左から朝日、読売、毎日の紙面。いずれも8月24日朝刊。

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報道の本質とかけ離れた「えくぼ記事」の害悪



 1986年春、私が大学を卒業して新聞記者になりたての頃、赴任先の三重県津市での話だ。夜「知的障がい者」の合唱コンサートがあるというので、カメラを片手に県のホールに出かけた。

 当時の私の担当は警察署で、交通事故や火事で人が死んだ、重体だ、とそんな取材ばかりしていた。こういう「福祉もの」ほか「街ダネ」は、私のような一番下っぱ、取材技術の未熟な新人記者の仕事になっていた。

 支局の事務所に「行事のお知らせ」とかいうファクスが来る。デスクが「烏賀陽君、これ見に行っておいて」と私に「振る」のだ。

 会場のホールに入る。受付で名刺を出して来意を告げると、中から初老のやせた男性が出てきた。きっちりした背広を着ている。その福祉施設の理事長、と名刺に書いてあった。

 「あんたが朝日サンかいな」

 孫のような23歳の私を見た理事長は、ニコニコしながら言い放った。

 「あんたら、コロシやタタキやいうて殺伐とした記事ばかり書いているから、わしらみたいな『えくぼ記事』が必要なんやろ?」

 この一言は25年経ってもいまだに忘れられない。出合い頭に一発食らったようなものだった。(サツネタとちがって)「いい話、ほめる話だから取材に行けばきっと喜んでもらえるだろう」「読者も喜ぶだろう」と考えていた若いぼくの偽善を、この理事長は(半分冗談かもしれないが)見抜いていたのだ。

えくぼ記事に見られる4つのパターン

 25年も前の些細な逸話を持ちだしたのは他でもない。3.11報道を見ていると私がかつて新人の頃に書いていた「えくぼ記事」そっくりの記事が連日紙面を埋めているからだ。

 4月1日の本欄で、3.11報道の「美談記事」はほぼすべての発想が定形化されていることを書いた。またその「物語」のパターンも列挙しておいた。「えくぼ記事」はこうした美談記事のサブジャンルと言ってもかまわない。

 例えば、以下は、今日この原稿を書いている8月24日の朝日、読売、毎日の朝刊紙面である。見事にえくぼ記事が並んでいる。

 えくぼ記事のパターンはだいたいこうだ。

(1)ポジティブな物語、(2)笑顔の写真、(3)復興あるいは回復の物語のセットである。

 そして、(4)としてもう1つの重要な要素は「悲嘆」「憂鬱」「不安」「憎悪」「対立」「離別」「離散」「絶望」など「負の人間的要素」を一切消去してあることだ。

 私は実際に岩手県や福島県の被災地を取材して歩いたので、こうした「えくぼ記事」がいかに人間の「矛盾」「奥の深さ」「不可解さ」に無頓着かすぐに分かる。

町工場のオヤジは津波被害をなぜ豪快に笑い飛ばしたのか

 岩手県野田村に入った時だ。海岸から地平線の山裾まで、視界の限りが津波で平らにされていた。廃材の泥沼になった村をとぼとぼ歩いていると、向こうから作業服を着た町工場のオヤジ風の男が歩いてきた。ずいぶん人の姿を見ていなかったので、うれしくなって「こんにちは」と挨拶したら「おつかれさん」と返事をしてくれた。それがきっかけでしばらく立ち話した。

 「ここにわしの自動車修理工場があった」

 オヤジは紙ごみのように膨れ上がった鉄材の山を指さした。

 「で、あれが見えるか」と、30分ほどかけて歩いてきた山裾に、スレートの壁がついた屋根が見える。遠くて見えないので、望遠レンズでのぞくと「遠山モータース」とあった。

