三軒茶屋「氷 石ばし」はこのとおり本業は氷・ドライアイスの専門店。その店先でかき氷を食べさせてくれるのです。木の匙ですくって食べるかき氷は格別の味がします。

写真拡大 (全2枚)

「最近、蒼井優ちゃんは次いつお店に来ますか、って聞いてくるお客さんが多いのよね」
氷イチゴを匙で突き崩していると、店のおばちゃんが常連客らしい男性に話しているのが聞こえてきた。
「優ちゃんも昔はちょくちょく顔を出してくれてたんだけど、もうお忙しくなっちゃったから。『次がいつかはわかりませんよ』って言ったら『じゃあ、わかったら連絡してもらえませんか』だって。そう言われても困るのよねえ」
と、おばちゃんは苦笑いする。
私がそのときいたのは、東京・世田谷区三軒茶屋の老舗「氷 石ばし」だった。三軒茶屋の駅から玉川通り沿いに歩いて、分岐する中里通りのほうへ少し入ったところにある。店に入ると、大きな昔ながらの氷削り機が、でん、とカウンターに居座っている。機械が店のあるじであるかのような存在感だ。土間に置かれているのは低めの長机と丸テーブルだけ。長机をはさんで縁台が二つ据えてあるが、大人のお尻だとちょっとはみ出しそうになる。子供たち向けのサイズなのだろう。そういえばこの店、最低価格は250円からだ。250円で氷みつやいちご、メロンなどが食べられる。奮発して練乳をかけても、100円高くなるだけだ。
蒼井優『今日もかき氷』から「石ばし」に関する記述を拾ってみる。

――氷とドライアイスの専門店〈氷 石ばし〉が、書き氷を始めたのは40年ほど前。お店のご主人が「近所の子供たちに本物の氷を食べさせてあげたい」と、昔ながらのかき氷を販売しはじめたそうです。(中略)今日は大好物のミルクを、2杯目にお母さん推薦の紅茶ミルクをいただきました。吟味された紅茶シロップに年代物の削り機でシャッシャッと削られた氷、濃厚なミルクで何層にもなった紅茶ミルクは、まるでロイヤルミルクティーのようなコク。(後略)

『今日もかき氷』は、「10代のときに初めて行った台湾で」「かき氷の美味しさに目覚め」たという蒼井が、そのかき氷愛を熱く語りつつお気に入りの店を紹介するというガイドブックだ。元になっているのは雑誌「カーサ・ブルータス」の連載「蒼井優の春夏秋冬 かき氷」である。
冒頭に紹介した「氷 石ばし」の他、どんなときにも人が並んでいる地元の有名店・都立大学の人気店「ちもと」や十条の「だるまや餅菓子店」など、32店舗が紹介されている。私は「氷 石ばし」のように昔風の当たり前のかき氷が好きなのだが、「いちごの崖みたいな」かき氷生いちごを提供する目白「志むら」や、焼肉屋のデザートとしてかき氷を出す(しかも氷ほうじ茶という変わりメニュー)青山「よろにく」など、変わりだねの店も紹介されている。ふうん世の中にはいろいろなかき氷屋があるのね、シャクシャク(氷いちごをちょっと崩した音)。
紹介されている店は都内二十三区が中心だ。しかもなんだか地域に偏りがあるように感じられる。これはたぶん蒼井優が本当に自身の行きつけを紹介したということなのだろうね。生活圏の中に、お気に入りのかき氷屋の位置がマッピングされているのだろう。なるほど。たしかにこれを読めば、お店に「いつお店に来ますか」って聞きたくなるかもしれない(でも迷惑だからよしましょう)。
もちろん東京以外のかき氷店も取り上げられているのだが、印象的なのは蒼井が好きだという4店舗が紹介されていることだ。これは平野久美子『台湾好吃大全』で仕入れた知識なのだけど、台湾には日本人がびっくりするほどのかき氷専門店があり、しかも大型店舗が多いそうなのである。そこで生み出された中に、チャーミーという特殊なかき氷がある。氷を板状に削った特殊なもので、『今日もかき氷』によれば東京・渋谷区の「台湾物産館」で食べることができるそうだ。これはちょっと行ってみたいね。

