『マスカレード・ホテル』杉江松恋/集英社

写真拡大

怒涛の東野圭吾イヤー、ようやく一段落。
9月9日に新刊『マスカレード・ホテル』がお目見えしたことにより、止まるところを知らなかった2011年の東野圭吾新作刊行ラッシュはようやく落ち着いた感がある。振り返ってみれば、
1)新春2日、加賀恭一郎シリーズ『赤い指』2時間ドラマ化→3月に出る加賀シリーズの新刊題名が『麒麟の翼』であるとドラマ内で発表。
2)1月12日、話題作『秘密』の原型作品を含むお蔵出し短篇集『あの頃の誰か』が文庫オリジナルで刊行。
3)3月3日、『麒麟の翼』刊行→後に映画化が発表される。
4)6月6日、〈探偵ガリレオ〉湯川学シリーズ最新長篇『真夏の方程式』刊行。
 という流れである。お気づきの方もいるかもしれないが、今回の『マスカレード・ホテル』の発売日は9月9日。そう、3の倍数のぞろ目で実は揃えられていたのだ。ということはもしかすると、12月12日にも何かが出るのかしらん。この他にも『夜明けの街で』が岸谷五郎主演で映画化されたり、ノンシリーズ長篇が三作連続でTVドラマ化されたりと、東野圭吾がらみの話題がノンストップで提供され続けてきたわけである。ファンの方は、追っかけるのがたいへんだったでしょうね。おつかれさま。

さて、一応その最後を飾ることになった『マスカレード・ホテル』である。今年刊行される新作長篇の中では、唯一のノンシリーズ作品ということになる。
舞台となるのは、東京都内にあるシティホテルだ。フロントクラークで働く山岸尚美はある日、支配人から仰天するようなことを告げられた。警視庁からの要請があったのである。都内で連続殺人事件が発生し、警察は次の現場が同ホテルになるという極秘情報を得た。事件を未然に防ぐために、数名の警官をホテルの従業員として潜入させてもらいたいという。尚美の担当するフロント業務はもっとも客に近く、ホテルの看板といってもいい部署だ。そこにも異分子が入りこむことになるという。げんなりしながらも山岸尚美はその刑事、新田浩介の指導を開始する。どう見ても刑事そのものの新田を、ホテルマンにふさわしい顔つき、物腰に変えていかなければならない――。
『マスカレード・ホテル』の読みどころは3つ。1つは連続殺人事件に絡む謎だ。それ以前の殺人現場には、無意味に見える数字のメッセージが残されていたのである。そのロジックを説いた結果、警察はホテルが次の現場だと断定した。ではいったい犯人の目的は何か。なぜ法則性のある形で殺人の罪を犯しているのか。そうした謎が最後に明かされる。ミステリー小説としての醍醐味はそこにあるのだ。
もう1つの読みどころは、山岸尚美と新田浩介という2人の主人公の対立関係にある。ホテル従業員と警察官は絶望的に相容れない立場にある。一方の目的は接客で、お客の言い分を120パーセント受け入れ、快適に過ごさせることを目標にしている。もう一方の目的は犯人検挙で、見る者すべてを疑ってかかるのが仕事だ。山岸尚美と新田浩介は、お互いの職分を守ろうとして火花を散らすような対立関係に入る。ここで楽しいのは、2人が完全なプロフェッショナルだということである。2人には、事件を未然に防ぎ宿泊客に危害が及ばないようにさせるという共通の目的がある。それだけが頼りであり、相容れない立場の2人が互いに妥協点を見つけようとして奮闘するのが〈仕事小説〉として見た場合の『マスカレード・ホテル』の読みどころなのだ。自分の仕事ぶりにちょっと自信がなくなってきたな、なんて思っている人は読んでみるといいんじゃないのかな。
最後に、ホテルという舞台自体のおもしろさを挙げておきたい。ホテルにはさまざまな人々がやってくる。それを群像劇として描く〈グランドホテル形式〉という叙述のスタイルがあるくらいだが、あえて作者はその方式をとらなかった。宿泊客たちの人生は、山岸と新田という2人の主人公のそれと少しずつ交差し、2人の中にほのかな感触のようなものを残して去っていく。最初は刑事そのものの人格しか持っていなかった新田も、宿泊客との触れあいによって内部でなんらかの変化が起きていくのだ。脇役の1人1人に意味があり、多数の人間が登場することが小説の性格を形作るという、深みのある構造をこの小説は持っている。
ホテルという場所柄、とても華やかであり、フルコースをいただいているようなご馳走感もある(続篇という名のお代わりを頼みたくなる読者もいるでしょうね)。秋の夜長には、充実した内容の娯楽小説をどうぞ。
(杉江松恋)