『ブルーロック』に学ぶ"メタ思考"の仕組み
自分の行動に自信が持てないときは、「他者の目はどんな風景を見ているか」を想像してみる(写真:metamorworks/PIXTA)
SNSでの言動や職場でのハラスメントなど、1つのミスも許されない現代。「メタ思考」と呼ばれる「主観と客観を行き来する考え方」を習得すれば、複雑化した社会を生きやすくなるかもしれません。人気漫画『ブルーロック』などを例に、メタ思考の仕組みと重要性を解説します。
※本稿は『すごいメタ思考』から一部抜粋・再構成したものです。
「主観と客観を行き来する」と課題が見える
最初に伝えたいのは、メタ思考とは「主観と客観を行き来する思考法」であるということです。
それをもっとも体現しているのが、将棋です。
将棋は、対局している間じゅう、メタ思考の連続です。
初手からして33通りも指し方があり、「自分がここに指したら、相手はどう出るか、それに対して自分はどの駒をどう動かすか」など、数手先まで読んで決めているそうです。
それが1手、1手繰り返され、選択肢の数も何百、何千、何万と、どんどん増えていきます。盤上の駒の位置を俯瞰し、互いの指し手をシミュレーションしながら、次の1手を決める。
これをメタ思考と呼ばずして何と呼ぶ? という感じです。
ですから将棋を指すだけ、対局を見るだけでも、メタ思考の何たるかはわかります。
しかし、将棋のすごいところはそこに留まりません。どちらかが「負けました」と投了して対局が終わると、「感想戦」が始まるのです。
自分から「負けました」と言うのも屈辱であるうえに、まだ敗北感も冷めやらぬうちに対局を振り返るなんて、メンタルがタフでないと耐えられないような気もします。勝ったほうだって、しばしガッツポーズはお預けです。
それでも棋士たちは、和やかな雰囲気のなかで、互いがどの場面でどう迷ったか、どう考えたかなどを事細かに振り返ります。
この感想戦で特徴的なのは、それぞれの棋士が1つの局面をめぐって、自分にはこう見えたと明かし合うこと。
いわば、主観と客観を行き来しながら“お互いの視点”を重ね合わせる。
これによって、棋士たちはメタ思考にいっそう磨きをかけているように思います。
難しそうと思うかもしれませんが、私たちも同じような思考の訓練を、意外と簡単に行うことができます。
それは「他者が何を考えていたのかを知ろうとする」ことです。
たとえば販売の仕事をしているなら、別の店で「お客さんの目」を意識して買い物をしてみる。
そうすると、いつも自分の目が見ているお店の風景に、お客さんの目で見える別の風景が重なります。お客さんが何を考えているのかも想像しやすくなります。
こうして主観と客観を行き来させると、そのメタ思考から現状の課題が浮き上がり、修正・改善していくことができるようになります。
とくに判断に迷ったり、自分の行動に自信が持てなかったりするときは、「他者の目はどんな風景を見ているか」を想像してみる。
そんな練習を続けるうちに、「主観と客観を行き来する」ことによるメタ思考が磨かれます。
「超越視界(メタ・ビジョン)」の世界とは
最近、私が「ああ、これこそがメタ思考だ」と思わず膝を打った、とてもいいテキストがあるのでご紹介したいと思います。
それはズバリ、『ブルーロック』というサッカー漫画です(原作・金城宗幸(かねしろむねゆき)、漫画・ノ村優介(のむらゆうすけ))。
2018年から「週刊少年マガジン」(講談社)で連載されていて、テレビアニメにもなったこの作品は、まさに「メタ思考を追求した漫画」です。
ブルーロック(青い監獄)とは、日本がW杯優勝を果たすために、日本フットボール連合が立ち上げたプロジェクト。
そのコーチを任された絵心甚八(えごじんぱち)が、世界一のストライカーを育てるための特殊トレーニングを展開します。
主人公の潔世一(いさぎよいち)は、絵心が「実力あり」と認め、全国から集めた300人の高校生FWの1人。代表入りできる選手がごくわずかであることは言うまでもありません。ほぼほぼデス・ゲームの世界です。
世一くんは決定的な能力のない選手で、いかにも勝ち目はなさそうに見えます。
しかし、入寮テストに始まり、1次選考、2次選考と進むなかで、才能をどんどん開花させていくのです。
