もっとも、ワイドショウをこよなく愛すオバサン的な目には、この光景が美しいものに見えたはず。僕にもそうした視点があるのでその気持ちよく分かる。駒野は絶対人気者になる。悲劇の主人公として日本人の心を打つに違いない。岡田サンを越えるかも知れない。哀れな駒野の後ろ姿を見た瞬間、僕はそう直感したものだ。

だが、スポーツライターとしては、ここから先、触れるべきではない領域になる。その件を駒野に問い詰めた瞬間、ライター生命はお終いだといってもいい。PK戦というクジ引きに失敗した運の悪い男に接近すべきは、ワイドショウのリポーターになる。

日本に帰国した駒野は、読み通りメディアから引っ張りダコになった。ついに、大真面目な報道ニュース番組のスポーツコーナーにまで登場。それなりに年期を積んだ女子アナから、PK戦について質問を受けた。サッカー的ではない、スポーツ的ではない、ワイドショウ向きのテーマについて迫られたわけだ。で、メインキャスターは、そのコーナーの最後に「今後の活躍の弾みにして欲しい」と結んだ。

お門違いも甚だしいとはこのことだ。インタビューのメインはPK戦。クジ引きだ。プレイでは全くない。僕にはそのインタビューが、「サッカー的」には、甚だ失礼なものに見えた。

日本には、ワイドショウと報道の間に境がないといわれるが、この一件などはその典型。スポーツ報道が深追いするべきではない線を越えてしまった良い例だと思う。

僕が駒野だったら、たぶんブチ切れていただろうし、そもそもPK戦メインのインタビューなどには、応じていなかっただろう。PK失敗直後に、ミックスゾーンで多少無理してでもべらべら喋り、それでお終いにしていたに違いない。だが、それでは日本の大衆受けはしない。逆に、なんて軽い奴だと、反発を食っていた可能性さえある。悲劇の主人公を演じていた方が、日本の現状を考えると得策なのだ。

「サッカー的」なものを的確に受け入れる環境が、日本には決定的に欠けているのだと僕は思う。そうした意味では、サッカーではグループリーグ落ちした南アのスポーツ報道の方が、ずっと「サッカー的」だった。一言でいえば真面目。少なくともタレントはそこに存在しなかった。毎晩、それらしい大人が、キチンとサッカーについて語り合っていた。僕も綺麗なお姉さんや、お笑い系が嫌いなわけではないけれど、それとこれとは別。「サッカー的」には不似合い。調子外れに見える。南アの生活が、少しばかり懐かしく感じられる今日この頃である。

記事をブログで読む