(※画像はイメージです/PIXTA)

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「退職代行サービス」を利用する従業員が増加するなか、突然の通知に戸惑い、感情的な対応をしてしまう経営者や人事担当者は少なくないでしょう。しかし、その対応を一つ間違えれば、労働基準監督署の介入や過去の未払い残業代の発覚など、企業にとって致命的なトラブルに発展する危険性が潜んでいます。退職代行を無視し、貸与品の未返却を理由に最終給与の支払いを止めてしまった社長の事例をもとに、企業が取るべき正しい実務対応について、社会保険労務士の岡佳伸氏が解説します。

「給料は1円たりとも払わん!」退職代行の連絡を受けた社長の怒り

「退職代行? 本人から直接連絡がないなら、相手にしなくていいだろう」

とある企業の社長・Aさんは、退職代行からの連絡を「怪しい」「本人からではない」と考え、そのまま放置しました。さらに、制服や工具、社用スマートフォンなどの貸与品が退職者から返っていないことへの怒りから、最終月の賃金まで止めてしまいました。

「会社の備品すら返さないような非常識な人間に、最後の給料は1円たりとも払わん!」

たしかに、経営者の感情としては、理解できなくもありません。突然、退職代行から連絡が入り、本人は会社に顔も出さない。貸与品も返ってこない。現場に迷惑がかかっている。そうなれば、「非常識なのは相手だ」と思いたくなるでしょう。

しかし、この判断が会社にとって大きな落とし穴になりました。

労働基準監督署から突然の連絡…掘り返された「過去の未払い残業代」

退職者は、給与未払いの件を労働基準監督署に申告しました。その後、監督官から会社に連絡が入り、最終月の賃金不払いだけでなく、過去の未払い残業代まで確認されることになったのです。

結果として、会社には最終月賃金と未払い残業代の支払いを求める是正勧告が出されました。

退職代行を無視したつもりが、労基署対応に発展し、眠っていた残業代問題まで掘り起こされる始末。

「まさか過去のトラブルまで掘り返されるなんて……」

Aさんは、感情で対応したばかりに、会社を一気に不利な立場に追い込んでしまったのです。

「業者との交渉拒否」と「退職処理の放置」は違う

退職代行が広がる今、Aさんの事例は決して他人事ではありません。東京商工リサーチの2024年調査では、退職代行業者を利用した従業員の退職を経験した企業は全体で9.3%、大企業では18.4%に上っています。

もっとも、退職代行と一口にいっても、その中身は一様ではありません。大きく分けると、一般の民間業者が退職意思を伝える「業者型」、弁護士が代理人として対応する「弁護士型」、労働組合が団体交渉の枠組みで対応する「労働組合型」の3つがあります。

東京弁護士会は、退職代行サービスについて、弁護士等でない者が法律的な問題について本人を代理して相手方と話をすることは非弁行為にあたると説明しています。

残業代の有無や具体的な金額の算定、契約期間途中の退職、パワハラ慰謝料などは法律的な問題であり、単なる退職意思の伝達を超えて会社と話し合えば、非弁行為となる可能性があります。そのため、会社側が「この業者型退職代行に交渉権限があるのか」と慎重になること自体は間違いではありません。

問題は、その先です。「業者とは交渉しない」ことと、「退職処理を放置する」こととは違います。Aさんは、まさにこの線引きを誤りました。

労働基準法24条は、賃金について、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならないと定めています。会社が貸与品の返還を求めることは当然できますが、それを理由に、すでに発生している賃金を一方的に支払わないことは法律上許されません。

会社がすべきだったのは、退職代行に感情的に反発することではありませんでした。

本人の退職意思に基づく通知なのかを確認し、貸与品の返還方法を指定する。そして、最終賃金は支払期日に支払い、有給休暇や社会保険料、離職票の処理を粛々と進める。つまり、論点を一つずつ切り分ける必要があったのです。

貸与品未返却でも「賃金不払い」はNG…感情的な対応が招く結末

「退職代行を使った」「本人が謝りに来ない」「貸与品が返っていない」「だから給料は払わない」

この流れは、会社側の心情としてはわかります。しかし、実務上は危険です。労基署から見れば、貸与品が返っていないことは賃金不払いを正当化する理由にはなりません。しかも、労基署への申告をきっかけに、勤怠管理や割増賃金の支払い状況まで確認され、未払い残業代という別の火種まで表に出てしまうことがあるのです。

退職代行から一通の通知が届いたとき、会社が最初にすべきことは、怒ることでも、無視することでもありません。

業者型であれば法律的な交渉には応じないという判断はあり得ますが、退職手続きそのものを止めてよいわけではありません。その通知が、単なる退職意思の連絡なのか。それとも紛争の入口なのか。そこを見誤ると、最後に届くのは労働基準監督署からの連絡や、弁護士からの内容証明かもしれないのです。

岡 佳伸

社会保険労務士法人 岡佳伸事務所

特定社会保険労務士/1級ファイナンシャル・プランニング技能士