子どものSNS禁止が世界で加速 日本が「お願い」しかできない本当の理由
4月7日、インドネシアの通信デジタル省が、SNS規制に違反しているとしてメタとグーグルへの調査を開始したことを各国メディアが報じた。同省はこれまでに2度、両社に調査を受け入れるよう要請しており、3度の要請に応じない場合は制裁金や接続遮断の措置を取るとしている。
インドネシアは今年3月、16歳未満によるSNS利用を規制する法律を施行したばかりだ。遮断も辞さないと、運営企業に強く迫っている。
こうした動きは世界で広がっている。2025年12月、オーストラリアが世界で初めて16歳未満のSNS使用を禁止する法律を施行した。違反した企業には最大約50億円の罰金を科すとあり、世界的に注目された。
これに続き2026年1月にはフランスが15歳未満の利用禁止を議会で可決。スペイン、デンマーク、ギリシャ、ブラジルなど多くの国が、未成年のSNS利用規制に向けて運営企業への締め付けを強めている。
この流れの出発点となったのが、2023年に成立したイギリスの「オンライン安全法」だ。一言で言えば「子どもを傷つけるようなサービスを作ったら、会社が罰せられる」という法律である。
違反した企業には全世界での売上高の10%という巨額の罰金が科される。「有害なコンテンツを消せ」ではなく、「そもそも有害なものが広がりやすい仕組みを作るな」という発想の転換が、この法律の核心だ。
元来、欧米諸国は「インターネットは自由な言論の空間であるべきだ」という考えを大原則としてきた。SNSは孤独な若者が世界とつながる場であり、少数派が声を上げる場であり、権力を監視する場でもあると主張されてきた。それが、これまで批判してきた中国やロシア型の検閲・統制へと大きくかじを切っている。その理由は何か。
転換点は2017年のモリー・ラッセル事件
大きな転換点となったのが、2017年にイギリスで起きたモリー・ラッセル事件だ。ロンドン在住の14歳の少女・モリーが自ら命を絶った。父親が娘のインスタグラムを調べると、保存・共有していた約1万6000件の投稿のうち、2100件がうつ病・自傷・自殺に関連するものだった。アルゴリズムが、傷ついた少女に「死」に関するコンテンツを延々と送り続けていたのだ。
この事件は、プラットフォームが子どもの死に正式に責任を問われた世界初の裁判(検死審問)へと発展した。審問の中で、インスタグラムを運営するメタは開示を遅らせるなど審理を妨害。さらには「人々が自己表現できることは安全だ」とまで言い放った。この傲慢な発言が世界を動かした。多くの国々でSNSに対する疑念が広がり、様々な調査が実施されるようになったのである。
そこで明らかになってきたのがSNSの「設計の問題」だ。SNSは利用者をできるだけ長く画面に釘付けにするよう設計されている。怒りや不安をあおるコンテンツほどよく拡散され、アルゴリズムはそれを積極的に表示する。
モリーのように傷ついた子供が自傷関連の投稿を一度見ると、次々と似たような投稿が流れてくる。有害なコンテンツが存在するのではなく、有害なコンテンツが広がりやすい仕組みそのものが問題だ……これまでに公表されている各国の調査は、ほぼ例外なくこの点を問題視している。
オンライン安全法の基礎となる政策提言を行った英エセックス大学のローナ・ウッズ教授は、語る。
「有害な投稿をひとつひとつ削除するのは実用的ではありません。問題はコンテンツではなく、サービスの設計そのものです。悪い投稿を消しても、悪い投稿が生まれやすい仕組みが残っていれば意味がない。だから仕組みを変えさせる必要があります。これは検閲ではありません。『何を言うか』ではなく、『どう広げるか』を規制しているのです」
いまだ「規制=検閲」の日本
では、日本はどうか。
今年2月、高市早苗首相が参院本会議で未成年のSNS利用規制に言及したところ「政府による言論統制だ」「表現の自由への介入だ」「孤独な青少年の居場所を奪うのか」という批判がSNSに溢れた。まるで20年前のインターネット黎明期と同じ議論だ。世界がとっくに「設計責任」の話をしているのに、日本はいまだに「規制=検閲」という反射で止まっている。
昨年7月、イギリスのオンライン安全法が本格施行された際も、日本で話題になったのは主に「SNSでポルノが見られなくなる」という点だった。12月のオーストラリアの16歳未満禁止法も同様で、日本の反応は「子どもがかわいそう」か「抜け道があるから意味ない」程度のものだった。子供がアルゴリズムに殺されかねないという問題の本質には、誰も触れていない。
現地の一次情報ではなく、海外メディアの翻訳記事を「ポルノが見られなくなる」という切り口で消費して終わり。それが日本のSNS規制報道の実態だ。
こうした状況を反映してか、政府は及び腰だ。2025年、総務省がX(旧ツイッター)に対して通信履歴の保存を求めたところ、Xはこれを拒否した。世界最大級のSNSに「ノー」と言われた総務省が出した対応は、「事業者の規制の在り方に関する議論を継続する必要性がある」という文書一枚だけだった。要するに「また話し合いましょう」である。
インドネシアは、冒頭で触れた調査に先立ち、首都ジャカルタのメタオフィスに抜き打ち検査まで実施している。従わなければ接続を遮断すると迫りながら、実力行使で企業に向き合う。日本はXに断られて「また話し合いましょう」と書いた。同じ「規制」という言葉を使っているが、やっていることはまるで別物だ。
前述のウッズ教授は「モリー・ラッセルの自殺は、多くの人々を動かした重要な出来事でした」とも語っている。日本を動かす「モリー・ラッセル」は、まだ現れていないのか。それとも、すでに現れているのに、誰も気づいていないだけなのか。
問題の本質は、子どもの安全だけにとどまらない。アメリカのテック企業が設計したアルゴリズムが、日本の子供たちの脳と認知を日々作り変えている。何を見て、何に怒り、何を信じるか?その回路を、シリコンバレーの企業が握っている。
これはもはや教育の問題でも福祉の問題でもなく、国家の自立にかかわる問題だ。規制できない国は、気づかないうちに内側から変えられていく。
文/昼間たかし 内外タイムス
