『死のテレビ実験---人はそこまで服従するのか』クリストフ ニック (著)、ミシェル エルチャニノフ (著)、高野 優 (翻訳) /河出書房新社
テレビ番組の環境下では、81パーセントの人が「もうやめて!心臓が痛いんだ!」と言っている相手にも電気ショックを流してしまう。

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クイズ番組に出演した一般人二人組。二人は初対面で、一人は回答者、残りの一人は出題者になる。回答者は何度間違えてもいいが、間違えるたびに出題者から罰を受けなくてはいけない。テレビでたまに見るルールだよね。

ところがこの本に載っている番組はニセモノの番組で、心理学実験のために企画されたクイズ番組だ。回答者が間違えるたびに出題者は「電気ショック」を与える。間違えを繰り返すたびに、その電圧が20ボルトずつ上がっていく。苦しむ回答者をよそに、司会者が「さあ続けてください!」、ADが合図をして観客が「おーしおきっ!おーしおきっ!」と促すと、出題者は電気ショックを流すレバーを押してしまう。まあこれも、よくあるシーンだね。

ただこの番組では回答者は「もうやめてくれ!」と泣き叫び、最後には何もしゃべらなくなる(というシナリオで実験を進める)。それでも最後(460ボルトの電気ショック)までクイズが進行させる割合は、全出題者の81パーセントを記録した。テレビ番組という非日常世界に巻き込まれた人は、その大多数が、お祭り騒ぎに追従して人をも殺してしまうかもしれないという恐ろしい結果だ。

これはフランスで2009年に行われた社会心理学の実験で、元々は1960年代初めにスタンレー・ミルグラムという学者が行った「服従実験」、通称「アイヒマン実験」の現代版アレンジなんだ。ミルグラムの実験では、クイズ番組じゃなくて試験問題。「先生役」と「学習者」に分かれて、あとは大体一緒。先生役が罰を与えるのを躊躇していると付き添っている科学者が「続けてください」と促す。学習者は実は役者で、何問目に間違えて、電気ショックでどんなリアクションをとるかまで録音で決まっている。

だんだん学習者のリアクションが「痛い!」「もうやめてくれ!」「ここから出してくれ!実験は終わりだ!」と叫ぶようになってくると、先生役の被験者もうろたえはじめる。実験を中止したいだとか抗議しだすと、科学者は

(1)「どうぞ続けてください」
(2)「続けてもらわないと、実験が成り立ちません」
(3)「続けていただくことがどうしても必要なのです」
(4)「あなたには選択の余地はありません。続けなくてはならないのです」

と、だんだん強く服従を迫ってくる。セリフ(4)にも負けずに抗議すれば実験終了。服従しなかったことになる。実験は「記憶に関する実験に協力してもらう」という条件で開始されるので、従わなくても被験者は何の身の危険とか損害はないんだけど、「科学者」という権威を前にした被験者の62.5パーセントは、服従して、最後まで電気ショックを与え続けてしまう。「人がいかに権威に服従しやすいか」、「ナチスドイツみたいな支配と追従は、いつでもどこでも起こる可能性がある」ということを証明した歴史的実験だった。

そう、気づいた人もいると思う。クイズ番組の実験では、服従率81パーセント。ほぼ同じ構造の実験にもかかわらず、テレビの権威の方が強いとも思える結果だ。1日平均数時間もテレビと付き合い、日々刺激の強い番組に慣らされ、「面白いならば何でもオッケー」というルールを学習している僕らは、無意識の内にテレビ的な価値観に服従しやすくなっている。

先進国のテレビのバラエティ番組はどこでも、誰かが痛い目にあったり、屈辱的な思いをしたり、多額の自腹を切ったり、プライバシーをさらけ出したりしないと人気が取れない。この傾向はITバブルとその崩壊に伴って、テレビ業界全体の予算が減ってきてから急速に強まっているとされている。「やらせ」かどうか、作り物かどうかはともかく、実際社会で他人に対して行ったら確実に犯罪になることばかりが毎日放送されている。24時間テレビでも最近では「絶対最後まで走れなさそうなランナー」や「特殊な境遇を持った芸能人」を選出する傾向がある。とにかく人気のためにはインパクトだ。

「それがテレビの世界だから」と流すことが当たり前になっているけど、起こっていることは現実だ。早食い番組を真似した子どもが実際に死んでいるし、整形でキレイに生まれ変わる番組は、手術が失敗して前よりはるかに社会的不利益をこうむる可能性は伝えない。お見合い・合コン企画も多いけど、勢いでできたカップルにDV問題とかが生じたって全く責任は取らない。それでも視聴者にはどんどん「テレビのノリ」が現実に浸透してゆく。

本書ではこの「死のテレビ実験」の紹介と、考察を丹念に行っている。被験者が泣いて「もうできないんです…」とクイズの中止を懇願したり、「はは、次は200ボルトか、参ったな…」と笑うことで自分の緊張をほぐそうとしたりするメカニズムまで、様々な服従模様を解析している。

もちろん「死のテレビ実験」も「アイヒマン実験」も、被験者は「実験や収録の募集に応募するような人たち」だというバイアスはあるんだけど、果たして「テレビの収録にあなたをご招待します!是非どうぞ!」と言われて絶対に断るって人はそこまで多いだろうか。僕はこの本を読んで、自分がテレビに呼ばれて後悔する様なことをしてしまう場面を何度も想像してしまったし、「視聴率のためなら何でもやるテレビ」のすぐ横には「アクセス数のためなら何でもやるインターネット」があるわけだし、『死のテレビ実験』、どなた様も読んで損はないと思います。
(香山哲)