 「あれがうちの工場だ。あんなところに流されよった。ワハハ」

 オヤジはワハハと金歯を剥いて笑った。

 「あいつも動いたことがないから旅がしたかったんだろ。ワハハ」

 「じゃあ屋根は使えますね」

 「馬鹿言うな。使えるわけねえだろう。ワハハ。まあオレも廃業だな。ワハハ」

 オヤジはいちいちワハハと笑った。私はそのたびにアハハ、と力なく笑って相槌を打った。どう言っていいのか分からなかったからだ。人口5000人弱の村が平原になってしまうほど破壊されているという現実そのものが理解不能なら、全財産を破壊された人がそれをネタに笑っているという現実がまた理解不能なのだ。

 だが、そのうちに分かってきた。このオヤジ本人も、この現実を受け入れることができない、というか現実感がないのだ。だからまるで人ごとのように冗談にして大笑いしている。「あまりに理不尽な現実に追い込まれると、逆に笑えてくる」という話は、阪神・淡路大震災でも聞いたことがあった。それほど現実が過酷なのだ。

 まだある。津波で流された自動車が見つかった。運転席の他のものは全部残っていたのに、iPodだけなくなった。つまり、誰かが盗んだ。家も畑も全部流された老夫婦に最後に残った財産であるトラクターを、誰かが盗んだ。

 食料、水、下着、着替えなどの救援物資はあり余っていて、何がほしいかと聞いたら「酒とタバコ」と言われた。避難所に真っ赤なケータリングトラックがボランティアで来て、被災者に豪勢なチキングリル定食をふるまった(ボランティアは隣でコンビニおにぎり)。災害の中、ヨメと姑がケンカする。夫婦が離婚する。家が破壊されても隠れてセックスをする。不幸の中で笑う。冗談を言う。

 全部私が被災地で聞いた話ばかりだ。

 人間は矛盾している。複雑だ。「建前」や「きれいごと」だけで固めても、それは現実ではありえない。それは取材者の予想を簡単に裏切る。まして、遠く離れた都会でニュースだけ見ている人々の期待など、現実には何の関係もない。

書かれているのは「消毒された現実」

 こうした現実を踏まえて「えくぼ記事」を見返してほしい。まったく顔から火の出るような恥ずかしい、おめでたい話ばかりだ。まるで中学の生徒会長が書いた作文のように世間知らずな内容である。

 こうした話は単純かつ単調で、まったく奥行きがない。人間の複雑さ、多面性、矛盾した面をまったく消去してしまっているからだ。

 人間の現実は、正のこともあれば負のこともある。希望や不屈があれば憎悪やズルや悪さがある。その人間の現実から「正」の側面だけ取り出すから、報道はどんどんリアリティーを失い、中学生の生徒会活動のような子供じみた記事が増殖する。

 書いてあることはウソではない。が現実でもない。「被災者はこうあってほしい」「復興はこうあってほしい」という「願望」であって、現実ではない。これは意図的に現実の一部を消去した「編集された現実」である。あるいは「消毒された現実」と言ってもいいだろう。

 誰の「願望」なのか。もちろん被災者の願望でもあるだろう。被災しなかった読者でもあるだろう。そして記者がそれらを先回りして忖度した「願望」でもあるだろう。これはかつて同じような「えくぼ記事」を書いていた身としてはよく分かる。「書かれた取材対象者が喜んでくれる」「記事を見て被災者が励まされる」という記者や新聞社の期待もある。もっと言えば「被災者を励ますような記事を書いて掲載すれば、社会が記者や新聞を賞賛してくれる」という「願望」もある。

 しかし、これはおかしな話だ。報道の目的は事実を伝えることであって、励ますことではない。取材によって現実を修正してはいけない。してはならない、とまで言えないなら、少なくともそれを目的にしてはいけない。

 こうした「えくぼ記事」は報道が現実に関与し、修正してしまっている。「取材対象に当事者として関与してはいけない」という「独立の原則」を逸脱しているのだ。 

 3.11報道から消去されている「人間の負の現実」の最大の要素は「なぜこんなに大量の人が死んだのか」である。なぜ逃げ遅れたのか。地震で倒壊した建物で圧死したのか。津波で溺死したのか。

