吉沢亮、横浜流星という若手人気男優が、猛稽古を積んで歌舞伎役者を演じた(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会

【写真を見る】映画祭であいさつする李相日監督、映画に登場する「出石永楽館」

映画『国宝』が話題になっている。伝統芸能である歌舞伎の世界を描くという、社会的にみればマイナーで、若い世代にも関心を持たれにくいと思われる題材でありながら大ヒット中だ。

上演時間3時間にもおよぶ大作で、長時間ゆえに映画館に足を運ぶのをためらう人も多いと思われたが、6月6日の公開から6月22日まで、右肩上がりの動員数152万人、興行収入21億円を突破した。

ストーリーは、任侠の一門に生まれた喜久雄が抗争で父親を亡くしたが、上方歌舞伎名門の当主・花井半二郎に才能を認められて、部屋子として引き取られ、未来を約束された御曹司・俊介と芸の道を歩むというものだ。

吉田修一の同名小説を、吉沢亮、横浜流星という当代の若手人気男優を主人公にして李相日監督がメガホンをとって映画化した。2人の人生を軸に、栄光と挫折が丁寧に描かれ、かつ歌舞伎の美しさが随所にちりばめられている。

なぜ、配給は松竹ではなかったのか?

映画の内容についてはメディアで数多く取り上げられているが、筆者がもっとも興味を惹かれたのはこの映画の配給が東宝であることだ。映画の舞台となった歌舞伎の興行主は松竹である。なぜ、この映画の配給は松竹ではなかったのか? なぜ、東宝は歌舞伎の世界をこれほどリアルに美しく描くことができたのだろうか?


上海国際映画祭であいさつする李相日監督(写真:VCG via Getty Images)

東京で大規模な商業演劇を観ようとすると、東宝と松竹となる。日比谷界隈の帝国劇場、東京宝塚劇場は東宝の拠点であり、ミュージカルや宝塚歌劇団公演を中心に興行が行われている。

晴海通りを東に進んで銀座方面に行くと東銀座駅付近に松竹演劇の本拠地である歌舞伎座と新橋演舞場がある。歌舞伎座は歌舞伎の伝統であり、新橋演舞場は新派(明治時代に始まった演劇で劇団新派がある)や歌舞伎俳優が主役の演劇が多い。東宝は洋モノ中心、松竹は和モノ中心と言ってもよいだろう。

少なくとも歌舞伎を東宝が興行することはない。かつて(1955年〜1983年)東宝歌舞伎というものがあったが、現在は商業ベースの歌舞伎興行は松竹の独壇場だ。国立劇場も歌舞伎公演を行っているが、松竹の協力があって成立している。

その歌舞伎を題材にした映画が東宝で配給され、大ヒットしている。筆者も鑑賞したが、素晴らしい出来映えだった。歌舞伎俳優の役を歌舞伎俳優ではない吉沢亮と横浜流星が演じで高い評価を得ている。

歌舞伎座の楽屋でも映画『国宝』の話題で持ちきり

筆者は歌舞伎俳優にも意見を聞いてみたが、歌舞伎座の楽屋でも映画『国宝』の話題で持ちきりで、映画館に足を運ぶ役者も多いという。

市川團十郎は自身のXで6月11日に以下のように述べている。

「俳優の方々が、1年以上も稽古を重ね撮影に挑む、そういう姿勢 一つのものに取り組む姿勢。それにより生まれる世界 そこに人々は共感と感動を観る。監督はじめ関係者全ての方々に賞賛。♯国宝 是非ご覧ください。などと私がいうのは可笑しいですが笑 観てほしい作品です。歌舞伎役者として思いました。♯團十郎 この作品を麗禾と勸玄に薦めました。」


映画『国宝』に登場する「出石永楽館」(写真:938/PIXTA)

人間国宝である片岡仁左衛門を父に持つ片岡孝太郎も自身の6月11日のブログで、以下のように述べた。

「うちに国宝おりますが、歌舞伎の人間国宝とはその人物が歌舞伎を演じている時が国宝になります。普段は人間国宝でなく、普通の人なんです。それはさて置き、いま歌舞伎座の楽屋では映画『国宝』の話題でいっぱいです。コレから観る人もいれば観て感動してもう一度観ると言っている人もあるくらい盛り上がっています。僕も予定立てなきゃ…話題にのれなくなっちゃう」

