哲学は「挫折」から始まる──戸谷洋志さんと読む、ヤスパース『哲学入門』#2【NHK100分de名著】
哲学すべきは自分の人生──ヤスパース『哲学入門』を、戸谷洋志さんが解説 #2
哲学は挫折から始まり、人生は他者との交わりから再び立ち上がる──。
2026年2月のNHK『100分de名著』では、20世紀最高峰の哲学者・ヤスパースの隠れた超ロングセラー『哲学入門』を、哲学者であり立命館大学大学院准教授の戸谷洋志さんが紹介します。
今回は番組テキストの第1回より、『哲学入門』が生まれた背景と「挫折」についての解説を公開します。(第2回/全2回)
第1回「哲学とはどんな営みか?」より
『哲学入門』が生まれるまで
一八八三年、カール・ヤスパースはドイツの北海沿岸の町、オルデンブルクに生まれました。彼が故郷を回想するとき、その背景にはいつも海の景色が思い浮かびます。どこまでも広がる水平線と、寄せては返す潮騒の音色は、自然の雄大さと、無限に繰り返す世界の神秘を、彼に感じさせました。
彼が誕生したとき、父は三三歳でした。地元の名士として知られ、法律家から地域の知事になり、最終的に銀行の頭取(とうどり)にまで上り詰めます。母は当時二一歳、旧家の出身でした。
ヤスパースは生まれつき身体が弱く、学校でもみんなと同じように活動することができませんでした。虚弱体質は、年齢とともに改善するだろう、と周囲の医師たちは言っていましたが、その症状が改善することはありません。一八歳のとき、とうとう彼は特殊な病気に罹っていることが判明します。それは、気管支拡張症という病気です。その上、心不全をも併発していました。
それ以降、生涯を終えるまで、彼は病気とともに生きることを余儀なくされます。後述する通り、この難病こそが、彼の哲学の研究にも大きな影響を及ぼすことになります。
ヤスパースが初めて読んだ哲学書はスピノザの著作でした。しかし、彼はそこからすぐに哲学の研究を開始したわけではありません。まず、ハイデルベルク大学の法学部に入学します。しかし、その教育に失望し、一九〇二年にはベルリン大学の医学部へ転校し、精神科の医師になることを志します。
一九〇七年、医学部の親友を通じて、ゲルトルート・マイヤーという女性と出会います。一目見た瞬間に、ヤスパースは心を奪うばわれ、恋に落ちます。その後、二人は交際を始め、後に結婚することになりました。
一九〇八年、ヤスパースはハイデルベルクの精神科クリニックに勤務します。そこには同時代の優秀な医師が集まっていました。日々交わされる知的な議論に参加することで、彼は非常に充実した日々を送ることができました。一九〇九年には、精神医学に関する論文も発表しています。また一九一四年には、ハイデルベルク大学での講義を担当し、一九一六年には同大学員外教授に着任します。
一九一九年には初期の代表作『世界観の心理学』を発表します。この著作はあくまでも心理学の分野の研究でしたが、当時の哲学者からも大きな注目を集めました。たとえば、二〇世紀を代表する哲学者であるマルティン・ハイデガーも、主著のなかで三回この著作に言及しています。その上、この著作のなかには、すでに後のヤスパースの哲学の重要な概念が、萌芽(ほうが)的に提示されていました。今回、これから解説する「限界状況」もそうした概念の一つです。
一九二一年、ハイデルベルク大学哲学部の正教授に着任したヤスパースは、それ以降、精神科医としてのキャリアを離れ、いよいよ本格的に哲学者としての研究に専念します。しかし、当時のドイツ社会は混迷を極めていました。
ヨーロッパ中を惨禍に導いた第一次世界大戦の傷はいまだ癒えず、その責任と負債をめぐって、国内の議論は分裂していました。一九二九年には、追い打ちをかけるように世界恐慌が発生します。このような不安のなかで、私たちはどのように生きるべきなのか。それが、ヤスパースの問いの中心に位置づけられるようになっていきます。
一九三〇年代の彼は、『現代の精神的状況』『哲学』『理性と実存』『ニーチェ』『実存哲学』など、旺盛に次々と著作を発表していきます。しかし、一九三八年以降、突然筆が止まります。ナチス政権によって著述を禁止されたからです。
一九三三年に政権を掌握したナチス党は、ユダヤ人に対する弾圧政策をそれまで以上に強化していきました。ヤスパースの妻ゲルトルートはユダヤ人でした。そこで当局は離婚を迫ってきましたが、彼はこれを拒否しました。すると、ハイデルベルク大学から解任され、研究者として活動できなくなってしまったのです。
その後、ヤスパース夫妻は、極めて危険な環境のもとで、ドイツで暮らすことを余儀なくされました。二人は、もしも連行されるくらいなら、自決することを覚悟していたそうです。実際、二人は強制移送されることが決まっていました。幸いにも、その執行の二週間前に、米軍がヤスパース夫妻の暮らすハイデルベルクを占領し、難を逃れたのです。
