1浪東大落ちも「10年後に再受験で合格」彼の未練
※写真はイメージです(写真: Graphs / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。
今回は浪人して早慶に進んだ後、大手企業に就職。その後、再受験して30歳で東京大学文科3類に進学した田中亮介さん(仮名)にお話を伺いました。
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1浪で東大不合格後、10年越しにリベンジ
今回お話を伺った田中亮介さん(仮名) は、東大を目指して1浪したものの不合格に終わり、早慶に進んだ方です。
しかし、29歳で東大の再受験を決意し、2025年3月に見事合格して、東大に入学しました。
早慶を卒業して一度大手企業に入社した彼は、いろんな要因が重なって、仕事を辞めてしまいます。アルバイト生活を送るようになった田中さんは、その過程の中で、運命の仕事と出会いました。そしてその仕事こそが、彼を再び東大への受験に駆り立てたのです。
彼が東大を再び受けようと決意した理由とはなんだったのでしょうか。
田中さんは1995年、東京都に生まれ、そこから30年間、ずっと東京に住んでいます。
「両親はどちらも専門学校出身で、大学に縁がなかったので、親としては大学に行かせたかったようです。中学受験をして大学の付属校に行ってもらいたいという親の意向があり、小学4年生から日能研に通いはじめました」
早いうちから中学受験することになった田中さんは、小学校の勉強はできるほうだったそうです。「ゆとり教育の時代で教科書が薄かったため、学校の勉強では苦労はしなかった」と彼は語りますが、中学受験では偏差値55程度で、日能研のクラスは5クラスあるうちの3番目と、ちょうど真ん中でした。
親が大学までのルートを早めに確定させたかったこともあり、GMARCH(学習院大、明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の付属校を受けた彼は、第1志望には不合格だったものの、併願で受けた別のGMARCHの付属校に合格し、そちらに進学することを決めます。
しかし、この選択がのちに彼を後悔させることになりました。
大学の付属校に入ったことが後の未練に
進学した大学の付属校では、知り合いが1人もいなかったことからまじめな性格になり、小学生のときはちゃんとやっていなかった宿題もしっかりこなすようになったそうです。
それがきっかけで彼は勉強に目覚め、中学1年生の1学期で学年200人中120位だった成績は、2学期に入ると40位に上がり、それ以降のテストでは高校を卒業するまでずっと5位以内でした。
しかし、勉強にはまった田中さんを苦しめたのは、「大学の付属校に入ったこと」でした。田中さんは、高校受験を経験しなかった自身の選択を後悔し、高校に入ってからは、学校の受験指導の部分でさらに鬱屈した感情を抱くようになりました。
「親は『大金を払って中学受験をしているし、高校受験はするものではない』という感じでした。大学に行けたらいいと。でも、自分の中で高校受験をしたらもっと上の高校にいけたのにな、とフラストレーションがたまり始めたんです。自分で決断できなかったのを、後々ずっと後悔していくことになります」
田中さんの当時の夢は、官僚になること。中学2年生のときに城山三郎の小説『官僚たちの夏』を読んだことで、東大に進学して、キャリア官僚になりたいと思い始めましたが、そのような意識とは裏腹に、歴史の授業などは中学3年生になっても江戸時代までしかやらないような、受験を意識していないカリキュラムだったことが、彼をモヤモヤさせてしまいました。
高校に入ると、明治時代に入らずにまた縄文時代に戻ってしまい、自主勉強だけでは受験対策がカバーできないことから、一時は大学受験を諦めた田中さん。
しかし、高校3年生になってからはまた、東大を目指したいという思いが再燃しました。
「そのまま上の大学に進もうと思っていたのですが、4割は他大学を受験する環境でした。同じ文系でも東大や一橋などを受ける人もいたのですが、私のほうが受験に適していない学校の授業をまじめに受けているのに、彼らは予備校に通って難関大学を目指せるのがうらやましかったんです。多分、ただのひがみですね」
こうして高校3年生の夏ごろから、官僚になる夢と、たくさん勉強できるという点から東大を目指して勉強を重ねた田中さん。
