「とんでもないばあさんが演りたい」と語ったレジェンド女優が、80代で掴んだ役は。自分に嘘をつかない覚悟|対談・浜野佐知監督×菜葉菜
本作で文子の生を体現した主演・菜葉菜さんと、メガホンを取った浜野佐知監督が対談。菜葉菜が役者を志した原点から、俳優・吉行和子の遺したもの、日本映画界の現在地まで、作品を越えて“自分を貫いて生きる”ということを語り合った。
――菜葉菜さんはどうやって役者さんになったんですか?
菜葉菜:私は子どもが好きで、保育の学校に行っていたんです。たまたま今の事務所のマネージャーさんに渋谷で声をかけられて。役者を育てたいんだ、と。テレビも映画もたいして観ていませんでしたから、最初は興味をもてなかった。でも考えてみれば、内弁慶だったから外ではできないけど、子どものころはよく家でものまねとかしていたんですよね。それで学校へ行きながらオーディションを受けていたけど落ちてばかり。
あるとき、映画のオーディションに受かって、一言だけセリフがあったんです。映画を作る現場の雰囲気が楽しかった。みんなが一つの目的に向かって行く感じが、泥臭いけどいいなと思って。その映画では一緒にオーディションを受けた人がたくさんセリフをしゃべっていて、私ももっとしゃべりたかったなと思って。本をたくさん読んで、映画をたくさん観なさいと社長に言われました。映画ノートをつけたりして。
とはいえ、きちんと就職して保育の仕事をしていたんですが、オーディションを受けるにも有休を使わないといけないから迷惑がかかる。両親は何も言わなかったんですが、一大決心をしてアルバイトを3本かけもちして実家に少しお金を入れるから「なんとかいさせてください」と頼みました。それからは映画を浴びるほど観て、オーディションを受けまくって。それこそ先ほども言ったように(※)、当時は「良い子でいないといけない、かわいくいないといけない」と自分で自分を苦しめていた。でも16年前、浜野監督に出会って、改めて自分は自分でブレずにがんばっていきたいと思ったんです。(※対談第2回参照)
浜野:役者さんは自分から動くのがむずかしいところはありますよね。だけど、「選んでもらう」んじゃなくて「選ばせる」力を身につければいいのよ。長い目で見たら、器用になんでもこなす役者さんより、この人でなければと思わせる役者になったほうがいい。菜葉菜さんはそういう役者になれる人ですから。
◆「とんでもないばあさんが演りたい」吉行和子さんの勇敢な挑戦
――この映画は、吉行和子さんの遺作ともなりましたね。文子を虐待する祖母役でした。
浜野:はい。体調がすぐれないと伺っていたんですが、カメラの前に立つと、ものすごい気迫で。たった3カットだけだったんですが、それだけで観客に文子が置かれた残酷な環境を一瞬で分からせる見事な演技でした。
吉行さんとは1998年の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』で出会って、それ以降の私の自主制作作品6本すべてに出演していただきました。以前伺ったんですけど、今までの女優生活で2回ターニングポイントがあったとおっしゃったんですね。1度目は40歳を過ぎたころで、あまりやりたい役が来なくなった、このまま役者を続けるかどうかと悩んでいたら、大島渚監督の『愛の亡霊』(1978年)へのオファーがあった。濡れ場たっぷりのハードな映画ですから周りは当然、大反対だった。でも吉行さんは果敢に挑戦して、結果、自分を変える事が出来た、と。

