「オタクが気兼ねなく同人誌を広げられるお店にしたかったんです」…「ひよこ家」店長が振り返る「秋葉原にメイドカフェができた頃」
国内外を問わず、秋葉原を観光で訪れる人の目的地として挙げられるのが、メイド服姿の店員が接客する「メイドカフェ」である。メイドカフェは、2000年代以降の秋葉原文化を語るうえで象徴的な存在であろう。「お帰りなさいませ! ご主人様」のフレーズで有名であり、新潮社で書籍化された『電車男』のドラマなどにも登場する。
【写真】秋葉原で2番目に歴史のあるメイドカフェ「ひよこ家」の内部 オーセンティックな装いのメイドさんも
当初は奇異な目で見られていたメイドカフェは、もはや文化として定着した感があり、NHKの番組で取り上げられる機会も増えた。また、近年はメイド以外にも様々なテーマのカフェが誕生し、総称してコンセプトカフェ、略して“コンカフェ”と呼ばれる。

そんなメイドカフェは、秋葉原にどのようにして定着したのだろうか。秋葉原でも老舗として知られるのが、開業順に「CURE MAID CAFE(キュアメイドカフェ、以下同)」「ひよこ家」「Cafe Mai:lish(カフェメイリッシュ、以下同)」の3店だが、今回はそのなかでも隠れ家的存在として愛される「ひよこ家」の店長にインタビューを行った。
2001年に誕生したメイドカフェ「ひよこ家」は「キュアメイドカフェ」に次ぐ老舗で、同店が始めたことで定着したサービスは数多い。「TVチャンピオン」のアキバ王選手権にも登場したり、開業翌年、現在は世界的なゲームメーカーを率いる武内崇氏と奈須きのこ氏が訪問していたりと、メイドカフェはもちろんオタク文化の歴史を知る生き字引的存在でもある。【取材・文=山内貴範】
オタクが集える場所を作りたい
――「ひよこ家」は秋葉原で2番目に誕生したメイドカフェだそうですね。
店長:はい。「キュアメイドカフェ」さんが最古で、「ひよこ家」が2番目。この2店が2001年に開業しています。続いて、「カフェメイリッシュ」さんが3番目に誕生していますね。2000年代半ばに秋葉原ブームが起き、メイドカフェがたくさん誕生しましたが、なくなってしまった店もたくさんあります。ところが、今挙げた3店は残っているんですよ。
――そもそも、「ひよこ家」が生まれたきっかけは。
店長:私個人の話になるのですが、実家が飲食店を経営していて、食べに行くことが大好きなオタクでした。ところが、オタクの人が集まれる飲食店って、当時はほとんどなかったのです。イベントの仮設店舗はありましたが、常設の店舗は珍しかったんですよね。
当時、オタクであることを活かせる職業は、今ほどたくさんありませんでした。私は漫画家やイラストレーターのようなクリエイターになれるわけではなかったし、あとはアニメショップの店員という道もありましたが、飲食業界ではなかなかオタク趣味を発揮するのは難しかったと思います。そこで、私自身もオタク趣味を活かせて、なおかつオタクが集える場所を作ろうと思ったのがきっかけです。
開店初日は大行列に
――店長さんは、前例がほとんどない中で、なぜメイドカフェを始めようと思ったのでしょうか。
店長:2000年前後、同人文化の一つとして、かわいい飲食店の制服がブームになりました。制服をテーマにした同人誌即売会がたくさん開催され、私も「アンナミラーズ」の制服が好きで、そういう同人誌を買っていました。ちなみに、当店の最初のスタッフは、「コスチュームカフェ」という同人誌即売会でスカウトしたのです。
美少女ゲームやアニメでもメイド服を着たキャラが人気でしたし、「キュアメイドカフェ」さんもそういった流れで生まれたお店です。また、秋葉原駅前にある「ゲーマーズ」のキャラ「デ・ジ・キャラット」はメイド服を着ていましたし、そのイラストが描かれた“でじこビル”が完成していました。そういった時代の空気も大きかったと思います。
――開店当日の反響はどうでしたか。
店長:開店したのは2001年11月10日で、11時オープン、21時ラストオーダー、22時閉店でした。開店当日はなんと、閉店まで行列が途切れず、住宅街の一区画を一周するほどぐるっと列ができて、終日満席。開店前にはネットで告知を出し、チラシをオタク系のイベントで配布したところ、おたっきぃ佐々木さんなどが広めてくれたのが大きかったと思います。
お客さんは全員が濃いオタク
――凄い反響ですね!
店長:驚きましたよ。初日は休憩する時間がなかったほどで、その後もお客さんがたくさん来てくださいました。メイドカフェというコンセプトが珍しかったのもありますが、当時の秋葉原では、夜中まで営業しているお店自体が珍しかったという理由もあると思います。当時の「キュアメイドカフェ」さんは18時頃の閉店でしたが、うちは22時までやることにしたのです。
20時過ぎたら、秋葉原はほとんどのお店が閉まってしまい、真っ暗でした。今ほど居酒屋もありませんでしたし、「ドン・キホーテ」もなかったので、本当に真っ暗。私が「22時までやる」と周りに話したところ、「秋葉原でそんな遅くまでやるのか」と言われたくらいです。
――今だと信じられないですね。そんな秋葉原で、「ひよこ家」が受け入れられた理由はなんだと思いますか。
店長:「キュアメイドカフェ」さんは今でも純然たる喫茶店で、当時は女の子も名札を付けていませんでした。当店は名札があったので、自然とメイドさんとお客さんの交流が生まれていました。そもそも、うちに来ている時点で、みんな濃いオタクなんですよ。だから、お客さんにも仲間意識があったと思います。
あと、安心して同人誌を広げられる点も、受け入れられたのではないでしょうか。当時のコミックマーケット(以下、コミケ)のカタログを読むと、「一般的な飲食店では同人誌を広げられない」という声が出ていたんですね。
うちなら、コミケや「とらのあな(注:同人誌を扱う専門店)」で買った同人誌を広げても大丈夫。現在の推し活ブームでは一般的になってきましたが、フィギュアを箱から出して、写真を撮ったりするのも自由でした。オタクのみなさんが、気兼ねなく趣味を楽しんだり、会話ができる飲食店を求めていたのだと思います。
第2回【「うちを訪れる外国人客は100%オタクです(笑)」…秋葉原の老舗メイドカフェ「ひよこ家」店長が明かす「お帰りなさいませ! ご主人様」を使わない理由】では、秋葉原の老舗メイドカフェ「ひよこ家」の店長に、メイドカフェ定番のあの挨拶の秘密や、メイドカフェ文化がどのように育っていったのかについて詳しく伺いました。
ライター・山内貴範
デイリー新潮編集部
