今治城と藤堂高虎像(写真:beauty_box/イメージマート)


 2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第18回「羽柴兄弟!」では、秀吉は織田家家老に昇格。北近江を拝領すると、領地に長浜城を築いて城持ち大名へ。有能な家臣を求めて選抜試験を行うことになり……。今回放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

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「信玄以上」の猛将ぶり? 信長に警戒心を抱かせた武田勝頼の意外な実力

 前回の放送では、その死に方が物議を醸すことになったが、武田信玄、朝倉義景、浅井長政とキーパーソンたちが次々と人生の幕を閉じた。その後について今回の放送では、冒頭のナレーションで次のように説明されている。

「足利義昭を追放し、朝倉・浅井との戦いにも勝利した信長は、長篠の戦いで宿敵・武田を破り、その勢力を拡大していきました」

 やはり信玄亡きあとの武田氏となると、あっさりと信長に撃破されてしまったのか……そんな印象を受けた人もいたかもしれない。だが、実際には、信玄の後を継いだ武田勝頼が意外な猛将ぶりを見せて、信長をも警戒させた。『徳川実紀』では、勝頼の好戦ぶりをこうつづっている。

「信玄の子で四郎勝頼は、血気盛んな勇者であったので、父親にも勝って万事において堂々と振舞ったが、去年長篠城を攻め取られたのに憤慨して、高天神城を急に攻撃した」

 勝頼は天正2(1574)年5月、約2万5000の兵を率いて出兵すると、高天神城を包囲。家康は、浜松城にとって脅威となる場所に築かれた高天神城を奪われることになる。

 これには、信玄が没した直後こそ「信玄の後は続くまい」と述べていた信長も、警戒心を高めたようだ。上杉謙信にこんな書状を送っている。

「四郎は若輩ながら信玄の掟を守り表裏を心得た油断ならぬ敵である」

 気を引き締めた信長は、ナレーションにあったように、徳川との連合軍によって、「長篠の戦い」で武田軍を撃破する。だが、惨敗後も勝頼は諦めることなく、武田氏の立て直しに奔走。武田氏が滅亡するのは、長篠の戦いの敗北から7年も後のことである。

 武田氏を討つ甲州征伐には、秀吉と秀長の兄弟も動員されている。だが、ドラマで勝頼の粘りまで描かれることはなさそうだ。なにしろ、武田氏滅亡の3カ月後に「本能寺の変」が起きるため、描くべきことがほかに多くあるからだ。秀吉・秀長の2人も信長の死によって、一大転機を迎えることになる。

 武田氏滅亡から本能寺の変、そして秀吉の天下取りへ──。思えば、その全過程を秀長は兄の傍らで目撃していたことになる。秀長の目線で戦国の動乱期がどう描かれるのか。楽しみで仕方がない。

「家臣選抜試験」で石田三成らエリート奉行たちが競った難関の正体

 今回の放送では、藤吉郎が「羽柴筑前守秀吉」と名を変えて、織田家家老に昇格。浅井長政の領地だった北近江を拝領すると、長浜城を築いて城持ち大名になる。

 同じく小一郎も「羽柴」と名字を改めて「羽柴小一郎長秀」と名乗るようになった。放送タイトルにあるとおり「羽柴兄弟」として2人は転機を迎えている。

 ドラマでは、菅田将暉演じる軍師の竹中半兵衛が、長浜城を褒めながらも「この城には肝心なものが足りておりませぬ。人でございます」と、若き人材を登用すべしと秀吉と秀長に助言。有能な家臣を求めた秀吉によって、選抜試験が開催されることになった。

 選抜試験の最終試験に残ったのは、平野長泰(ひらの ながやす/演:西山潤)、石田三成(いしだ みつなり/演:松本怜生)、片桐且元(かたぎり かつもと/演:長友郁真)、そして藤堂高虎(とうどう たかとら/演:佳久創)の4人。だが、秀吉が召し抱える家臣は3人である。

 一体、誰が落とされるのか。周囲の耳目が集まる中で秀吉は「そなたたち自身で決めよ。それが最後の関じゃ。うまく相手を調略せよ」と難題を課す。ドラマでは、片桐且元がこんなふうに語った。

「長く仕えていた浅井家が滅んでこの方、明日をも知れぬ。その日暮らしじゃ。このままでは一家もろとも琵琶の湖に身を投げるほかはなくなる。引くわけにはいかんのじゃ」

 実際の且元はというと、弘治2(1556)年、近江国浅井郡須賀谷の浅井氏配下の国人領主・片桐直貞の長男として生まれた。その後、若くして秀吉に仕えて「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」では、七本槍の一人として活躍する。その働きぶりに注目したい。

 ドラマでは、窮状を訴える片桐且元に石田三成が「それは私も同じでござる」と言葉を重ねた。

「兄は私に学問をさせるために身を粉にして働き、身体を壊してしまった。兄は何よりも私の出世を望んでおります。兄のためにも、私もここで降りるわけにはまいりませぬ」

 三成は永禄3(1560)年、近江国坂田郡石田村に石田正継の三男として誕生。鷹狩りに出ていた秀吉が寺に立ち寄ったときに、童子だったのが三成である。相手のコンディションを考えたお茶の出し方に秀吉が感動し、三成を家臣にしたという逸話が残っている。

