『居酒屋の世界史』下田淳/講談社
歴史の記述に残りにくい大衆の生活や気持ちが渦巻いていたであろう居酒屋についての本『居酒屋の世界史』。

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『居酒屋の世界史』という新書が出た。内容はタイトルの通り古今東西の様々な居酒屋という場のあり方を探求している。

中世ヨーロッパの人々がわいわいと騒ぎながら、トランプで賭けなんかやってる姿は容易にイメージできる。三国志的な世界で、ヒゲの大男がカメに入った酒を持ってこさせる場面も、漫画なんかでおなじみ。居酒屋で歌や踊りや賭け事が繰り広げられていたのは納得がいく。しかし世界史の中には、ネットカフェも到底かなわないような多機能居酒屋がゴロゴロ存在していた。

たとえば驚いたのが、ヨーロッパでは医療行為も居酒屋で行われた演芸の一種であったという記述。江戸時代の「ガマの油」みたいに薬売りがペラペラとパフォーマンスをしながら薬草を売ったりするのはなんとなく想像できるが、酒場の客の虫歯を抜いたり、コブを切ってやったりする医療行為まで日常的に行われていたというのだ。

他にも居酒屋は金を貸し借りする金融機関としての機能を持っていたり、売春や冠婚葬祭に使われるのはもちろん、劇場や裁判所としての機能を居酒屋が果たしていた地域・時代も存在する。

本書の良さは、ただ居酒屋に関する珍しい話が並んでいるだけでなく、それが通史として考察されているところ。読んでいてとても興味深く不思議なことに、ヨーロッパでもアジアでもイスラム圏でも、酒は元々儀式と結びついていて、教会や寺院で飲まれるものだった。祭りも結婚式も葬式も宗教施設で行い、それに伴う宴会もそこで行われた。そういう、聖なることと俗なることをどちらも行う宗教施設から、やがて俗なるものが分離する形で宿屋や居酒屋、レストランなどが生まれたという。

やがて居酒屋が貨幣経済の浸透に伴い、都市だけでなく農村にも生まれる。様々な機能を持ちながら人々の交流の場として紆余曲折をたどり、やがて最終的には現代の「たのしく酒を飲む場所」という機能だけが残ったという。劇場機能や演芸は、映画館や演芸場に分化し、それも既にテレビなどの影響で衰退している。ドラクエの世界のように酒場で仲間や仕事を探す機能も、職業斡旋所などが専門に作られるようになってからは居酒屋でやることではなくなった。かつてヒトラーが演説を行ってナチスを作ったのも居酒屋だったが、現代だったらフェイスブックとかなんだろう。

居酒屋発祥の他にも酒に関しては世界共通の出来事が不思議と多く、各地で出された禁酒令もその1つだ。度数の高いアルコールが大量に作れるようになると、泥酔が社会問題となった。アメリカ、ヨーロッパ、日本、色んな時代で禁酒令が出されたが、大体どこもそれぞれの理由で失敗に終わっている。また、イスラム圏では酒は厳しく禁じられていると思いきや、コーランには「酒とギャンブルは良いこともあるけど、悪いことのほうが多い」ぐらいにしか書かれていないらしく、そういった社会での居酒屋の増え方、利用のされ方に関する記述も面白い。

酒に関してこれまでに国内外で出版された多彩な本から豊富な引用を行い、古代中国やギリシャなど世界中の詩や文学から当時の証拠を集め、醸造技術や国の財政などの側面からも考察を行う。居酒屋という切り口で歴史の動きを追い、文化圏ごとの比較が全10話構成でわかりやすく展開されており、満足度の高い本だった。講談社現代新書より、740円。
(香山哲)