳥には観客を引き付けるような試合の表現力が欠けていたのだ。壁に当たり、行き詰まりを感じていたある日、格下の同期である長与千種がやってきて、一つの提案をする。「明日の全日本選手権では禁じ手のない試合がしたい」と。
ライオネス飛鳥は受けた。
それが全日本女子プロレスの栄光の日々、クラッシュ・ギャルズの時代の始まりだった。かつてそういう時代があったことを30代後半以上の読者は記憶されているはずである。女子プロレスの興行がタレントのコンサート並みの人気を博し、追っかけや親衛隊と呼ばれるファンまで現れた。クラッシュ・ギャルズは崇拝されるべき偶像だった。

本書は柳澤健のプロレスに関する3冊目の著作である。注目すべき点は柳澤が毎回叙述の方式を変えてきていることだ。
最初の著作である『1976年のアントニオ猪木』(文庫化にあたり加筆増補して完本版とした)は、1976年にアントニオ猪木が闘った4つの試合の語られざる側面について取材し、真相を明るみに出すという性格の本だった。特にモハメド・アリ戦についての掘り下げ方は素晴らしい。総合格闘技という競技はこの1976年のアントニオ猪木の活動が大砲の導火線となって始まった面があるといわれている。その通説を無邪気に神格化するのではなく、格闘家としてリングに上がったひとびとのアスリートとしての純粋さを淡々と描いたところにこのノンフィクションの価値はある。事実の重みを読者は思い知ることになるのだ。それが魔術のような効果を生む。文中でははっきりとは書かれていない事柄が、あぶり出しのようにページの枠外に浮かび上がるのである。それゆえに寸鉄の鋭さがある。
次の『1993年の女子プロレス』はインタビュー集だ。柳澤本人に確認したところ、本当は別の形で著作とする予定だったが、各インタビューの内容があまりにおもしろかったため、素材をそのまま活かす方針に切り替えたという経緯だという。その言葉のとおり、極端に強い自我を持つひとびとの言葉は実に興味深い。おもしろいのは、あまりに自己主張が強いためにそれぞれの証言が食い違う場面が多々あることだ。柳澤はいちいちその真相を確かめようとしない(前作とは違った行き方だ)。人にはそれぞれの真実があり、その真実の交差するところを生きていくしか道はないということを、この本は教えてくれるのである。
そして三番目の本書である。ライオネス飛鳥、長与千種それぞれに取材して柳澤が書いた記事、ルポルタージュが本文の原型になっている(飛鳥のほうが時系列では先)。2人の才能を持つレスラーが出会い、影響を与え合っていったことが、結果として「クラッシュ・ギャルズ」という社会現象を生むに至った。その過程を、冒頭で紹介したように並行して進む二つのストーリーとして柳澤は書いている。長与千種のそれは、観客を操る力を手に入れた100年に1人という天才女子レスラーが(ということは長与しかそういう存在はいないのだ)、自身の望む王国を手に入れるために苦闘していく物語だ。幼時にすべてを奪われた少女が、逆にすべてを作り上げていくのである。ライオネス飛鳥は逆に、純粋であるがゆえの挫折のストーリーだ。理想と現実のせめぎあいが常に飛鳥の中にはあった。葛藤し、自分なりの進む道を見つけていく物語である。両者の人生は、二重螺旋のモデルのようにところどころで接点を持ち、そして離れていく。その時折の接点が実に美しく描かれている。

 ――精神的ショックでフラフラになりつつ花道を戻った飛鳥は、赤コーナーの扉を開けた。
 そこには長与千種が両手を広げて待っていた。(中略)
 飛鳥と千種は、もう九年間も口を利いていなかった。(「第十章 冬の時代に」)

さらに柳澤は、千種と飛鳥に続く第3の視点を取り入れた。ファンの目である。クラッシュ・ギャルズというブームを前に進ませた動力、内燃機関は言うまでもなく2人の心のうちにあった。しかしそれをブームとして認定したのは、長与千種と北村智子という2人の存在を自らの人生を託すに足るものとして受け入れ、全精力を尽くして応援した観客たちだった。圧倒的に女性、しかも10代の少女が多かったファンが、いかにしてクラッシュ・ギャルズを発見し、いかにして信者となっていったかを柳澤は描いている(そのモデルになっているのは、古参のプロレスファンなら誰でも知っている某関係者だ。確認の楽しみを残すためにあえて名を秘す)。この第3の視点を取り入れたことにより、本書はプロレスという現象の単なる後追いではなく、ブームがなぜ起きるのかをつきつめたルポルタージュとして成立したのである。ゆえに、プロレスファン以外の読者でも本書を読む意味がある。
叙述の違いということを先に書いた。本書の文章には『1976年のアントニオ猪木』とは違った形の謎解きが内包されている。ここでは特に記さないが、「ブームの正体」を書いたノンフィクションであるということから勘のいい方は察せられるはずである。長与千種とライオネス飛鳥の人生がもっとも光り輝くその一瞬の後に、柳澤健は本書の中で最も研ぎ澄まされた一文を置いた。そのために本書は、残酷なまでに美しく閉じている。すべてを藪の中へと放り出すことを選んだ前著と異なり、本書で柳澤は円環を閉じることを選んだのだ。そのことの意味は、読んで確かめていただくしかない。(杉江松恋)

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