しかし、現役のときは日本史も世界史も、さらには数学も古典もまったく間に合いませんでした。途中で志望校を一橋大学に変更し、センター試験では900点満点で700点台を記録したものの、一橋を目指すには厳しい点数だったために受験を見送り、早稲田大学と中央大学の文系学部にだけ出願して、両方とも合格しました。
ここで、彼は諦めきれずに浪人を決意します。
1浪で東大合格に近づいたものの…
彼に浪人した理由を聞いたところ、「不完全燃焼感があったから」と語ってくれました。
「東大に行きたい思いはあったのですが、それ以上に中高6年間の勉強が自分の中で終わっていないと思っていました。学校の授業は受験向けに作られていなかったので、結果が出なかったのも自分の実力ではないと思っていたのです。志望校を東大にしてもう1年勉強することで、自分の中でケリをつけたいと考えていました」
そのような思いで大手予備校に入った田中さん。「高校の学費がなくなるから予備校にシフトしても家庭的には大丈夫だった」と語ります。
この1年は時間割通りに授業を受け、夜まで自習室で勉強を続けましたが、とても楽しい1年だったそうです。
「高校の授業では、日本史や世界史の教科書が大学受験で問われる範囲の10分の1くらいしか終わらなかったので、その残りをわかりやすく勉強させてもらってすごく面白かったです。きっと、ここで浪人をしていなければとても後悔したと思います」
現役のときは東大関係の模試は受けなかったものの、浪人のときは東大の冠模試でC判定も出ていた田中さん。
センター試験ではこの1年の成果が出て大きく点数を上げ、811点を獲得。平均的な東大受験生の水準には到達していました。
ところが、センター試験が終わってから2次試験までの1カ月間、彼は燃え尽き症候群に陥ってしまいました。
「サボっていたわけではないのですが、東大は記述試験が多いので、どうやって勉強していいかわからず、対策がおろそかになりました。記述問題の採点もどう採点したらいいかわからないのもつらかったですね。結局、なんとなく赤本を解いて勉強するしかない状態で2次試験を迎えたのですが、文科2類を受けて落ちてしまいました」
2浪は考えていなかったことと、受験勉強をやり切った感覚もあり、併願で合格していた早慶の文系学部に進学して、大学の勉強に専念することを決めた田中さん。体育会系の部活に入ってからは週6〜7回の活動にハマり、充実した大学生活を送っていました。
まさかの結果に愕然とする
しかし、入学して1カ月してから、田中さんの人生に未練を残す出来事が起こります。
5月の頭に、東大の得点開示が田中さんの家に届き、その結果を見て愕然としたそうです。
「合格最低点から2点差で落ちていました。文科3類に出願していたらプラス5点で合格していたこともあったので、悔しかったですね。
しばらく東大を諦められなかった理由は2つあります。1つ目は、高校3年間の授業が適当だったから、それがなかったら全然点数は届いていたと思ってしまったこと。2つ目は、本番の数学の試験で問題を読み間違えて10点単位で落としたことでした。その2つの理由から、大きな未練が残りました」
一方で、大学の友達付き合いや、部活が楽しかったこともあり、この当時の田中さんは再受験することは考えませんでした。
結局、部活に熱中する4年間を送り、2019年に卒業した後は大手企業に就職しました。
その後の田中さんは、仕事がきつく、人間関係がうまくいかなかったこともあり、3年経たずに退社します。退社後は、さまざまな仕事を検討しますが、空白期間に始めた学習塾でのアルバイトがとても楽しかったことで、「自分がやりたいことはこれだ」と気づいたそうです。
その過程で教員になろうと思った彼は、通信制大学で教員免許取得のための勉強を始めました。
一方で、免許を取る過程で「このまま自分が先生になっても普通の授業しかできない」と感じ、田中さんは専門性を身につけたいと思うようになります。
哲学科や英文科など、さまざまな大学院も検討したそうですが、決めきれず、「大学院に行くにしても、もっと大学の学部で勉強をしなければ、希望を絞れない」と痛感していました。そこで再び選択肢として浮上したのが、東大の文科3類だったのです。
「学部から行き直して、幅広く学んだうえで、自分の専攻を哲学なのか、歴史なのか、倫理や英文学なのか、などと決めるには、教養学部で幅広い学問に触れて、文学部にも進める東大の文科3類がいいと思いました。そうすればずっと未練があった東大への思いにケリがつくし、教員になるための箔もつくと思い、再受験を決めました」
