交際5年、結婚して6年。勇斗さんの「だまされていた」ショックは大きかったという

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【前後編の後編/前編を読む】“自分の父親の愛人の息子を手伝う伯母が母代わり”…「妙な育ち」の40歳男性が、産みの親との再会に絶句したワケ

 徳井勇斗さん(40歳・仮名=以下同)は、父の姉である伯母を母親だと思って育った。しかも父と伯母は“腹違いの姉弟”で、父は愛人、伯母は本妻の子という複雑な関係。“不倫の子”である父は心優しい性格だったが、勇斗さんが高校を卒業した時期に急死してしまう。その葬儀で再会した実の母からは金を無心され、彼は自分の人生の無常を痛感した。

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 社会人となって、職場の人たちともそれなりに人間関係を築いていく中で、勇斗さんはたびたび自分が「世間知らず」だと認識させられた。

交際5年、結婚して6年。勇斗さんの「だまされていた」ショックは大きかったという

「なんというのか、一般常識がまるっきりないんですよ、僕。たとえば結婚式のときになにを着ていけばいいのか、お祝いはどのくらい包むものなのかという基本的なことさえ知らなかった。それだけじゃなくて、たとえば上司に対する相づちひとつとっても、僕はどこかズレている。自分の何かがおかしいんだけど、なにがおかしいのかわからない」

 職場で浮いている気がしてならなかった。だから自然と自分から発言したりアイデアを出したりはしなかった。みんなのあとについていけばいい。それで生き延びればいい。そんな姿勢で生きていくしかなかった。

「それでも3年ほどたつと後輩も入ってくるから、なんとなく中堅どころみたいな扱いになって……。あるとき上司とじっくり話す機会があったんです。『きみはおとなしいし、誰からも嫌われていないけど、実はもっと秘めたものがあるのではないかと思っている』と言われました。僕にはなにもできないから、みなさんのあとをついていくだけですと言ったんですが、『仕事が丁寧だし早い。自分なりに研究もしているようだときみの先輩たちが言ってる。でもどこかつかみどころがないとも言ってる』って。そのとき、自分の境遇についてすべて話したい欲求にかられました。でもやはり言えなかった」

 言えなかったのは上司を信用していなかったからではない。自分の過去を言い訳にしたくなかったからだと勇斗さんは言葉を絞り出した。子どものころからすべて受け入れて生きるしかなかった。それを大人になった今、言い訳にしながら生きるのがどうしても嫌だったのだ。

「よく、人に話すと心が軽くなるって言うけど、僕にはそうは思えなかった。人に話すと、その言葉は自分に返ってくる。二重に傷つくだけ。当時は受け入れて生きるしかなかったけど、結局、僕は過去を受け入れてなかったし、どこか自分のことではないような位置づけをして生きてきたんだと思います」

 上司と話すことで少し自分を分析することができた。自己否定が強いわけでもないが、自己肯定感もまったくなかった。存在しないように存在してきたのだと自分のことがわかっていった。そしてそこから彼は徐々に変わっていく。

「変わっていくといっても、ほんの少しずつですけどね。同僚や先輩たちに、家庭の事情でたぶん育ち方がおかしかったので世間のことがよくわからないと打ち明け、助けてもらいました。どういう育ち方だったのかと根掘り葉掘り聞いてくる人はいなかった」

披露宴で出会った女性

 28歳のころ、職場の先輩が結婚し、その披露宴に参列した。トイレに行こうと会場のホテル内を歩いていると、突然横から走ってきた小さな男の子に、持っていたソフトクリームをズボンにべったりつけられてしまった。あとから追ってきた母親はひたすら謝ってきたが、シミは簡単には落ちなかった。

「披露宴の最中ですから、会場に戻らないといけない。とりあえずいいですからと言って、会場に戻りました。披露宴が終わって廊下に出たら、そのおかあさんが待っていた。本当に申し訳ない、クリーニング代を払ってすむ話ではないと思うけど、とりあえずはこれでと封筒に入ったお金を押しつけられて。そこには彼女の名前と連絡先も書いてありました」