歌舞伎俳優も高く評価

歌舞伎俳優の間でも評判なほどの出来ということだ。映画では当然、舞台上のシーンも数多い。映画に登場する主な演目は下記のとおりだ。

積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)
藤娘(ふじむすめ・舞踊)
二人道成寺(ににんどうじょうじ・舞踊)
曽根崎心中(そねざきしんじゅう)
鷺娘(さぎむすめ・舞踊)

どれも歌舞伎の名作と言われる演目だ。舞踊は所作事(しょさごと)と言われる。所作とはしぐさや振る舞いの意味で、舞踊以外でも歌舞伎は所作が重要だ。世の中数多くの俳優がいるが、すぐに歌舞伎の舞台が務まる訳ではない。当然、舞踊はすぐには困難だが、舞踊を含まない演劇でも所作が大事なのでそれを習得する必要がある。

特に歌舞伎の特徴として女形があるが、男が女を演じるのだから技が必要であり、伝統的な美の表現方法を習得する必要がある。それは並大抵のことではない。

故・18代目中村勘三郎は歌舞伎界以外の俳優を積極的に起用したことでも知られる。かつての芝居小屋を再現した「平成中村座」をなどで笹野高史や荒川良々などの個性ある俳優が出演したが、それでも「世話物」といわれる現代にも通じる人情噺や新作歌舞伎の舞台だった。上記の演目はどれも「舞踊劇」あるいは歌舞伎様式にあふれたもので、一般の俳優がなかなか演じられるものではない。

もちろん今回は舞台ではなく、映画であるからショートカットをつないだり、演出による効果は出せるが、それでもこれらの演目を演じることは並大抵ではない。それを吉沢亮と横浜流星が長期間の稽古を経てやり遂げた。また、花井半次郎役の渡辺謙、名女形役の田中泯の演技の評価も高い。少年時代の喜久雄、俊介を演じた黒川想矢、越山敬達の演技も見事だった。

このように主な歌舞伎俳優として登場する人物を歌舞伎俳優でない者が演じて大成功を収めたのが映画『国宝』だ。


上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎を演じた渡辺謙(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会

松竹の配給なら歌舞伎俳優を起用していたか?

では、もし松竹がこの映画に携わっていたらどうだっただろうか。ある歌舞伎俳優に聞いたところ、興味深い返事が返ってきた。「もし松竹がこの映画を作るとしたら、舞台が歌舞伎の世界なので当然、歌舞伎俳優を使うことになる。吉沢や横浜を主役に使うことはできなかったのではないか」ということだった。私自身も納得した。

原作者の吉田修一氏は『国宝』のために、歌舞伎俳優・中村鴈治郎の指導の下で黒衣姿になり舞台をバックから見続けてきたという。吉田氏と李監督は2010年公開の映画『悪人』、2016年公開の『怒り』でタッグを組んでいる。これらは東宝が配給してきており、吉田氏、李監督・東宝の三者の間には密接な関係があったことから『国宝』も東宝の配給になったようだ。

ではもし、主な登場人物を歌舞伎俳優で固めたらどうなったであろうか?

もちろん歌舞伎俳優が歌舞伎の世界・演目を演じるのであるからそつなくこなしたであろう。しかし、「大前提として、この映画の主眼は歌舞伎をしっかり見せることだけではない。キャラクターとして喜久雄なら喜久雄として湧き起こる感情を乗せるというか。型から生身の感情が突き破って出てこないと『国宝』の歌舞伎シーンにならないと思っていたので、そこを伝える、引き出す必要があった」(シネマトゥデイでの李監督のコメント)。

すなわち、この映画は、歌舞伎の家の血筋を持たない喜久雄と、御曹司でありながら親から後継者として認められなかった俊介を描いているのであり、舞台のシーンもそうした苦悩や葛藤を持つ2人が歌舞伎役者として演じているという「劇中劇」になっているのだ。特に曽根崎心中の遊女お初を舞台で喜久雄が演じるシーンが映画では重要なシーンで、圧巻だった。

NHKが6月20日に「スイッチインタビュー『吉沢亮×四代目中村鴈治郎』を放映した。この映画で歌舞伎指導・歌舞伎役者の吾妻千五郎役を勤めた中村鴈治郎と吉沢亮の対談だ。そのなかで、鴈治郎が「喜久雄でありながらお初を演じた。これは僕らには経験のないこと」と発言をしており興味深かった。

