講演や研修などで企業を訪れるたびに、痛感させられることがあります。それは、ほとんどの企業でコミュニケーションが軽視されているということです。

 ここ数年、ビジネスの世界では人材育成の必要性が叫ばれ、多くの企業で社員の能力を高めるような取り組みがなされています。

 社員の創造性を高める研修を積極的に行なったり、能力主義にもとづく評価制度を導入したり、トップダウン型の組織図を見直したり、あるいは情報の共有化を図るためにネットワークを構築したり……。実際、かなりの時間と労力が投入されています。

 けれども、ここで誤解が生まれているのです。あたかも、これらの取り組みを必死で行なえば、社員は能力を開花させ、社内の情報の流れも良くなって、組織が活性化するような印象すら受けます。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。たしかに、それぞれの試みは大切ですし、それなりの効果は見込めるでしょう。ですが、肝心のコミュニケーションが満足に行なわれていなければ、どの試みをとっても十分な効果は見込めなくなってしまいます。

 これらの試みは、いずれも部下を束としてみています。しかし本当は、束の中には一つひとつ表情があって、その表情の人たちが心からやる気にならないかぎり、組織は変われないのです。そのためには、表情を持ったリーダーが、表情を持った一人ひとりの部下と対話し、部下が何を考えているのか、部下の個性をどうすれば引き出してあげられるのか、それを真剣に考えて行動に移さなければなりません。

 ところが残念なことに、日本の企業ではこれまでコミュニケーションが軽視されてきました。現在も同じです。「コミュニケーション能力というものは人から教わるものではなく、自然に身につくもの」という考え方をしている人が実に多いのです。学校でも、コミュニケーションに関する学習やトレーニングが驚くほど軽視されてきました。

 学校でも企業でも、あらゆる組織は人の集団です。人の集団である以上、コミュニケーションほど重要なものはありません。情報伝達にしても、意思の疎通にしても、ベースには人と人との心のキャッチボールが存在しているからです。

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