 勇斗さんはクリーニング代の残りを返すため、優美さんというその女性に連絡をとった。

 お詫びに食事でもと言われ、断り切れずに誘いに乗った。女性とデートするなどほぼ初めての経験だったが、あわてて「これはデートではない」と自分に言い聞かせた。

「優美は子どもを連れてきました。そりゃそうですよね、考えたら子どもを連れてくるに決まっている。4歳になるその子は、僕に『あのときはごめんなさい』と素直に謝りました。もういいよ、気にしなくてと言い、3人でお好み焼き屋さんに行ったんです」

バツイチじゃなくて、既婚男性と…

 勇斗さんがへらを使って器用に作るのを見て、優美さんもその息子も歓声を上げた。勇斗さんは高校時代、よく近所のお好み焼き屋へ友人たちと出かけていた。彼はお好み焼きやもんじゃを作るのが大好きだった。せっせと作ってみんなが食べてくれるのがうれしかったのだ。

「このときもそうでした。優美はいちいち、上手ですね、こんなにきれいに焼けるなんてと言ってくれた。彼女はシングルマザーでした。子供の成長だけが楽しみだと目を細めて。食事が終わり、タクシーでふたりを送っていったんですが、途中で息子が熟睡しちゃって。彼女のアパートに着き、息子を抱いて降りると、コーヒーでも飲んでいきませんかと優美に誘われました」

 息子はすぐに眠り、ふたりはコーヒーを飲みながら自分の状況をそれぞれに話した。優美さんは「私はバツイチじゃなくて、既婚男性と関係をもってこの子を生んだの。彼のことが大好きだったから。でも妊娠を知って彼は逃げた」と告白した。勇斗さんは「不倫の子」だった父親を思い出した。なんだか縁があるなと父のことも話し、ふたりの距離はぐっと縮まった。

アットホームな「結婚式」

 それから時間をやりくりしては会うようになった。息子を巻き込むと、ふたりの関係がうまくいかなかったときに傷つけるだけだ。息子が眠っている間や、優美さんのママ友が預かってくれるときしか会えなかったが、お互いを知るために努力を惜しまなかった。

 5年の歳月を経て、ようやく結婚の意志が固まった。互いに人間関係が狭かったことや優美さんの過去を考えると、大々的な結婚式をおこなうことははばかられたため、ふたりにとって大事な人たちを少人数招いて食事会をしようということになった。

「アットホームないい会になりました。僕のほうは高校時代、料理学校時代の友人と職場の親しい人たち、彼女はやはり昔の友人と職場の人たち。親きょうだいとの縁も切れているらしくて。全部集めても20人にもならなかったけど、信頼できる人たちに囲まれてうれしかった」

 みんなの前で婚姻届を書いた。すっかり勇斗さんに懐いた9歳の息子が、「いいかげん、結婚しなよと、僕がふたりの背中を押したんです」とスピーチをして場内はなごやかな笑いに包まれた。

「それから息子が中学を出るまでは幸せな日々が続きました。彼が高校に入る前に、家族で旅行したいなとふと思ったんです。僕は海外に行ったこともなかったから、妻と息子にサプライズでハワイ旅行でもプレゼントしようと考え、まずは自分のパスポートを作ることにした」

ところが…

 戸籍謄本をとってみたら、勇斗さんの戸籍に結婚の記載がなかった。確か婚姻届は優美さんが出してくれたはずだった。その晩、彼は妻にどういうことなのかと聞いた。妻は泣きながら、不倫をして息子を産んだのは事実だが、当時、自分はすでに結婚していたと話した。それが原因で家を出たのだが、夫は離婚に応じてくれず、不倫相手には逃げられたというのが真実だった。

「だからあなたとの婚姻届は出せなかったと。彼女と真剣につきあって5年、結婚して6年。オレはずっと騙されていたのか……。『こんなに長く生活しているのだから、結婚しているのも同じことでしょう』と彼女はしれっといいました。騙されていた僕の気持ちはどうなるというと、騙していたわけではないって。でも僕はショックが大きくて。優美は『あなたも浮気くらいしてもいいから』ともいいました。彼女の倫理観がわからなくなった。人はそんなに簡単に浮気なんかしないよ、きみの価値観はおかしい、愛をなんだと思ってるんだと僕は怒鳴ってしまいました」

 そう言いながら、彼は「オレに愛なんてわかるはずもないのに」と心の中で自分を嘲っていた。だが直感として、信じていた愛が穢されたという思いは強かったという。優美さんにも彼が本心から怒っていることは伝わった。「ごめんね。私たち、出ていくわ」とつぶやいた。

