ジョー・バイデン アメリカ前大統領=2025年1月5日(写真:Celal GunesAnadolu via Getty Images)

5月18日、82歳のジョー・バイデンアメリカ大統領が、骨に転移した進行性の前立腺がんと診断されたというニュースが世界を駆け巡りました。排尿に関する症状が悪化したため医療機関を受診し、前立腺に小さなしこりが見つかり、今回の診断にいたったと報道されています。

この発表を受け、アメリカ国内外から心配と励ましの声が広がり、アメリカでは政党を超えて多くの政治家がエールを送っています。

そもそも前立腺がんはどんなことがきっかけで見つかるのか。気になる方も多いと思いますので、診断や予後なども含め、説明いたしましょう。

日本人男性で最も多いがん

前立腺がんは、男性の生殖器の一部である前立腺に発生する悪性腫瘍です。前立腺は下腹部の膀胱のすぐ下にあり、精液の一部を分泌する働きを持ちます。

2020年における日本のがん罹患数統計データによると、男性は前立腺がんが8万7756人(16.4%)と最も多く、次いで大腸がん8万2809人(15.5%)、肺がん8万1080人(15.2%)。1980年から2020年の40年で日本の罹患者数は22倍にもなり、その後も伸び続けると予想されます。

この増加の背景には、日本人男性の平均寿命の延びや食生活の欧米化、PSA(前立腺特異抗原)検査の普及による早期発見の増加などが挙げられます。

早期発見された限局がん(前立腺にとどまり周りに広がっていないがん)の10年生存率は95%以上と非常に高く、手術や放射線治療などで完治する例も少なくありません。また、必ずしも積極的な治療を必要しないケースがあるのも、前立腺がんの特徴です。80歳以上の男性の前立腺を解剖すると、半数以上の方にがんが見つかったという報告もあります。

学会は50歳から推奨「PSA検査」

前立腺がんの早期発見に用いられるのが、採血で調べられるPSA検査です。これは血液中のPSAという物質の濃度を測定する簡単な検査で、前立腺がんのリスクを示す手がかりとなります。

日本では、PSA検査は国の肺がん・大腸がん・胃がん・乳がん・子宮頸がんを対象とした「がん検診5大プログラム」には含まれていませんが、多くの自治体は50歳以上の男性を対象に任意で検診を実施しており、補助があれば数百円、全額自費でも数千円程度で受けることができます。

日本泌尿器科学会も「50歳からのPSA検査実施を検討すること」を推奨しています。特に、父親や兄弟に前立腺がんの家族歴がある方はリスクが数倍に高まることから、検査を40〜45歳から受けてもよいでしょう。

ただし、PSAの値は前立腺肥大や炎症でも上昇することがあり、少し上昇したからといって必ずしも前立腺がんと診断がつくものではありません。そこはご注意ください。

●PSA検査の意義

PSA検査の意義については、大規模な臨床試験で、死亡リスクをわずかに低下させることが確認されています。具体的には、「1000人の男性をスクリーニングした場合、13年後までに前立腺がんによる死亡を約1.3人防ぐ効果がある」というものです。

そのため、アメリカではPSA検査の実施について、「本人の意思に基づく共有意思決定」が推奨されており、医師は検査による利益とリスクの両方を説明し、患者自身の価値観に沿った判断を重視しています。

そういう意味で、進行期で見つかったバイデン氏は、この検査をあえて受けていなかった可能性があります(一方で、在任中に身体的・精神的な衰えを周囲が隠していた実態を描いた複数の新刊書籍が出るタイミングでの発表だったため、同情的な世論を形成することで過去の健康問題隠蔽への批判をかわす政治的意図があったのでは、という憶測も出ています)。

●前立腺がんの治療

PSA値が高かった場合、再検査、前立腺MRI検査による病変の確認、針生検などの追加検査などが検討されますが、がんと診断されても、すべてが即座に治療対象になるとは限りません。

特に、進行がゆっくりで寿命にもそれほど関係しない、低または中間リスクの前立腺がんでは、「積極的監視(アクティブ・サーベイランス)」という選択肢もあります。これは定期的なPSA測定や再検査を行いながら、慎重に経過を見守る方法で、不必要な治療を避けることができます。

対して、根治を目指す治療としては、手術による前立腺全摘除や放射線治療などがあります。

いずれも治療成績は高いですが、手術では尿失禁や勃起障害、放射線治療でも腸の不調や勃起障害といった副作用も少なくありません。そのため、治療方針を選択する際は、医師としっかり相談することが必要です。

前立腺がんの「骨転移」とは?