『豊臣兄弟!』では、三成の冷静さや頭脳明晰ぶり、また命令に従順であることが試験を通して描かれた。秀吉を支える右腕として、秀長と三成がどのような役割分担をするのかも、今後描かれることだろう。

 ちなみに、ここで語られた兄とは石田正澄のことで、高い実務能力を持つエリート奉行であり、弟の三成とともに豊臣政権を支えることになる。「石田兄弟」の活躍にも注目だ。

 そんな片桐や三成の境遇を聞いて「皆、抱えておるものはある」と諭したのが、尾張津島出身の平野長泰(ながやす)である。片桐且元と同じく、賤ヶ岳の戦いにおいて、秀吉側の勝利に貢献。七本槍の一人に数えられた。

 結局、最終選考は秀吉が行い、片桐且元、石田三成、平野長泰の3人が秀吉の家臣となった。落とされた藤堂高虎が退席しようとすると、秀吉から「そなたは小一郎の家臣となれ」とサプライズ人事が発表される。そして、高虎は秀長のもとに仕えることとなった。

「知恵が回りすぎるゆえに疎まれる」秀長が見抜いた藤堂高虎の本質的な強み

 試験が行われる前、「家臣になりたい」という藤堂高虎と秀長との間では、こんなやりとりがあった。

秀長「お主は元浅井の家臣であったろう。あれからどうしたのじゃ」
藤堂「よう知っとるのう。浅井の後は阿閉貞征(あつじさだゆき)様にお仕えした。そのあとは磯野員昌(いそのかずまさ)に。そのあとは……」

 主君をコロコロ変えていることに驚く秀長。その理由について、ドラマでの高虎は「皆、わしのことを嫌うのじゃ」と話したが、実際にはどうだったのか。

 弘治2(1556)年、近江国犬上郡藤堂村で生まれた高虎は、父や兄と同じく、近江の有力大名・浅井長政のもとで足軽として仕える。

 元亀元(1570)年の「姉川の戦い」が高虎にとっては初陣だった。織田・徳川の連合軍に、浅井・朝倉の連合軍は敗北を喫するものの、高虎自身は首級を挙げる武功を立てている。さらに翌年の小谷城籠城戦でも高虎は奮戦し、長政から感状を受け取った。

 しかし、それから2年後に、高虎は浅井氏家臣である山下加助(かすけ)との間で刃傷事件を起こす。浅井氏から離れるべく逃走した高虎は、山本山城主の阿閉貞征(あつじ さだゆき)に仕えるが、またもトラブルを起こして、阿閉氏の家臣2人を殺害してしまう。

 再び出奔して、浅井長政の旧臣である磯野員昌(いその かずまさ)の家臣となるも、今度は員昌が行方をくらましてしまったため、員昌と親しい織田信澄(のぶずみ)に仕えるなど、主君を転々としている。

 高虎がたびたびトラブルを起こしたのは、正義感が強かったからではないか。『豊臣兄弟!』では、そんな方向付けをしている。試験での様子をみて、秀長が高虎について秀吉にこんなふうに語る場面があった。

「バカはバカでもバカ正直なのじゃ。己の思うたことを口にして、思うたとおりに動く。気が短いのもそれだけ素早く知恵が回る証しじゃ。皆やつの考えに追いつけず腹立たしくなる。何度も主君を変えるのも無理はないわ」

 実際の秀長が、高虎のどんな点を評価したのかは分からない。けれども、高虎のポテンシャルを十分に引き出したことは確かである。天正4(1576)年に高虎は秀長に招かれて300石で仕えると、丹波攻めや賤ヶ岳の戦いなど次々と手柄を立てて、頭角を現すことになる。

 また、ドラマでは、架けてある橋が壊れそうだと渡る前に気づいたり、米俵の中身が炭であることを見抜いたりと、実は洞察力が高く、物事のわずかな変化も見逃さないという高虎のやや意外な一面も描写している。

 高虎といえば「築城の名人」として知られ、秀長のもとでは和歌山城や大和郡山城の普請に関わり、後年には今治城や膳所城などの築城・縄張りでも名を残した。ドラマでは、高虎がどんな経緯で城づくりへと邁進するのだろうか。

 それにしても、これだけ居場所を転々とした男が、なぜ、秀長のもとでは躍進できたのだろうか。ドラマの終盤において、秀長と秀吉の母が息子たちに語った、この言葉にその理由が凝縮されているように感じた。

「あんたらずーっと向こう側にいたんじゃないか。あのころ、あんたらがいてほしかったと思うような、お大名になりんさい」

 母の言葉に秀長は「わしらはもともと、百姓あがりじゃ。民たちと一緒に泥まみれになったらええんじゃ」と腹をくくる。秀長の家臣に伴走するようなマネジメントが、トラブルメーカーだった高虎のやる気をうまく引き出したのではないだろうか。

 これから秀吉や秀長は元農民という視点を、内政にどう生かしていくのか。ビジネスパーソンにとっても、得るものが多い大河ドラマとなりそうだ。

 次回の「過去からの刺客」では、秀吉は上杉攻めに参加。だが、そこで柴田勝家と対立することになる。

【参考文献】
『家康公伝〈1〉〜〈5〉現代語訳徳川実紀』(大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編、吉川弘文館)
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(竹内理三編、臨川書店)
『図説 藤堂高虎──乱世を駆け抜けた稀代の名将』(諏訪勝則著、戎光祥出版)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)

筆者:真山 知幸