紀元前からのこだわり?なぜ3単現の s をつけるのか【英語史で解く英文法の謎】
なぜ「3人称・単数・現在」のときだけ、動詞にsをつけるのか。
英語にまつわる24の疑問を、日本における英語史研究の第一人者・堀田隆一先生が、初学者にもわかりやすいようやさしく、かつ本質を外さぬよう深く解説する『英語史で解く英文法の謎 なぜ「3単現のs」をつけるのか』が2026年6月10日に発売となります。
今回は本書より、3単現の s を解説したパートを特別公開します。
書影
3単現の s への疑問
「3単現の s 」とは、Ken learns English. やMary plays tennis. やIt rains a lot in Japan. などの動詞につく s のことです。I, you, we, they などが主語の場合には s がつきませんが、he, she, itや、それで置き換えられるようなKen, Mary, my dog, the mountain, a pen, love などが主語の場合には s がつきます。この文法を初めて学習したとき、皆さんはどのように思いましたか。おそらく最初の反応は「そもそも3単現ということばがわからない、また s をつけて何の意味があるのか」というものだったのではないでしょうか。
ほかにも3単現の s には不可解な点がたくさんあります。「×Ken learneds English. のように過去形の場合には s はつけないことになっているのはなぜか」「×Mary cans swim.のように can などの助動詞にも s をつけないが、これはどういうことか」「goes, teaches, studies のように、単にs をつけるのではなく es をつける場合があるなど、規則が複雑」「名詞の複数形にも s をつけるが、動詞の場合にはむしろ主語が単数のときに s をつけることに違和感がある」など、謎めいた決まり事に満ちています。
英語の3種類のこだわり
まず、「3単現」という名前はどこから来ているのでしょうか。これは「3人称・単数・現在」の頭文字をとったものです。いきなり文法用語が3つも出てきて身構えてしまうかもしれませんね。特に「人称」はいかつい用語で、近寄りがたい響きがあります。しかし、いずれも名前から想像されるほど難しい概念ではありません。この3つの分類は、英語話者が長い歴史を通じて守り抜いてきた独特な世界観、いわば“こだわり”に基づく分類なのです。一つひとつ見ていきましょう。
1 「人称」へのこだわり
英語が英語になるずっと前の時代、言語学で印欧祖語と呼ばれる言語が話されていたとされる紀元前4000年以来、その話者たちは世界のありとあらゆるものを3つの箱に分類する習慣を守ってきました。何よりも大事な「私」箱、次に大事な「あなた」箱、それから「その他すべて」箱です。最後の箱には、「私」と「あなた」以外の人、物、事柄など何でも入るので、かなり粗い3分法です。このような分類のことを「人称」と呼び、各々の箱に番号をつけて「1人称」「2人称」「3人称」といっているのですが、要するに「私」箱、「あなた」箱、「その他すべて」箱と解釈しておいて結構です。彼らは、何かを見たり考えたりするとき、必ずそれを3つの箱のいずれかに分類するという習慣をもっていました。現代の英語話者もその習慣を受け継いでいるのです。
2「数」へのこだわり第2のこだわりは、物事を1つ(単数)か2つ以上(複数)かのいずれかに明確に分けておきたいというものです。日本語でも「生徒」に対して「生徒たち」、「先生」に対して「先生方」など単複の区別をつけることはできますが、常に区別しているわけではないので、こだわりというほどではありませんね。英語では、1人の学生なら a student、2人以上なら students と常にはっきりと区別していなければならないのです。
3「時制」へのこだわり 第3に、出来事が現在のことか過去のことかを区別したいという時間(時制)にまつわるこだわりがあります。これは日本語にもみられるこだわりなので理解しやすいですね。日本語で「私は幸せです」と「私は幸せでした」はぜひとも区別しておきたい2つの事柄ですが、英語でも I am happy. に対して I was happy. と明確に区別されます。なお、英語には現在と過去のほかに未来に関する表現もありますが、これについては「第1章 6. なぜwillを使って未来を表すのか」で詳しく取り上げます。
英語には、ほかにもさまざまなこだわりがあります。例えば、名詞を可算名詞と不可算名詞に分けておきたいというこだわりがあります。cup は1つ2つと数えられるので可算名詞だけれど、water は量としてははかれるものの、1つ2つと数えることはできないという理由で不可算名詞に振り分けられます。形容詞や副詞の「比較級」や「最上級」などの「級」というのも、物事を比較し、それを言語上に反映させたがる一種のこだわりです。
一方、日本語にも独特のこだわりがあります。日本語には「敬語」の体系が整っていますが、聞き手との社会的関係に応じて言葉遣いを繊細に変えていくというのは、1つのこだわりです。また、モノを数えるときに、そのモノの種類に従って「1個」「1本」「1枚」などと単位名(「助数詞」といいます)を変えるのも、はたから見ると珍妙なこだわり以外のなにものでもありません。どの言語も、変わったこだわりをもっているものです。
1000年前の“learn” の屈折
古来、英語はこのように人称・数・時制の3つの分類を守り続けてきました。ある人、物、事柄を話題にするときに、この3分類に沿って情報を整理してきたのです。人称・数については、主語の名詞それ自体によってすでに示されているのに、さらに動詞の語尾を変化させまでして確実に表現したいというのですから、大変なこだわりようです。