実に10年ぶりの試験を受けることを決めた田中さんは、塾講師のアルバイトや教職課程を受講しながらの生活だったために、効率的に勉強する必要性を感じます。そこで、スタディサプリを使用し、英語・数学・国語・社会など幅広い科目の授業を受けました。
「朝の9時〜14時までは毎日受験勉強に使おうと思っていました。ですが、6〜8月は教職課程の試験や授業が集中していましたし、その後も教育実習や仕事の繁忙期もあり、途中はあまり勉強できる時間はありませんでしたね。11月に受けた駿台の東大実戦模試でもD判定でしたし、1月に入っても共通テストの過去問の数学1+Aで30点くらいしか取れなかったので、合格はなかなか難しいなと思いました」
時間が限られている中で、苦手科目の挽回が厳しいと気づいた田中さんは、思い切って社会や理科基礎など、伸ばしやすい得意科目を重点的に対策する戦略に切り替えます。
ついにリベンジを果たす
そのかいあってか、共通テストでは数学1+Aも67点で、全体の点数では1000点中884点という及第点の点数を取ることができました。
2次試験では手応えがなかったものの、合格最低点を12点上回り合格。こうして10年ぶりの受験でリベンジした田中さんは、中学生からの夢であった、東京大学の文科3類に入学することができました。
10年ぶりに再受験。田中さんの東大受験の結果(写真:田中さん提供)
「試験当日の手ごたえ的に目標点数に大きく届かなかったので、絶対に落ちたと思って、合格したのがまったく信じられませんでした。ウェブの掲示板を見ても何かの間違いだと思いましたし、わけがわかりませんでした。嬉しくなったのは、無事に家に書類が届いた翌日以降です」
教員免許を持つ30歳の大学1年生として、4月から東京大学に通っている田中さん。
浪人してよかったことを聞くと、「今の学生がどう考えているかを自分で体感できたこと」、頑張るモチベーションを保てた理由については、「過去問を解いていて、大学が求めていることがわかったし、大学で学びたいこと、受験を通して身につけたいことが明確にあったため」と答えてくれました。
「過去の未練がなくなったことがよかったのはもちろんですが、これから教員になるにあたり、今の入試がどのように変わっていて、今の学生がどういう試験を受けていて、何を考えているかを知ることができたのはよかったです。
また、教職の授業で、『生きる力を身につける』ことが大事だとはよく聞いたのですが、検定教科書の範囲内でどのように生徒にそれを伝えていけるかを疑問に思っていたので、どうすれば生徒に役立つ授業ができるかを考えるいいきっかけになったと思います」
10年以上のブランクでなぜ合格できたか
また、現役・1浪から10年のブランクがあった今回の受験が成功した理由についても聞いてみたところ、「塾と教職課程の相乗効果」と答えてくれました。
「塾のアルバイトで教えているうちに、国語力がついているのが実感できました。教職の授業でもたくさんレポートを書くのですが、何を聞かれていて、どのように書けばいいかを考えて書けるようになったと実感します。
そうした経験は東大の対策で生きたと感じました。再受験では、受験勉強の時間が限られていたので、ほかの時間で補おうとしたのもよかったと思います」
これから専門分野を見極めるために勉強を頑張りたい、そして、東大を出て学校の先生になったときには、勉強したことを授業に生かしたいと語る田中さん。
彼は最後に、何より浪人していちばん変わったこととして、「自分に自信が持てたこと」を挙げてくれました。
「私はずっと今まで、『受験でうまくいかないのは〜のせいだ』とか、ほかの要因に原因を求めていましたが、それを一切思わなくなりました。思い込みをなくし、自分の殻を破れるようになれたのがいちばん大きな成果だと思います」
東大に合格し、前向きに人生を歩む
「結局、現役と1浪のときは環境が悪いと思って、周囲から情報を集めたり、聞いたりしなかったことがそもそもの失敗だと今では感じます。周囲とつながって、ひたすら情報を集め、コミュニケーションを取っていくことが大事だと気づけてよかったです」
10年前の未練を断ち切り、前向きに人生を生きる決意をした田中さん。大学や周囲との関わりで学んだことを吸収していく彼はきっと、生徒目線で物事を考え、授業を進めていける立派な教師になるのだろうと思いました。
田中さんの浪人生活の教訓:すべてのことが勉強になり、人生に役立つ
(濱井 正吾 : 教育系ライター)