戦後、ヤスパースはスイスへ移住し、バーゼル大学の教授に就任します。そこが彼の終の棲家となったのです。そして、一九四九~五〇年、バーゼル放送局の依頼で担当したラジオ講演こそ、今回取り上げる本のもとになった、「哲学入門」という番組でした。
哲学は「挫折」から始まる
当時はまだ戦争の爪痕が克明に残っていました。連合国による戦後処理は続き、ドイツはいわゆる西と東に分割されてしまいます。世界の秩序は、わずか数年の間に、完全に崩壊してしまいました。
まるで巨大な嵐が通り過ぎたあとのように、何もかもが変わってしまいました。あとに残された人々は、その後の世界をどのように構想すべきなのかを、まったくのゼロから考え出さなければならなくなったのです。人々は、これから未来がどうなるのか、また同じような恐ろしい破局に遭遇するのではないか、という不安のなかで、生きていたに違いありません。
こうした背景に思いを馳せるとき、『哲学入門』で繰り返される、ある主張が目に留まります。それは、哲学は「挫折」から始まる、ということです。
人間が挫折をどのように経験するかということは、その人間を決定する要点であります。すなわちそれは、彼は挫折を見ることができないで、ただ実際において最後にそれに打負かされるか、それとも人間は挫折を糊塗(こと)することなく見ることができて、それを彼の現存在(げんそんざい)の常住不断(じょうじゅうふだん)の限界として目から離さないでおるかどうか、また、空想的な解放と安心立命を得るか、それとも解義(かいぎ)不可能なものの前で沈黙して正直にそれを引受けるかどうか、ということであります。
ヤスパースはここで「現存在」という表現を使っていますが、これはそのまま「人間」と読み替えていただいて構いません。
さて、挫折とは何でしょうか。それは、自分がこれまで信じてきたことが、もろくも粉々に破壊され、同じ道を歩むことができなくなることでしょう。単なる失敗と挫折は違います。ただ失敗するだけならば、「私」はまた同じことに挑戦できるかも知れません。しかし挫折とは、もはや二度とやり直すことができないような、そしてそれによって、これまでの経験がすべて無になってしまうような、そうした困難に突き当たることなのです。
当時の人々は、この意味において人類史上、おそらく最大と言ってもよい挫折を経験したのです。しかし、同時にヤスパースは、挫折をただネガティブに捉えているわけではありません。そこから目を背けるのか、それともそれを直視し、引き受けようとするのか、ということは、根本的に異なることなのです。
彼が訴えているのは、私たちが挫折したことを引き受け、そこから再出発することに他なりません。そして、それを可能にする営みこそが、哲学に他ならないのです。
なぜ、哲学が挫折からの再出発を可能にするのでしょうか。それは、哲学が当たり前を問い直すものだからです。挫折は、それまで当たり前だと思われていたことを信じられなくなる、ということを意味します。そこから再出発するためには、当たり前に囚われることなく、柔軟で創造的に、物事を思考できなければなりません。ヤスパースは、一人一人の読者にその力を取り戻させるために、『哲学入門』を著したように思います。
『100分de名著』テキストでは、「哲学とはどんな営みか?」「他者との交わり」「世界像は多様である」「「包括者」とは何か?」という全4回のテーマで本書を読み解き、さらにもう一冊の名著としてハンナ・アーレント『人間の条件』を紹介しています。
講師戸谷洋志(とや・ひろし)
哲学者、立命館大学大学院准教授
1988年、東京都生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。専門は哲学、倫理学。法政大学文学部哲学科卒業後、大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。著書に『ハンス・ヨナスの哲学』(角川ソフィア文庫)、『哲学のはじまり』(NHK出版)、『メタバースの哲学』(講談社)、『責任と物語』(春秋社)、『詭弁と論破 対立を生みだす仕組みを哲学する』(朝日新書)など。2015年「原子力をめぐる哲学 ドイツ現代思想を中心に」で第31回暁烏敏賞、『原子力の哲学』(集英社新書)でエネルギーフォーラム賞優秀賞を受賞。
※刊行時の情報です
◆「NHK100分de名著 ヤスパース『哲学入門』2026年2月」より
◆テキストに掲載の脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
※ 本書における引用は、ヤスパース『哲学入門』(草薙正夫訳、新潮文庫、改版)に拠ります。また、読みやすさを鑑み、引用の一部にルビの加除をしています。
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