吉沢も、李監督には、歌舞伎としてきれいに踊ろうとするより、「喜久雄で踊って」と言われた。きれいに踊るために1年半稽古したのに、「意味がわからない!」と思ったと述べている。

東宝がこの映画で成功を収めた理由は、歌舞伎を演じるだけではなく、人間ドラマとして実力も人気もある俳優が「歌舞伎俳優」を演じ、素晴らしい演技をしたことが大きな要因だろう。松竹ではこうした配役はできなかったのではと思える。また、「血筋」か「実力」かを問うこの映画のテーマは松竹には荷が重かったであろうし、仮に歌舞伎役者で配役を決めるにしてもそのシリアスな内容から、困難であったにちがいない。

実は松竹も衣装や美術で一部関わっていた

しかしながら歌舞伎は総合芸術だ。役者がいれば成り立つというものではない。衣装、かつら、大道具、小道具、それに音楽といったそれぞれに伝統を持つ技の結集である総合芸術だ。よくこれだけの作品を作れたものだと思い、確認してみたら、美術全般に関しては東映東京撮影所、舞台美術に関してはたつた舞台が主に担当。さらに松竹衣装も歌舞伎衣装、松竹撮影所が美術制作、大道具、経師(張りものなどの表装)の担当で、映画のパンフレットに記載されていた。

【2025年6月29日13時45分追記】初出時の美術制作の担当についての表記を修正しました。

前述の中村鴈治郎は歌舞伎界の重鎮だし、花井半次郎の後妻で秀介の実母・大垣幸子役を演じた寺島しのぶは7代目尾上菊五郎の娘で、弟は襲名したばかりの8代目菊五郎、息子も歌舞伎役者の尾上眞秀という歌舞伎の大名跡一家の一人だ。パンフレットの中で早大・児玉竜一教授(歌舞伎研究)は、本作で寺島を得たことは大きいと述べている。

いくつかのメディアが東宝配給の映画について松竹はどう思うか取材しており興味深い。『女性自身』が松竹の広報担当者のコメントを紹介している。

「映画の製作、配給を手掛けております弊社にとりましても、本作品が公開当初から大きな話題となり、国内映画市場に大きな活況をもたらす観客動員を実現されていることは大変喜ばしいことです。また同時に、本作品の主題となっている歌舞伎が注目され、多くの方々の関心が集まっておりますことを弊社としましても大きな励みとして、皆さまとともに今後の歌舞伎公演を一層盛り上げて参りたいと存じます」(6月26日配信)。また歌舞伎公演の入場券販売状況も好調だという。東宝の映画が松竹の舞台の広報役を演じた形だ。

東宝、松竹は映画、演劇ともに大手の配給会社、興行主であり、好敵手である。しかし、エンタメが多様化し、スマホひとつあれば多種多様な創作物に触れることができるなかで、映画、演劇ともにその存在価値が問われている。

そうした状況の中で、純日本映画である『国宝』が話題となって驚異の観客動員数を記録し、また新たに歌舞伎に関心を持った者が舞台にも足を運ぶという状況は商売敵でありながらともに芸術文化産業を担う東宝、松竹にとって予想外の明るいニュースとなった。

歌舞伎界にも改革を促すか?

映画だけなく、もし、吉沢亮、横浜流星が歌舞伎の舞台に立つようなことがあれば、歌舞伎はたちまち大人気となるかもしれない。映画と違って舞台への出演はそれほど簡単ではないが、歌舞伎への旧ジャニーズ所属タレント等の出演は過去にもある。仮にこの流れが定着したら、歌舞伎俳優にとっては脅威だ。

今は楽屋で映画『国宝』の出来に感心している歌舞伎俳優もそうなれば、おちおちしてはいられなくなる。もちろん、現在の歌舞伎俳優の芸、技は簡単に誰かにとって代わられる程度ものではないことは長年歌舞伎を観てきた筆者はよく理解している。

しかし、歌舞伎は伝統芸能でありながら商業演劇として存在していることが世界に誇れることのひとつだ。松竹の功績は大きいが、商業演劇ゆえに観客に支持されなければ成り立たない。エンタメが多様化するなかで、「血筋」か「実力」かの選択に加え、「人気」は重要だ。

いつかは「歌舞伎を守るのか」、それとも「歌舞伎役者を守るのか」を松竹が迫られる状況がくるかもしれない。この明るいニュースは歌舞伎界大改革のはじまりかもしれないということだ。

(細川 幸一 : 日本女子大学名誉教授)