 ダイヤモンド・オンラインが検死医(高木徹也・杏林大学准教授)にインタビューしてこの答えを出している。

 これはいい記事だ。死体の検死結果から、なぜ逃げ遅れたのか、どんな人が犠牲になったのか、どうして犠牲になったのか、などが克明に分かる。津波の犠牲者たちの「次は私たちのようにならないでくれ」という「遺言」=「教訓」が学べるのだ。

 95年の阪神・淡路大震災では、検死医に取材して、犠牲者の死因の8割が焼死ではなく圧死であることが記事になっていた。倒壊した建物の下敷きになったのだ。神戸市長田区の商店街が爆撃のように炎上する写真を見慣れていた私には、これは意外な報告だった。

 「犠牲者の多くは木造家屋の1階で寝ていて、そのまま下敷きになった」「2階にいた人は死なずに済んだ」などの記事を読んで、老朽家屋の1階から2階へ寝室を移した人が多かった。

 3.11報道では、こうした「死因の検証」すら忘れ去られている。本来は、えくぼ記事に投入されている記者を、手分けして死体の検死をした医師の取材に回らせるべきだったのだ(マヌケだが、今からでも遅くない)。

経験が浅い記者でもどんどん書いて紙面を埋められる

 なぜえくぼ記事のような「おめでたい話」が被災地の「現実」として毎日掲載されるのか。

 1つは、ラクだからである。笑顔の写真を撮る。名前や年齢を聞く。話を聞いてそれをカギカッコでくるむ。つまり全文が「被取材がこう言った」内容であり、記者が責任を負う地の文がない。せいぜい1時間もあれば終わる取材だろう。

 どこかで見たことがあるフォーマットだと思ったら、これは夏の高校野球(朝日新聞社が主催する行事)の「スタンド雑感」の記事にそっくりなのだ。

 こうしたプレハブ的な簡単な記事で紙面を埋める理由は分かる。1つは、震災の応援要員として、全国の支局にいる若い記者(入社1〜8年目前後)が大量に被災地に投入されたからだ。その数は、朝日新聞を例にとると、震災直後の仙台総局だけで1日50人。盛岡、福島の東北3県で450人にもなったという。

 こういう「応援組」の記者は1〜2週間で交代してまた帰る。取材地で人脈ができて深い話が聞ける前に去る。土地勘もほとんどできない。

 冒頭の福祉施設のコンサート取材が、入社して数カ月の私の仕事だったことを思い出してほしい。「えくぼ記事」は簡単で無難(批判や苦情がめったに来ない)なので、経験が浅い記者でも土地勘のない記者でもどんどん書ける。

 私もそうだったが「複雑な人間の姿」を捉えきれるような人生経験がある記者は少ない。だからいきなり投入された20代の記者でも紙面を「埋める」のに役立つ。

「泣きじゃくる人にマイクを向けない」ことは正しいのか

 そしてもう1つ書いておかなければいけない。「えくぼ記事」は書かれた方も書いた記者も傷つくことがない。感情的な摩擦を避けに避けた結果がえくぼ記事なのだ。

 『大震災・原発事故とメディア』(大月書店)はメディア総合研究所がまとめたテレビ・ラジオ記者たちの3.11取材の報告集である。

 ここに仙台放送(フジテレビ系列)アナウンサーだった早坂まき子さんの文章が収められている。

 <私は泣いている人の心をえぐるような取材をしたくない、という思いでした。仙台放送の報道デスクも『無理に話は聞かなくていい、それはお前の判断に任せる。無理をしない範囲で、どういうお気持ちで来られたのかインタビューを撮ってこい』 このように私に指示を出していたのです。>

 <『私は泣きじゃくる人にはマイクを向けたくありません。会社もその映像を放送しますでしょうか』 するとその考えでいいと思うよとカメラマンも同意してくれたので、ほっと胸をなでおろし、再び取材続行となりました。デスクの言う【無理をしない範囲】をつかみとった瞬間でした。>

