”打者出身”の巨人監督初年度の王貞治がつまずいた理由…”投手出身”の前監督・藤田元司との違い
プロ野球史上最大のミステリー「KKドラフト」から41年、いま初めて明らかになる物語――。あのとき、球界に渦巻く虚々実々に翻弄されたのは桑田真澄と清原和博だけではなかった。脚光を浴びた2人の周縁で、誰が動き、誰の運命が書き換えられたのか。本当の主役は誰だったのか。
連載『1985 英雄たちのドラフト』
第7回「代償」(前編)
開幕ダッシュ失敗の要因
球団創設50周年という1984年のシーズンから巨人軍の指揮を執った王貞治だったが「最低でも日本一」という至上命題を突きつけられながら、日本一どころかリーグ優勝さえはたせなかった。
監督就任会見で「打高投低を目指す」と宣言したように打者中心のチームに作り変えようと試みたのものの、それが開幕3週間で3勝10敗という散々なスタートとなったのは、エースの江川卓を筆頭に投手陣が軒並み不調だったからだ。皮肉にも「打高投低」が不本意な形で実現したのである。
かつて、日刊スポーツの巨人担当記者だった玉置肇に当時の状況について訊いた。
──王巨人初年度の1984年、開幕ダッシュに失敗しました。一番の要因は何だったと思いますか。
「もちろん、いろいろあるんだけど、投手陣の不調について言うと、グアムキャンプの影響はあったと思います。真夏だからとにかく暑い。35度くらいある。その猛暑の中でビュンビュンと何球も放らせるもんだから、当たり前の話だけどすぐに肩が出来上がってしまう」
──当然そうなりますよね。
「だからピークがすぐに来てしまう。それで最初の2週間が終わるんだけど、第2次キャンプは宮崎でしょう。これが信じられないくらい寒いんですよ」
──宮崎は南九州だけど寒いんですか。
「寒い寒い。グアムとは比較にならない寒さです。そこで今度は実戦向けの調整をするんだけど、寒すぎてグアムで仕上がったはずの肩が思うように使えなくなる。結局もう一度作り直さないといけなくなるんです」
──負担が大きいわけですね。
「だから、大方の投手はそれを嫌がります。本調子じゃなくなるわけだから。これについては医学的なエビデンスはないけど、どの投手に訊いてもそのことをこぼしていたので、おそらく事実でしょう」
藤田元司前監督とは正反対
──ただし、第1次キャンプ地がグアムなのは1982年からです。このときの監督は藤田元司でした。しかし、藤田巨人は「12球団一の投手王国」を築き上げました。この差は一体何でしょうか。
「そこなんですよ。第1次藤田政権のときは、私は巨人担当になる前でしたが、聞くところ藤田さんは投手陣にスローペースの調整を指示していたそうです。若手に対しても無理をさせない方針で」
──王監督とは正反対ですね。
「そうなんです。グアムみたいな暑いところではあくまでも身体作りで、最初からビュンビュン放らせない。藤田さんは投手出身だからわかっていたんでしょう」
グアムキャンプの弊害については、現役引退後、野球解説者に転じていた小林繁も『週刊ベースボール』で自身がホストを務める「小林繁の熱球トーク」で指摘している。(1985年1月7・14日新年合併号)のゲストに招かれた王貞治に「グアムキャンプを長期的に考えないといけない」と指摘し「前回のグアムではとにかく走り込んだ。これはいいことだと思う」と藤田時代の方針には同意しつつ「先に宮崎に行ってグアムを後にすることは考えられませんか」と提案している。
それに対し王貞治は「グアムキャンプそのものは悪くないと思うよ。問題はグアムから帰ってきたあとのやり方だ」と反論しながら「グアムでの仕上がり具合からすると、開幕までがもの凄く長く感じてしまうと思う。2月中旬に、かなりの状態まで出来上がってしまう。そのため、宮崎に入ってから調子を落としてしまう」と玉置肇も懸念した点を挙げている。しかし、結局はこう締め括っている。
「だからね、ボクが言いたいのは、プロというものは、どんな状況に置かれても最高の力を発揮しなければならないものなんだ。すべては自分にはね返ってくることなんだから。どこで、どんな練習をしようと、その中で自分の方向性だけは自覚しておかないとね。それで、ああだこうだというのは、言い訳になっちゃうよ」(同)
監督就任直後の王貞治が、江川の「スローペース調整」という特権を剥奪したことはすでに触れた。しかし、右の事情を見るにつけ、江川だけでなく、投手陣全体が特権を剥奪されたことになる。それは先発投手の待遇一つ取ってもわかる。
前監督の藤田元司は、先発投手全員に「登板翌日は球場に来る必要はない」と完全休養を許可していた。投手出身者らしく「疲労回復こそ一番の効能」であることを身をもって知っていたからだ。
一方、新監督の王貞治は先発投手に対し「登板翌日も練習参加」を命じた。それどころか、場合によっては「早上がり」さえ許さず、ベンチ入りを命じることもあった。「打高投低」を標榜した以上、投手陣だけ特別扱いを認めるわけにいかなかったのだ。この方針転換と、シーズン序盤の投手陣の不調は無関係ではなかったのは疑いようがない。
中でもエースである江川卓の不調は深刻だった。それどころか、他の投手とは違う別の問題があったのだ。
【後編を読む】江川卓が王貞治の自宅を突然訪問…想定外の「不幸なこと」が起きてしまった理由
