「体操選手のー!」印象的な掛け声で始まる持ちネタで知られる芸人・オラキオさん。「バナナマンのようなコント師になりたい」と飛び込んだ芸能界ですが、家族を養うために40歳前までアルバイト生活。さらに、ようやく芸人として手応えを感じた矢先、相方から突然解散を告げられて…。挫折続きの人生、夢を諦めかけた先で待っていた結末とは。

【写真】「え?誰?」国体出場時や板前修行時代の「まるで別人」なオラキオさん(7枚目/全12枚)

本当は「センス系コント師」になりたかった

舞台で華麗なバク転を見せるオラキオさん

── オラキオさんといえば、体操選手ネタのイメージが強いです。高校まで体操選手として活躍し、九州大会で優勝するほどの実力だったそうですね。芸人になった当初から体操選手ネタをされていたのでしょうか?

オラキオさん:本当は、バナナマンやラーメンズに憧れていて、シュールでカッコいいセンス系コントをやりたかったんです。元自衛官のテキサスと「弾丸ジャッキー」というコンビを組んで1、2年はその方向でやってみたんですけど全然、才能がなくて。

オーディションにもまったく受からない日々が続くなか、ワハハ本舗さん主催のライブに参加したんです。そこで演出家の喰始(たべはじめ)さんから「君たち、元体操選手と元自衛官っておもしろい経歴あるんだから、そのネタを作りなよ。体操選手とか自衛官の格好したほうがわかりやすいんじゃない?」とアドバイスされました。

体操服着てバック転なんて「全然センス系じゃない!」と思いましたけど(笑)、言われるがまま試しにやってみたら、ライブですごくウケて。テレビのオーディションも受かるようになりました。とんねるずさんの「細かすぎて伝わらないモノマネ」に出演した際、オリンピックオタクのタカさんに、マニアックな海外の体操選手のものまねがハマって。そこから弾丸ジャッキーが知られるようになったんです。だから、喰始さんと、とんねるずさんが、芸能界の恩人ですね。

映画の舞台挨拶がきっかけで、芸能界に飛び込んだ

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── そもそもお笑い芸人になろうと思ったきっかけは何だったのですか?

オラキオさん:これも不思議な縁なんですけど、本当は板前になりたくて修業のために佐賀から東京に出てきたんですよ。地元の友達が大好きだったから、「佐賀に飲食店を出してみんなが集まれる場所にしよう」と、小学校卒業時には決めていました。高校を出てから板前修業を始めて、上京したのが20歳の頃。田舎では見られなかった映画や演劇、お笑いライブが東京だといっぱいあるので、休みの日はエンタメを見るのが趣味でした。

僕、SABU監督が撮る映画が好きで。ある日、SABU監督や俳優さんが登壇する舞台挨拶があるというので早起きして順番待ちに並んでいたんです。そしたら、僕の前の人で満席に。それがものすごく悲しくて、悔しくて。「並ぶ側じゃなくて舞台に出る側になる!」と決心したんです。

上京してから、周囲のレベルの高さに圧倒され、板前としてやっていく自信をなくしていたのもあったと思います。親方の許しを得て次の見習いが来るまで2年ほど修行を続けたのち、23歳で芸能界に飛び込みました。

── 映画の舞台挨拶がきっかけということで、最初は芸人ではなくて俳優を目指していたのでしょうか?

オラキオさん:そこがミーハーなところなんですけど、舞台に立ったりテレビに出たりする「芸能人」になれたら何でもよかったんですよね。「俳優って顔じゃないし、じゃあ芸人か」という発想でお笑いライブのオーディションを受け始め、2003年にバイト仲間だった元自衛官のテキサスを誘って弾丸ジャッキーを結成しました。26歳のときです。

なかなかお笑いだけでは食べられなくて、アルバイトは10年以上続けていましたね。37、38歳くらいまではいろんなバイトをしながらお笑いの仕事をしていました。

── コンビ結成から10年後に、芸能界入りのきっかけとなったSABU監督に手紙を書かれたそうですね。

オラキオさん:そうなんです。10年間弾丸ジャッキーとしてお笑いをがんばって、世間に名前を少し知ってもらえるようになり、あのときの想いを監督に伝えたいと思って手紙を書きました。そもそも、弾丸ジャッキーというコンビ名も僕がSABU監督の『弾丸ランナー』という映画が好きだったことと、相方がジャッキー・チェンを好きだったことから名づけているので。

そしたらSABU監督から返事が来て、弾丸ジャッキーのことを知ってくださっていたうえに「いつかキャスティングしたいから、もっと知名度上げておいてくださいね」と書かれていたんです。もう飛び上がるほど嬉しくて、そのハガキは今でも大切に取ってあります。2年後、実際にSABU監督の作品『天の茶助』(2015年)に呼んでいただき、一緒に舞台挨拶に立つことができたんです!