 この文章を読んだ時、私は非常に混乱した。私が考える記者像とは著しくかけ離れているからだ。

 興味を持ってネットで調べてみると、この早坂さんは1981年生まれだという。若いが、新人とも言えない。にもかかわらず、3.11のような世界史的規模の大災害を取材するとは思えないような話なのだ。

汚れ役を引き受けないのは阪神・淡路大震災の教訓か

 が、本を読み進めると、これは早坂さんだけの特性ではないことに気づいた。テレビの取材記者の多くが「いかにして被災者の感情を傷つけないか苦心した」という話ばかりするのだ。そして「それに悩んだ」と延々と繰り返す。

 もちろん、家族を失い財産を破壊された人に話を聞くのは怖い。躊躇する。記者はみんなそうだ。25年間この仕事をしている今の私だってそうだ。そんなことは人間的良心のある者なら当然かつ自然なのだ。

 だが、記者の職責は、そうした個人の感情的な葛藤を超えた行動にある。「罵声を浴びようと、傷つけようと、悪者になろうと、多数の読者のために、記録すべきは記録する」という「職責のために憎まれ役を引き受ける覚悟」なのだ。

 これは「多くの読者の知る権利のために、自分を犠牲にする」という自己犠牲だ。より多くの公共の利益のために、職業的良心を個人的良心よりも優先させるという覚悟でもある。

 しかし、3.11報道の現場にいたテレビ・ラジオ記者たちの多くは「汚れ役を引き受ける職責」を安易に捨てている。私は愕然とした。

 ふと思いだしたのは「阪神・淡路大震災の教訓」だ。95年の当時、犠牲者の家族に遺体安置所の前でマイクをつきつけ「お気持ちは」と聞くような取材が轟々と非難を浴びた。あのトラウマ体験がテレビ取材を覆っているのだなと気づいた。

 当時テレビ局に入社した若者は今、40歳前後。おそらくデスクとして上記のような女性アナウンサーに指示を出していることだろう。そう思ってみると「安否情報ではなく『行方』」「遺体ではなく『ご遺体』」「がれきと呼ばない」などなど、取材対象者、あるいは視聴者に「ネガティブな感情」を起こさない修辞にはやたらに細かい。

家族を失った人に会って取材するのは当たり前

 こうした「取材相手を傷つけない取材」には強い誘惑がある。1つは、現実的な理由。抗議への対応など面倒くさい雑用が減る。そして「取材相手を傷つけるような自分への嫌悪感」を回避できることだ。

 私が25年前に記者になった時に先輩に叩きこまれたことの1つは「記者は人の不幸でメシを食う賤業だ」という認識だった。「人の不幸を他人に知らせるという卑しい仕事をしている自己犠牲を払い」、しかし「それが多くの人々の利益になると信じて、誇りを持って職責を果たす」ということだった。

 しかし、この「記者は賤業」という自己犠牲の精神は廃れている。「かっこ良くて華やかな仕事」ほど甘くはなかろうが「世のため人のために役に立つ仕事」だと単純素朴に考えている記者を私はたくさん見ている。それは「誰も傷つけたくない」という自己愛と背中合わせである。

 ついでに言っておくと、家族を失った人に会って取材するのは当たり前だ。カメラとマイクを向けて「今のお気持ちは」と尋ねる取材の技法が幼稚すぎるのだ。これはまったく別の次元の問題設定であるにもかかわらず、混同されたまま時間が経ち「とにかく全部やめておけ」になってしまった。

 「えくぼ記事」「えくぼ取材」がはびこる理由は、新聞とテレビでは別のようだ。新聞では組織の断片化と紙面制作の手抜きのためだ。テレビは「取材相手も自分も傷つけたくない」という自己防衛である。こうして、報道から失われていくのは「現実感覚」である。まるで底の抜けたバケツのように。


筆者:烏賀陽 弘道




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