日本の衰退に直結! パスポート保有率の低下が「ゆゆしき事態」である具体的な事情
福島みずほ氏の質問への反発
社民党の福島みずほ党首が4月23日、参議院の外交防衛委員会で、日本人のパスポート保有率が低いことについて、次のように質問した。
【写真】米デトロイト「低所得エリア」で感じたうらやましさ 日本に無くて “高貧困率のラストベルト”にあった光景
「パスポートの保有率が17.8%、やっぱり非常に低い。アメリカ48%、韓国45%、ドイツ80%。2010年代は20〜25%、2019年は23.8%だったのが、どんどん下がっています。これは円安あるいは貧困、あるいは物価高や、やはり少子高齢化、いろいろあると思いますが、これはちょっと、やっぱりゆゆしき事態ではないか。いかがでしょうか」

福島党首の日ごろの発言に対しては、筆者は必ずしも、共感することが多いとはいえないが、この質問にはおおむね同意した。日ごろからいだいている危機感を、珍しく(?)福島党首が代弁してくれたと感じた。その理由に関しては、追って詳しく述べたいが、筆者が驚いたのは、ネット上に福島氏の質問に反発する声が目立ったことだった。
「なにがゆゆしき事態なのか具体的に示してほしい」「パスポートがなくてもなにひとつ不便を感じることはない」「外国人は海外から大勢きていて、いつも接触している」「福島氏は国民感情がわかっていない」「なぜ国内旅行じゃダメなのでしょうか」といった趣旨の書き込みが目立ち、それらが大きな共感を得ていたので、なおさら驚かされた。「国会で質問するようなことなのか」という反論もあったが、まさに国会で質問すべき内容だと筆者は思う。
この問題を検討するにあたっては、最初に2つの前提を示しておきたい。1つは、海外に行きたくない人に行くことを強いようというのではないということ。もう1つは、海外旅行はいまや庶民には高嶺の花なのに、という感情が反論の背景にありそうだが、「高嶺の花」になっている現状こそが問題視されている、ということである。そこの理解に齟齬があると、感情論に堕してしまいかねない。
激減する日本人留学生
パスポート保有率が低いことの弊害として、真っ先に挙げられるのはなにか。日本人が内向きになって海外に目を向けないと、日本は世界の動きから取り残され、さまざまな方向で停滞するリスクが増す、ということだ。なによりそれがまずい。
200余年におよぶ鎖国のあいだに、江戸初期には世界の先進国といってもよかった日本が、どれほど後れをとって危機を招いたか。昭和初期に外交的に孤立した日本が、どれほど危険な道を突き進んだか。極端な話を挙げているのではない。
たとえばバブル崩壊後の30余年、日本人の賃金は上がらず、欧米諸国に大きく後れをとった。それだけでなく、高成長を続けた東アジアや東南アジア諸国とくらべても、日本の地位ばかりが相対的に低下してしまった。じつは、こうした日本の停滞の道筋は、日本人のパスポート保有率低下と軌を一にしている。
ゴールデンウィークにイタリアに出かけたが、羽田空港のITAエアウェイズの搭乗ゲートには、日本人が数えるほどしかいない。搭乗しても座席の9割はイタリア人であるように思われた。十数年前にはまったく逆で、イタリア行きの便に乗っても乗客の9割は日本人だという印象だったのが、見事に逆転してしまった。
ミラノでは、音楽分野を学んでいる2人の日本人留学生と食事をした。2人とも文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用し、助成を受けて留学しているのだが、個人の助成限度額である月30万円程度で生活するのは、かなり厳しいという。ただでさえ物価が上昇し、アパートの家賃も急騰しているなかで、激しい円安に見舞われているのだ。相当切り詰めても、まともな食事すらままならないという話だった。助成金が為替に連動していないので、円安によるダメージをもろに受け、かつての留学生のように留学を長期にわたって続けるのは困難だ、というのである。
日本人にはノーベル賞は獲れなくなる
それでも留学できている学生はいい。上記の2人も、数年前とくらべて留学を志向する人自体が激減していると語っていた。激しい円安を受け、経済的な理由で留学をあきらめざるをえない学生が急増しているのだ。それはすなわち、世界に伍する人材が育たないことを意味する。
筆者は音楽評論を仕事の1つにしているので、音楽の話題を出すが、たとえば、滝廉太郎や山田耕筰。明治時代に生まれた彼らが作曲した歌は「日本歌曲」と呼ばれるが、それは正確な表現ではない。それらの曲は、彼らがヨーロッパに留学して学んだ、ヨーロッパの音楽語法に則って作曲されたものだ。こうした例は、もちろん芸術にとどまらない。
学術の分野も同様であり、日本人のノーベル賞受賞者のなかには、海外留学を経験している人が少なくない。留学先ですぐれた指導者と出会ったり、研究を進めるためのすぐれた環境を得たりしたことが、のちの偉業につながっている。また、ノーベル賞を受賞できるのは、いうまでもなくごく少数だが、多くの若者が果敢に「海外雄飛」して学べる環境があってはじめて、すなわち、大きな分母があって、その一部がノーベル賞に到達している。
現在のように留学したくてもできず、結果として、パスポート保有率がどんどん下がるような状況が続けば、今後、ノーベル賞など日本人とは無縁になってしまうだろう。
日本の停滞に直結する
しかし、現在、勘違いしやすい状況にあるともいえる。サッカーW杯のメンバー26人が発表になったが、そのうち23名を海外組が占めた。野球のメジャーリーグを見ても、大谷翔平のみならず、今年から挑戦している岡本和真も村上宗隆も、めざましい活躍が話題になっている。
日本人の世界での活躍が、ある分野で目立つようになったのはまちがいない。だが、サッカーや野球のようなメジャーなスポーツにおける有名選手たちには、高い報酬が用意されるので、円安の影響は大きくない。
海外で学びたい、または、海外で学んだほうがよさそうだ、というときに、留学しやすい環境が整っているかどうかが問題である。メジャーなスポーツだけでなく、あらゆる分野において、留学したいと思った人にとって、ハードルが低く抑えられていることが望ましいが、現状はそうなっていない。世界中で物価が高騰している折から、1ドル=158円台、1ユーロ=184円台では、留学を断念するケースが少なからず出てくるし、最初から留学など視野に入らないケースは、さらに多くなる。
だが、それは日本の停滞に直結し、「パスポートなどなくてもなんの不便もない」といっている人も、結局は不利益をこうむることになる。
海外に行きたい人も、行ったほうがいい人も、なかなか行けない状況だから、パスポート保有率が低いのだろう。だったら、旅券発行の手数料を引き下げるのも大事だが、それ以上に円安の是正が大事だということになる。それが将来の国力に直結するからである。
また、行きたくない人に海外行きを強制する話ではない、と述べたが、行けるなら行ったほうがいい。海外に行くと、日本の、そして日本人の常識が、必ずしも世界の常識ではないことに気づかされる。その「気づき」の積み重ねで日本は豊かになってきた。なるべくなら一人一人が気づいたほうがいい、ということは強調しておきたい。
香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部