一番の見どころは、世一くんが「超越視界」を修得するシーン(実際の漫画でも、「超越視界」に「メタ・ビジョン」とルビがふられています)。
まさにここまででお話ししてきたメタ思考のように、上空からピッチ全体を眺めているように広い視野を持ち、選手たちの動きやゲームの流れを読むことができるようになったのです。
つまりそれは、自分を含む選手たちの刻々の動きを把握したうえで、それに対応して自分がどう動くのがいいかを判断し、実行していく、ということです。
もっと言えば、自分だけではなく、ほかの選手の見えている世界をも自身の視界に組みこんで、いまの状況を総合的に判断することが求められるのです。そうすると、
「あの選手はこう動くから、自分はあの辺りにパスをして、シュートのアシストをしよう」
というふうに、次のプレイを見通すことができます。
とはいえサッカーはチームプレイですから、自分1人だけがメタ思考をできてもうまくいかない場合が出てきます。
たとえばプレイ中、自分が「ここにパスを出してくれ」と思っても、チームメイトのみんなが自分の周囲数十メートルの視界で、数人の動きしか見えていないと、パスをもらうことはできません。
けれども、メタ思考のできる人が複数人いたなら、ドンピシャで合わせてもらうことが可能になります。
そうすれば、視界的には“空中戦”で進行していくような場面が増えて、ゲームがより面白くなりそうです。
メタ思考を身につけたい人は、ぜひこの『ブルーロック』を読んでみてください。
一発でその意味が肚に落ちるはずです。
迅速かつミスのない言動が求められる現代
現代は、変化が速く、大きい時代です。昔と同じように考え、行動していては、変化の波に呑みこまれてしまいます。
自分がいま、目まぐるしく変化する社会のなかでどういう状況に置かれているかを的確に把握し、今後どうすればいいか、しっかりビジョンを立て、次の一歩を踏み出す。
そういうメタ思考に基づく行動ができないと、もはややっていけない、ということです。
振り返れば昭和という時代は、社会も人々も自分本位に、アクセルを踏み続けていたようなもの。非常に「雑」な社会でした。
言動1つとってもそう。頭に浮かんだことをすぐに口にし、やりたいようにやる。周囲がそれをどう感じようとお構いなし、という感じが強かったように思います。
ますます高まるメタ思考の重要性
一方、現代は、法律が「全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現」を謳っているように、私たち1人ひとりが、「人を傷つけない」ことに特段の注意を払わなくてはいけない時代になりました。
とくに人間関係においては、互いの距離感を繊細のうえにも繊細につかんで行動する必要があります。
自分ではふつうに接したつもりでも、ハラスメントと指摘される場合だってあります。
だから、メタ思考の重要性が高まっているのです。
自分の言動によって人がイヤな思いをするのではないか、傷つくのではないか、といったことを感じ取ることは、メタ思考なくしてできないことですからね。
加えて「SNS時代」に突入した現代は、常に「自己チェック機能」を働かせることが、ますます重要になっています。
たとえば、ちょっとうかつな発言をしてしまうと、すぐに「はい、アウト」とレッドカードを出されます。
それどころか、一切の悪気なくつぶやいた一言でも、強烈なバッシングを受けて、社会的生命を抹殺されるような恐怖を感じるくらい、痛めつけられることすらあります。
そうならないためには、日常の会話やメールのやりとりでもそうですが、とくにSNSに投稿するときは、頭に浮かんだことを思いつくままにつらつらと書いてはダメ。
ワンクッション置いてメタ思考を働かせて、「不快に思われる可能性はないか」「傷つく人はいないか」をチェックしなくてはいけません。
後になって「冗談だよ」なんて言い訳したって、ネットに流したら最後、もう取り返しがつかないのです。
SNS時代の言動で一番重要なのは「自己チェック機能」を持つこと。
そのために、メタ思考の重要性がますます高まっているのです。
(齋藤 孝 : 明治大学教授)