――デビューからもうすぐ6年が経とうとしていますが、「世界が良くなればいい」という考えは以前からもっていたのですか?

森山:いいえ。全然、そんなことは無いですね。

――いつ頃から?

森山:もしかしたら、ずっと心の奥底にあった気持ちなのかもしれないけど、つい最近、御徒町とそういう話をした感じかな。「世界が良くなればいい」って、「お前、何様だよ?」という、歯の浮くようなセリフじゃないですか?でも、絶対にそうだもん!世界が良くなって、「未来は明るい」とみんなが思えば、俺はきっとそうなると思っているから。でも、混沌としてる今、こういう風潮の中から少しずつ何かの終わりが来て、新しい方向に時代が向き始めているんじゃないかなと。そういう風潮は本当に要所要所で見受けられるし。

でも俺そのことは、いつも疑問だったの。「なんで、こんな時代に生まれてきたんだろうな?」って。「もっと幕末が良かった!」みたいな、非常に子供っぽい、無いものねだりの発想ですよ。でも「もしかしたら、まんざら今の時代もこれから面白くなってくるかもしれないな」という気配があるというか、無下に混乱して欲しいとも思わないし。だけど、何かが変わる時って多分、色んな膿が出ている時というか、清算されている季節なのかな?とも。だから、そういう事件が起こるかもしれないし。問題なのはそれが清算されて、乱れたものが正された時に、秩序あるというかモラル、「で、何がしたいの?どこに行くの?」という部分。そのイメージが、これからすごく問われるのではないのかな。

――自分が望んだ通りの形かどうかはさておき、自分の音楽が多くの人達に影響を与えているという実感はありますか?

森山:個人的に、あるかもしれないですね。

――今回の曲をきっかけに、聴いてくれた人がそれぞれに何かを考える一つの機会になればいい、という考えでしょうか?

森山:死生観というよりも、「“生きる”って何だろう?」とか、そういうことを。俺その質問を聞かれると、初めてこのポエムに触れた時の感覚にどうしても立ち返らないと、上手く言葉が出てこないんだけど。すごく涙が出てきたんですよね。でも、「素敵だなぁー」とか「感動した!」という意識も無いぐらい、「俺、泣いてる!?」みたいな(笑)。最後の「くたばる喜びとっておけ」というフレーズを読み終えて、フワァーって霧が晴れたというか。パァーって一筋、自分の中で救いがあったという。そのことだけなんですよね。

そういう風に苦しんでいるやつらは、たくさんいるんじゃないのかな?みんな無意識の中に、「自分達は悲しみの中に生まれてきたんだ」と思っていて。もし、「生きてることが辛いことだ」という大前提からスタートできれば、きっとそれはネガティブな表現ではなく、「生きてることは辛いことなんです」、でも「そこから何ができるか?」。だから自分達は未来に希望を持つし、誰かと有意義な時間を過ごしたいし、何か映画を観て心が動かされたりするし。そこには絶対に“楽しみ”が前提にあるんですよね。だから、それを自分達の中でまず受け止めること。

でも日々生きていて、「くたばる喜びとっておけ」というイメージを常にもっていられるわけじゃないし。だって毎日、目の前には現実的な問題がたくさんあるんですもん!でも、自分が何を一番大切にしたいのか?それが自分の死に顔なのか、幸せになりたいでもいいし、金持ちになりたいでもいいかもしれない。そのイメージをできるだけ強く持って、毎日、自分と向き合う、人と対峙する。何でもない日常なんだけど、いつもそのイメージをもっていることがすごく大切なんじゃないかと思っていて。「その答えが、この歌の中にはある」と思ったんですよね。

俺いつも本当に困った時は、どんなに言葉が詰まっても、自分の中で「くたばる喜びとっておけよ」「今なんて、大した問題じゃないよ」って言い聞かせるんですよ。だけど、人間関係とかお金の問題とかコンプレックスとかトラウマとか、色々な要素が自分の心の足を引っ張るというか、バランスを崩して負のスパイラルに陥ってしまうような、生きてりゃそんな誘惑はたくさんあるから。でも、そのことに振り回されて生きていくのって、楽しくないじゃないですか?でも、「何が大切なのか」「何がしたいの?」でもいいし、いつもそこに自分のイメージを置いていられれば、自分が今まで足枷だと思っていた経験とかコンプレックスとか劣等感が、例えば誰かの悲しみを理解できたり、きっと生きていく上での大切な材料に、自分の中でもすごく財産になるのではないのかなと。だから、「この歌の中にはその答えが絶対にある!」と思ったから、歌おうと思ったんです。これを上手く説明したいんですよ。なかなか説明できないんだけど(笑)。「歌を聴いて」というのがもう実直な所ですね。