バイデン氏は細胞を採取して調べる生検の結果、グリーソンスコア9(グレードグループ5)と評価される、悪性度の高い前立腺がんであることが判明しました。

前立腺の組織を顕微鏡で見ると、正常な細胞に近いものもあれば、がんとして形が大きく崩れているものもあります。この見た目の悪さを5段階(1〜5)で評価し、「最も多く見られるパターン」+「次に多く見られるパターン」の合計でグリーソンスコアがつけられます。

これをわかりやすく1〜5の5段階で示したものが、グレードグループという分類で、グリーソンスコア9(グレードグループ5)は、がんの勢いが強く、進行しやすいタイプであることを意味します。

加えて 、バイデン氏のがんは骨に転移している進行がんであることも確認されています。実は、前立腺がんはほかのがんに比べて骨に転移しやすいという特性があります。

骨転移が起こると、骨の痛みや骨折のリスク、脊髄圧迫による神経障害が表れやすくなります。しかし現在は、骨の壊れやすさを防ぐ骨修飾薬や、転移した骨に直接働きかける放射線医薬品による治療もしばしば行われており、骨転移の症状緩和ができるようになりました。

また、バイデン氏の場合はホルモン感受性を保っており、薬によりある程度の病状コントロールは可能だと考えられます。この場合の治療の選択肢はいくつかありますが、第一選択はホルモン療法(アンドロゲン除去療法)で、男性ホルモンであるテストステロンを抑制することで、がんの進行を抑えます。

このほかにも新しい分子標的薬なども登場しており、最近の10年で、骨転移がある前立腺がんの生存期間は約3倍に延びたといわれています。

●バイデン氏と「がん対策」

2016年、バイデン氏はオバマ政権下で「がんムーンショット計画」を主導し、がん研究の加速と死亡率の半減を目指しました。2022年には、自ら大統領としてこの計画を再始動させ、25年間でがん死亡率を50%減少させる目標を掲げました。

今回の診断に対して、トランプ大統領やオバマ元大統領を含む多くの政治家が党派を超えて支援を表明しました。「医療を要するときに政治の壁はない」というヒラリー・クリントン氏の言葉どおり、多くの人が連帯の意を示しています。

一方で、本件は世界中の高齢政治家における老いと健康リスクの問題を象徴する出来事だと筆者は考えています。

一般企業などでも同じですが、高齢者層の予期せぬ病気がリーダーシップに及ぼす影響、そして後継体制の備えについて、改めて問い直すきっかけにもなったのではないでしょうか。

高齢社会における前立腺がんの課題

日本は世界で最も高齢化が進んだ国です。65歳以上の人口は総人口の約3割を占め、今後も増加が見込まれています。

前立腺がんは加齢とともにリスクが高まるがんで、平均発症年齢は70歳以上です。したがって、前立腺がんはこれからの日本社会における重要な健康課題の1つといえるでしょう。

前述したように、前立腺がんの多くは早期に発見すれば十分に治療可能で、生活の質を保ったまま長生きすることができます。日本でも作家の佐藤優さんや脚本家の三谷幸喜さんが前立腺がんで手術されたことを公表されており、決して珍しい病気ではありません。

また、前立腺がんの診断後に長期にわたって治療を続ける患者さんが増えるなか、今後は緩和ケアや在宅医療、精神的サポートといった、がんとの共生を支える体制の整備や社会の理解もますます重要になってくると思います。

いずれにせよ、男性が「排尿トラブル」や「性機能の低下」といった症状を恥ずかしがらずに医師へ相談できるよう、正しい知識の普及と意識の変化が求められます。

尿が出にくい、夜間の排尿が増える、排尿の勢いが弱いなどの症状を”年齢のせい”と放置せず、早めに医師に相談し検査を受けることが大切です。

(谷本 哲也 : 内科医)