人称には3通り、数には2通り、時制には2通りの区別がありますので、それぞれ掛け合わせると、1人称・単数・現在から始まり、3人称・複数・過去までの計12通りの組み合わせがあることになります。英語の世界観によれば、この12通りの一つひとつが独自の重要性をもっているので、対応する動詞の語尾にも独自の語尾がつくはずです。
実際、1000年ほど前の古英語の時代には、それに近いことが行われていました。当時の英語で「学ぶ」を意味した動詞 leornian(現在の learn の古英語での見出し語形)の屈折表を見てみましょう。1単現では -ie、2単現では-ast、3単現(表左下の下線を引いた語尾に注目)では -ath、1複現(1人称・複数・現在)では -iath、1単過(1人称・単数・過去)では -ode、2単過(2人称・単数・過去)では -odest、1複過(1人称・複数・過去)では-oden などとそれぞれ異なる語尾をつける必要がありました。共通の語尾となるマス目も確かにいくつかありますが、理論上それぞれのマス目には独自の語尾が配置されていたのです。
唯一生き残った3単現の s
ところが、以後の歴史を通じて、多くのマス目の語尾が失われていくことになりました。語尾というのは単語の本体部分に後続するお尻の部分のことです。英語は明確に強く発音される強勢のある音節と、明確に弱く発音される無強勢の音節が交互に現れるというリズムをもつ言語なので、単語の本体部分に強勢が置かれると、次に来る語尾は無強勢となりがちです。英語において、語尾は発音上のエネルギーが弱まり、発音の区別があいまいになりやすい宿命を背負っているのです。
この語尾消失のプロセスが、西暦1000年以降、数世紀の時間をかけてゆっくりと進んでいきました。その結果、それまでさまざまに区別されていた語尾が、一部の例外を除いてすっかり消え失せてしまいました。あれほどまでに英語が明確に区別してきた人称・数・時制へのこだわりが、いまや動詞の語尾を通じてうまく表現できなくなってきたのです。
現代まで生き延びてきた例外の1つは時制です。過去形の語尾には ed がつき、現在形にはつかないという区別を保つことができています。そして、もう1つの重要な例外が「3単現」です。「3単現」語尾はもともと athという形でしたが、やがてイングランド北部方言で使われていた (e)s が優勢になり、現在に至ります。古来の英語のこだわりが軒並み勢いを失っていったなかで、3単現の s は数少ない生き残りといえるのです。
では、なぜ3単現の s は生き残ることができたのでしょうか。いくつかの理由が考えられますが、1つには、s という子音が他に比べて強く、摩耗しにくい音だったからという音声学上の理由を挙げることができます。実際、名詞の複数形の s や所有格の ’s も残っていますし、s の音声的な頑強さが生き残りに貢献したものと思われます。
英語のこだわりを垣間見せてくれる“窓”として
現代の英語では3単現の s だけが浮いているように見え、いったい何の意味があるのかと疑いたくもなりますね。主題が3単現であることを示す役割があるという点で文法的な「意味」があるともいえますが、1000年前の屈折表と比べてみると、せいぜい薄められた「意味」をもつにすぎないといえます。実際、現代のイングランド東部、イーストアングリアの方言では、むしろ3単現に s をつけないのがルールで、それでも十分にコミュニケーションは成り立っているのです。
それでも、3単現の s は、古くから英語が抱いてきた独特な世界観を垣間見せてくれる小さな窓であるといえます。このように見てくると、今まで謎めいていた3単現の s が、英語の長い歴史の証人であることがわかり、英語という言語が立体感をもって立ち上がってくるのではないでしょうか。英語に対する不安感や不信感は、英語を平面的にしか見てこなかったことから起こることが多く、歴史をたどってみるとある程度は解消されるものなのです。
この続きは『英語史で解く英文法の謎 なぜ「3単現のs」をつけるのか』でお楽しみください。本書は以下の構成で、英語にまつわる24の疑問をわかりやすく解説していきます。「なぜ」を理解することで、単語・文法の解像度が上がり、納得しながら英語を学べるようになります。
序章 英語はどのようにして現在の姿になったのか
第1章 文の骨組みはその言語の個性
第2章 語形の変化は規則的に不規則
第3章 なぜ文字と発音が一致しないのか
第4章 社会とともに変わり続ける英語
堀田隆一(ほった・りゅういち)
慶應義塾大学文学部教授。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程満期修了、英国グラスゴー大学英語学研究科博士課程修了(Ph.D.取得)。神奈川大学経営学部助教、中央大学文学部助教、准教授、教授を経て、2015年より慶應義塾大学文学部教授。専門は英語史、歴史言語学。著書に『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』(研究社、2016年)、『英語語源ハンドブック(共著)』(研究社、2025年)、『言語学でスッキリ解決!英語の「なぜ?」(共著)』 (ナツメ社、2025年)など。「hellog~英語史ブログ」、Voicyチャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」、Youtubeチャンネル「いのほた言語学チャンネル」など運営中。
※刊行時の情報です
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