――CMのオンエアからリリースまでに期間が空いていますが、今このタイミングで発表したいという考えはあったのですか?

森山:CMが決まった時点では、あまりそういう風に思わなかったんですけど。でも、さっき言っていた一人一人に伝わっていく強さとかを見て、きっと自分が「縦書きのポエム」を読んで、感動して歌にして、御徒町が「いい」と言ってくれた。その二人で作ったものが、また目の前の人、自分の一番近くの人達の共感を得ている。「これはきっと、その向こうにいるリスナーのみんなにも、今なら届くだろう。俺が悲しいんだから、みんなも悲しいはずだ」。それはすごく勝手な考え方なんだけど、もし同じ時代の中でみんなで共生しているのだとしたら、絶対に同じ傷がついているだろうし、同じ喜びを分かち合えるんじゃないかなと。そういう大きな大きな希望から、リリースは今このタイミングなんじゃないかと。

――「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」と始まる歌詞が賛否両論を呼んでいるようですね。「くたばる喜びとっておけ」と締めくくる最後まで聴いた上で、敢えてその箇所に触れるなら、個人的には「誰でも良かった」などと言って無関係の他人を殺してしまうような事件を思い浮かべ、社会へ向けたメッセージのようにも受け取れました。ただ一方で、形はどうあれ反響を呼ぶことはリリース前の段階である程度予想できたかと思うので、それらを覚悟の上でも発表すべきと思ったのでしょうか?

森山:そうですね。実はそこまで現状をきめ細かく把握していないのと、賛否を呼んでいることに対しての予想は、僕個人としては無かったですね。御徒町は勘がいいから、もしかしたら…。ただ、いずれにしても、それぞれの人がそれぞれの環境で色々な考え方を持って生きているから、賛否があって当たり前だし、無きゃ気持ちが悪いし。ただ、その断片だけがテーブルに上げられて、賛否の的になって、この曲が風化してしまうのが終着点じゃないから。その奥にある「くだばる喜びとっておけ」という真意が、人にどれだけ深く強く伝わるかが、この曲に持っている自分達の希望でもあるし。そういう意味では、自分達の予想に反して、違う部分で一人歩きしている部分もきっとあるので。だから、出来るだけ最後まで聴いてもらえるような機会を自分達から率先して設けていかないと、きっと「いっそ小さく死ねばいい」という言葉に対しての、本意ではない誤解を招いてしまう。基本的には、聴いた人の受け取ったことが全てだとは思っているんですけど。99人がこの曲の真意を理解してくれても、1人に間違った形でとられたら、それは自分が望んでることではないので、あってはならないことだと俺は思っているから。

――森山さんは現在32歳ですが、今後、自分としてはどうありたいですか?

森山:自分は、いつも健康な状態で、歌っていたいぐらいかな。あとは、世界が良くなれば。上手く言えないんだけど、例えば「9.11」のテロの事件を見ても、どこか引っ掛かるのは「他人事じゃない」ということ。だって、あの劣等感はみんなが持って生きているんだもの。だけど、例えば素敵な小説に出逢ったり、大切な仲間とか親でも恋人でもいいし、そういう人達との触れあいの中で、「こういう劣等感を持っているのは、俺だけじゃないんだな」って、どこかで気付けるタイミングが実はあって。だけど、その機会が一切無く、全て蓄積して、これはもう先入観の域だけど、それで例えばロールプレイングゲームをやってリアリティが、次元が一個減っちゃうみたいな。もちろん「自分がこうあったらいいな」みたいなのはあるかもしれないけど、「世界が良くなればいい」とずっと思っている。そしたら、みんなが良くなるんだから。