「彼女たちに出て行かれたら僕の生活はどうなるんだ、これまで家族のためにと思ってがんばってきたのに。そう思うと出て行かれたくなかった。だからといって、今までと同じように生活できるとも思えなかった。その場ではなにも考えられず、家を飛び出しました」

ふと目に入った看板に

 飛び出して歩き始めたのはいいが、行くあてなどなかった。実家もなければきょうだいも親戚もいないのだ。つくづく自分が孤独だと感じながら夜風に吹かれた。

 その日は駅近くのビジネスホテルに泊まった。翌日、早番で仕事へ行き、どうしても帰宅するのがおっくうになっているところへ遅番がひとり急病だと連絡があったので代わりにシフトに入った。深夜まで働き、職場近くのカプセルホテルに泊まった。

「次の日、息子から電話がかかってきた。職場近くまで来たので会えないかって。会って話すと、息子は『おかあさんを許してやってほしい』って。『あの人は愚かものだけど、おとうさんへの気持ちは本物だと思う』と。彼が小さいころから優美は、たびたび浮気していたようです。もともと浮気者で、戸籍上の父親もそれがわかっていたはず。息子は『でも僕のことは自分の子だと信じていたみたいで、そうではないとわかったとき父親の忍耐が限界に来た。でも父はまだいつかおかあさんが自分のもとに戻ってくると信じている』と言っていました。ただ、優美は、僕が帰ってくることはないと息子に告げていた。オレはきみと本当の親子になりたかったよといいました。息子はうれしそうに『オレは本当の親子だと思ってるよ』とニコッと笑った。その笑顔に負けて、明日には帰るよと言うしかなかった」

 その日、疲れた体と心を引きずってまた深夜まで働いた。カプセルホテルに泊まろうと歩いていると、風俗店の看板が目に入った。呼び寄せられるように店内に滑り込んだ。

 風俗は初めてではなかったが、優美さんと知り合ってからは疎遠になっていた。だがその日は、どうしても人肌が恋しかった。

「なにもしなくていいからずっと手を握っていてほしいと女の子に頼みました。そのまま30分くらい僕は寝てしまったみたいで、目覚めるとその子は律儀に手を握っていてくれた。サービスを受けて、身も心も少しすっきりして、ようやく自宅に帰る気になりました。こうやって自分を慰めつつ、生きていくのも可能なんだなと思った」

なじみの女性は作らない

 未明に帰宅すると、トイレに行こうとしていた息子と鉢合わせした。「おとうさん、ありがとう」と息子はいった。息子は彼が帰るまでまんじりともしていなかったのかもしれない。

「生まれて初めて、オレはこの子を大事にしたいと思いました。こいつだけは傷つけたくない、と。優美のことはよくわからない。というか大人の考えることは裏表がある。でも息子だけは、まあ、結局、本当の息子じゃないんだけど、それでも彼のいうことには嘘がないと思える。一緒にいられるのはあと数年かもしれないけど、彼とともに僕も大人になろう。そう思ったんです」

 優美さんに心許したわけではないが、3人の生活は今も続いている。優美さんは特に卑屈になることもなく、淡々と生活し、淡々と勇斗さんにも話しかけてくる。メンタルの強い優美さんに負けて、勇斗さんも少しずつ話をするようにはなった。ただ、優美さんに離婚の意志があるかないかはわからない。離婚するために夫に連絡をとるのが嫌なのかもしれないが、真相はわからない。

 悶々とすると、勇斗さんははときどき息抜きに風俗に通う。なじみの女性は作らないのが彼の中での義理立てのようなものだという。息子が大きくなって独立したらどうなるかはわからない。

「自分が何を大事にして、なにに我慢ができず、なにを許せるのか。ようやくそういうことがわかってきたんです。遅いけど、このあたりが僕の精神的な人生のスタートなのかもしれない。そんな気がしています」

“普通の生活”も“まっとうな人生”も、なにが基準なのかはわからない。ただ、勇斗さんはようやく、無意識に封印していた心や感情を自ら動かし始めたのかもしれない。
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 40歳にして「自身」を開放し始めたともいえる勇斗さん。彼の心を閉じ込めるに至った「妙な育ち方」を送った幼少時代については【前編】で紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部