ところで、かき氷には一つ困った点がある。基本的に昼間食べるものであり、仕事帰りにぶらっと寄るのが難しいということだ。かき氷屋の多くは甘味処だから、早い時間に店を閉めてしまうのである。じゃあ『今日もかき氷』を読んでも実際に店に行くのは無理じゃん、所詮サラリーマンはガリガリ君でもかじって寝るしかないじゃん、と思ってしまった人には思い切って発想を切り替えることをお勧めする。店で食べられなければ、家で作ればいいじゃない! シャコシャコって自分で削って食べればいいじゃない!
そこで役に立つのが、『今日もかき氷』でも紹介されている湘南・埜庵の店主・石附浩太郎がレシピを提供した『お家でいただく、ごちそうかき氷』だ。この本と家庭用氷削り機さえあれば、自宅にいながらにして名店の氷を味わうことも可能なのである。
本書のありがたい点は、埜庵で出している「基本のシロップ」と「練乳」の作り方を公開していることだ。基本のシロップはそのまま氷にかければ「氷みつ(地域によっては氷すいともみぞれとも)」になるし、市販のシロップであってもこの基本のシロップと1:1で割れば、驚くほどに変わって奥行きのある味になる。
一般の人に教えるのは初めてだという基本のシロップのレシピは、ここで秘密を明かすのも悪いので実際に本を手にしてご覧になってもらいたい。ちょっとだけネタを割ると、グラニュー糖のほかに数種類の砂糖、それと粉寒天などが必要になる。実際に私も台所で作ってみたが、出来上がったシロップはほんのりと茶色く、無色透明なガムシロップなどとはまったく別物に見えた。このシロップをジューサーにかけた果汁などと合わせて用いるのである。
『お家でいただく、ごちそうかき氷』には、そうした本格かき氷のレシピがいくつか紹介されている。たとえば「いちごシロップ」の場合、上の基本のシロップと生のいちご、冷凍いちご、そしていちごジャムという3種類のいちごを使って作るのである。こうして作ったいちごシロップは「粘度も濃度も高く、たっぷりかけても氷に沈みません」という。縁日などでシロップをちょっぴりしかかけてもらえずに悔しい思いをしたことがある人は、この濃厚シロップを作ってみればあのときの意趣返しが叶うのではないだろうか。市販シロップは無果汁のジャンクな味がしてあれはあれで好きなのだが(名前の由来がよくわからないブルーハワイとか)、こちらの果実版も試してみて損はない。
いちごのようなありふれたものからぶどう酒、コーヒーなどの変わったものまで何種類もシロップの作り方が載っているので、好奇心旺盛な人はいろいろ試してみよう。特殊なもの、高価なものを使わず、手に入る範囲で材料を揃えられるのが本書の嬉しいところである。季節のものでは、すいかや甘栗を使ったシロップもある。

ただし、実際に作ってみて気付いたことがあった。この本で紹介されている通りに作ると、1リットル分のシロップができてしまうのだ。これを消費するのは独り住まいの人には無理である。私も警戒して半分量で作ってみたが、それでも多かった。作り終えてから注意書きを見ると「基本のシロップは糖度が高いため、未開封の状態で常温での賞味期限は2〜3日、冷蔵庫保存では約1週間」とあった。うわっ、もっと目立つように書いておいてよ! 1グラム未満しか使わない材料もあるので、少しだけ作るというのもちょっと無理そうだ。そうだな、えーとあれだ。ホームパーティーとかして、お客を大勢呼ぶときに作っておくといいんじゃないかしらん。そんなにホームパーティーはしないって? いや、近所との付き合いは大事だよ!
ちなみにこの基本のシロップ1リットルを作ると、各種の砂糖や水あめなど500グラムを超える材料が必要になってくる。砂糖の種類によって異なるが、たとえば500グラムがぜんぶグラニュー糖だとすると、ざっくり言って2000kcalの熱量だ。1杯のかき氷に100ccの基本のシロップを使うとして200kcal、他の材料と合わせることを考えるとそれ以上を摂取することになるだろう。これはご飯一膳分に相当する。かき氷って、案外熱量が多いのである。冷たいから鈍感になってしまうけど、砂糖のかたまりです。
すでに夏も終わり、スーパーの店頭からかき氷のシロップも消えたが、涼風が心地良くなるまでは、まだまだ時間もかかることだろう。それまではぜひ、かき氷で暑さを克服していってもらいたい。ただし、作りすぎとカロリー摂取量には気をつけて。売るほど出来てしまったら一人で食べようとせず友達に連絡だ!
(杉江松恋)