ローマ教皇の死後、バチカンでは何が行われる?葬儀からコンクラーベまでを解説
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が2025年4月21日(現地時間)、88歳で逝去したことを受け、バチカン(ローマ教皇庁)は秘書長を務めていたケビン・ファレル枢機卿(77)による声明を発表、「ローマ(教区)の司教でもある(カトリック教会の)フランシス教皇が午前7時35分、父の家に戻った」ことを明らかにした。
教皇の死後、葬儀が終了すると、古代ローマの伝統に由来する「ノヴェンディアーリ(Novendiali、逝去後の祈り)」と呼ばれる服喪の期間が始まるが、イタリア政府はすでに22日(同)、5日間にわたって喪に服すと発表した。
また、教皇の死は枢機卿団における「セデ・ヴァカンテ(Sede Vacante、使徒座空位)」と呼ばれる期間の始まりでもあり、教皇の任務はこの間、枢機卿団が行う。
この空位の期間は、教皇の死去の日が初日となり、次期教皇を決定する「コンクラーベ(conclave、教皇選挙)」は、この日から16日目以降、21日目までに開始される。
教皇の死後、バチカン市国で行われる儀式の流れは、次のとおりとなっている。
住まいの封鎖教皇の死は、バチカン市国の保健衛生局長と、空位期間の責任者となる「カメルレンゴ(Camerlengo、教皇の秘書長である枢機卿)」の2人によって確認されることになっている。フランシスコ教皇の逝去を確認したのは、アンドレア・アルカンジェリ医師と、ファレル枢機卿だった。
『ニューヨーク・タイムズ』によると、教皇の死が確認されるとその後、教皇の私的な礼拝堂で儀式が行われ、カメルレンゴが「医師の報告書を添えた教皇の死亡証明する書類を作成する」。そして、カメルレンゴは教皇の私文書を保管し、住まいを封印する。
フランシスコ教皇は在位中、本来は教皇ではなくバチカン市国を訪れる枢機卿たちのために建てられた「サンタマルタ館」の2階部分で暮らしており、使用されていた部分はすでに封印されたことが伝えられている。
また、カメルレンゴは死去した教皇が書類の封印のために使用していた「漁師の指輪」と呼ばれる印章付き指輪(シグネットリング)が偽造されることを防ぐため、儀式用のハンマーでその指輪を破壊することになっており、そのための準備もすでに開始されている。
遺体の一般公開祭服を身に着けたフランシスコ教皇の遺体は各国のリーダーやロイヤルたちをはじめ、世界中から弔問に訪れる人々のため、安置されていたサンタマルタ館の礼拝堂からサンピエトロ大聖堂に移された。
2005年に死去した教皇ヨハネ・パウロ2世は、まずバチカン市国の職員たちののためにクレメンティーヌ・ホールに安置され、その後、サンピエトロ大聖堂に移されたが、フランシスコ教皇はこの例には従わないことにしたと伝えられていた。
アメリカの政治専門サイト『ポリティコ』は教皇の死の直後、「過去の教皇の遺体はカタファルクと呼ばれる飾り台の上に乗せられ、安置されたが、葬儀の簡素化を希望していたフランシスコ教皇は棺にもそれほどの華やかさや壮麗さを求めておらず、蓋のない棺に納められることになる」と報じている。
また、遺体が安置される間、サンピエトロ大聖堂のほか世界各地の教会では毎日、礼拝と鎮魂のミサが行われることになっている。
葬儀教皇の葬儀は死去から4〜6日後にサンピエトロ広場で行われることになっている。教皇庁は、フランシスコ教皇の葬儀は26日に執り行うことを発表しており、イタリア出身のジョヴァンニ・バティスタ・レ首席枢機卿(91)が司式するという。
埋葬葬儀後、フランシスコ教皇は(バチカン市国内ではなく)ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に埋葬される。また、教皇はその生涯と業績についてまとめた文書、「ロジト(埋葬証明書)」も、遺体とともに埋葬される。
コンクラーベ(教皇選挙)枢機卿団は教皇の葬儀からおよそ2週間後、システィーナ礼拝堂に集まり、新たな教皇を選出する。その教皇選挙、「コンクラーベ」の投票資格を持つのは、80歳未満の枢機卿のみ。3分の2以上の票を獲得した枢機卿が、次の教皇となる。
コンクラーベは大抵、複数の日にわたって繰り返し投票が行われた後に、決定する。
From TOWN&COUNTRY