親愛なる『CALCIO2002』から原稿の依頼があった。「長友佑都のインテル移籍の経緯について、実際に何があったのかを教えてほしい」とのこと。我々インテルとしては、隠さなければならないことは何もない。また、メディアには推測の情報も多数混じっていて、それらを総合すると食い違いも生じてくるだろう。それを整理する意味も込めて、カルチョメルカート最後の2日間で何が起きたのかをここに記そう。

 真っ先に明確にしておきたいことがある。それは、インテルはジャパンマネーを目当てに長友を獲得したわけではないということだ。まず最初にあったのは、「レオナルド率いるチームに若くて有能なサイドバックを加えたい」というアイデアである。

 左サイドバックのポジションには、ダヴィデ・サントンという将来を嘱望される選手がいる。だがこの1年間、インテルが彼にとって大きな成長の場になることはなかった。フロントは、彼により多くの実戦体験を積ませるべきだと感じていた。かくしてインテルは、その100年以上の長い歴史の中で初めて、日本人プレーヤーを獲得するためのオペレーションを開始したのである。

■長友獲得のオペレーションはブランカの主導によるものだった

 1月30日、スタディオ・サン・シーロの貴賓席で、インテルにおけるチーム強化の総責任者であるマルコ・ブランカは、マッシモ・モラッティ会長とスポーツディレクターのピエロ・アウジーリオに長友獲得の意思を伝えた。「今晩、チェゼーナに電話しようと思う。サントンと長友とのトレードが可能かどうか、チェゼーナ側の意向をチェックしておきたいんだ」と彼は言った。

 これは、パレルモ戦でサントンが左サイドバックとして彼のキャリア最低とも言うべき悲惨なパフォーマンスを演じる前の話である。ブランカはサントンの優れた才能を認めながらも、成長のためには落ち着いてプレーできるプロヴィンチャのクラブに行くべきだと考えていた。そして「長友はアジアカップでも素晴らしいプレーを見せた」と言った。ここで重要なのは、アジアカップでのプレーがブランカの目に留まったわけではないということだ。以前から長友に注目していた彼にとって、その獲得は決してサプライズではなく、以前から温めていたアイデアなのである。

 ブランカは長友についてこう話してくれた。「インテルは各ポジションごとに10数名の選手をリストアップして、その動向を追っている。長友がインテルの獲得候補にリストアップされたのは南アフリカ・ワールドカップの時だ。チェゼーナへの移籍が決まる前から、我々は彼に注目していたんだよ。その能力はもちろん、24歳という若さと将来性を高く評価していた。その後、彼をイタリアに連れてきたフィッカデンティ(チェゼーナの監督)からも長友の情報を入手していた。フィッカデンティの評価もすごく高いものだった。もちろん、日本代表監督のザッケローニにも意見を求めた。ザッケローニは長友の献身的なプレーを称賛していたよ。彼らの“保証”があって、私の長友獲得の意思は固まったと言える」


■執筆者/パオロ・ヴィガノ
1965年5月23日ミラノ生まれ。1991年から『Tuttosport』紙の記者を務める。2004年、マッシモ・モラッティの要請によりインテルの広報となり、現在は広報部長を務める。生まれついてのインテリスタ。著書に『インテルの世紀』がある。

[カルチョ2002|2011年3月号(2月11日発売)号掲載]

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