── すごい!夢が叶っていますね。

オラキオさん:10年間はお笑いだけに集中しようとがむしゃらにやってきて、もともと好きだった演劇にも関わりたいと思っていた頃だったんです。その後、役者の仕事も少しずついただけるようになりました。

寝耳に水のコンビ解散も「熟年夫婦のようなもの」

地元・佐賀で放送されている冠番組「オラキオスポーツ」で空手に挑戦

── 残念ながら弾丸ジャッキーは2016年に解散されましたが、解散理由をお聞きしてもいいですか?

オラキオさん:きっかけは、キングオブコントの結果です。解散の前年に初めて準決勝まで進出して手ごたえを感じ、「来年は絶対に決勝へ!」という気持ちで頑張っていたんです。翌年も体感的にはすごくウケて「準決勝はまず間違いなし」と思っていたら、3回戦で落ちてしまって。先輩と一緒に飲みながら余裕で結果待ちをしていたのですが、その夜はもうヤケ酒飲んで荒れました。

どん底まで落ち込んで、自分なりにいろいろと考えた結果、弾丸ジャッキーとしてもう一段階レベルアップするには、大手事務所に移籍するしかないんじゃないかって思ったんです。もちろん事務所のせいでは全然ないんだけど、何かを変えないと一生、決勝には行けないんじゃないかと思い詰めたんですよね。ただ、テキサスに相談したら「考えさせてほしい」と言われました。

しばらくして、テキサスからファミレスに呼び出されました。移籍の話だろうと思って行ったら「解散したい」って。

── テキサスさんは移籍に前向きではなかった?

オラキオさん:それもあったと思うんですけど、小さなケンカを繰り返していたし、彼のなかで不満がたまっていたんじゃないですかね。僕は「売れるためなら何でもやりたい」と突っ走るタイプなんですが、テキサスはわりとナイーブな性格なので、傷つけたこともあったと思うし、気づいたらすれ違っていっちゃったのかな。熟年離婚みたいに、いろんなことが重なった結果です。

当時すでに、僕らは2人とも40歳目前でしたし、いい大人がよくよく考えて解散しようって言ってるんだと思ったら、無理に説得して続けても仕方がないな、って解散を受け入れました。

── ご家族の反応はどうだったのですか?お子さんも2人いらっしゃいます。

オラキオさん:妻は中学の同級生で、僕がまだ芸人だかフリーターだか何だかわからない頃に結婚しているので、特に動じてなかったですね。2人の息子は当時、小学生くらいでしたが、あんまり芸人としての僕に興味がなくて(笑)。一度、マクドナルドのCMが決まったときに、これは子どもに自慢できると思って言ったら「パパ、それどうにか断れないの?」と言われてショックを受けたことがあります。どこか恥ずかしい気持ちがあったんでしょうね。

芸歴20年目で「芸人辞めよう」と思った途端に

── 解散後、ピン芸人となってからの仕事はどうでしたか?近年はドラマや映画の出演も続いています。

オラキオさん:それが、結果論にはなりますけど、ひとりになってからのほうが芝居などの仕事が増えたんです。解散前はコンビ活動に影響が出るような長期の仕事はあまり入れられなかったのですが、もう誰にも迷惑かけることもないので仕事の幅が広がったんだと思います。ただ、芸歴20年を迎えた頃、自分の芸人としての限界を思い知るような出来事がありました。

── どんな出来事だったのでしょうか?

オラキオさん:人気バラエティ番組「さんまの向上委員会」で、初めて明石家さんまさんと共演したんです。他の出演者も今田耕司さん、堀内 健さん、土田晃之さん、クロちゃんさんと強者ぞろい。皆さんの圧倒的なお笑いスキルを目の当たりにして「お笑いでこの先輩たちと戦っていくのは無理だな…」と実感し、芸人辞めようかとまで考えました。

でもせっかく20年以上やってきたし、芸能界には居続けたい。だったら、笑いの天才の皆さんと違うジャンルでも勝負してかないといけないから、芝居をもっと頑張ろうと。不思議なもので、そう決めてから役者の仕事が増えましたが、お笑いのオファーがなくなることはなかったですし、昨年はついに地元の佐賀で念願の冠番組「オラキオスポーツ」(サガテレビ)を持つことができたんです。

── 芸人を諦めかけたのが結果的にいい方向に転じたのですね。

オラキオさん:それまでは「芸人として爪痕残そう」「人よりおもしろくなくちゃいけない」と気合が入りすぎていたんでしょうね。肩の力が抜けたのがよかったのかもしれません。僕レベルの芸人が地元で冠番組持たせてもらうなんて無理だと思っていたし、目標ですらなく夢でしたから。今年49歳になる僕ですが、体操やサッカーやバスケットボール、いろんなスポーツに挑戦して体張ってやってます!

── お笑いと俳優業、どんなバランスでやっていくのが理想ですか?


    
オラキオさん:
芸人としては、オファーをいただけるものに関しては精一杯務めるのみ。俳優としては、名バイプレイヤーと呼ばれるような役者になりたいですね。連続ドラマや映画を観ると、何かしらに出てるよね、というような立ち位置です。まだまだお笑い芸人としてのオラキオのほうが知られていると思うので、そこに役者のオラキオが追いつくのが芸能界での到達地点かもしれないです。

取材・文:富田夏子 写真:オラキオ