※写真はイメージです(写真: sasaki106 /PIXTA )

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、3浪を経てモナッシュ大学マレーシア校に合格したヤギさん(仮名)にお話を伺いました。

著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。

4姉妹で唯一大学に進めないのがつらかった


この連載の一覧はこちら

今回お話を伺ったヤギさん(仮名)は、3浪を経てオーストラリアのモナッシュ大学の分校である、マレーシア校に合格しました。

早稲田大学の商学部を目指して浪人をしていた彼女は、どこにも合格できず、周囲には2浪することを反対されました。

4姉妹の中で唯一大学に進学できないことがつらかった彼女は、3浪目で海外の大学へ目を向けるようになります。

日本の大学を諦めてアルバイトを重ねた彼女は、どのようにして海外大学への道を切り拓いたのでしょうか。

ヤギさんは1997年、茨城県で4姉妹の末っ子として生まれました。父親は機械系の営業、母親は介護系の仕事と、両親共働きでした。

「勉強は得意ではなく、放課後は友達と遊ぶことが多かったですね。小学校の成績は体育だけ5で、ほかはほとんど3でした」

中学受験はせず、公立小学校からそのまま地元の公立中学校に進んだヤギさん。小学6年生から地元の個人塾に通いはじめたおかげで、成績はオール4程度になり、90人中20〜30番台を確保できるようになりました。

高校受験では12月まで県立と私立を受けようか迷っていたものの、最終的には常総学院高等学校のαコース(現:特進選抜コース)一本に絞りました。

「入学金や授業料の免除といった金銭的な部分や、姉2人も常総に通っていたので、私自身も常総を受験しました」

こうしてヤギさんは常総学院高等学校に合格。幸い、中学の成績と当日の試験の結果がよかったため、当初の目論見通り、入学金全額と授業料1年分の免除がかないました。

浪人を覚悟していた現役時代

常総学院高等学校は、同級生が500人いるマンモス校。αコースは、上位国公立大学や上位私立大学を目指す人が60人いるコースでした。

αコースで2クラスあるうち、下のほうに入ったヤギさんは、最初の模試で30人中27位を取ってしまいました。

「私よりも勉強ができる人が多かったので驚きました。出された宿題はこなしていたのですが、私がいたコースは毎日17〜18時まで勉強しなければならなかったので、その反動で家に帰ってからは勉強をしたくなくなりました。当時は、ディズニー・チャンネルを見ることくらいが趣味で、将来の夢や、やりたいことはあまりありませんでした」

そんなヤギさんが志望校を決めたのは高校3年生の夏。さまざまな大学のオープンキャンパスに行く中で、雰囲気がよかった横浜市立大学を志望しました。

しかし、模試の判定はよくてD。センター試験も6割程度にとどまり、河合塾のセンターリサーチでは横浜市立大学はE判定でした。

「滑り止めは受けず、横浜市立大学のみに出願しましたが、試験前から『今年は厳しいかもしれない、浪人することになるだろう』と感じていました」

こうして横浜市立大学に落ちたヤギさんは、浪人を決意します。浪人した理由を聞いてみると、「3人の姉が大学に行っていたから、自分も行って卒業するものだと思っていた」と話してくれました。

「積極的に『浪人したい』と思ったというよりは、受験を失敗したから浪人するしかないよねという感じでした。1浪していた姉もいたので、浪人してでもいいから大学には入ろうと思っていました」

河合塾柏校に入ったヤギさんは、チューターに「私立に絞れば、1年あればいいところに行ける」と聞いたこともあり、私立大学の商学部・経営学部を第1志望にします。

1浪して早稲田を狙うも全滅

「朝8時に家を出て9時の授業前には予備校に到着し、21時まで予備校にいました。この年はとにかく勉強勉強!という感じでした」

こうして猛勉強のかいもあり、英語と国語の偏差値は60を超えるようになったヤギさん。しかし、苦手だった世界史はなかなか伸びず、対策に時間をかけたものの、偏差値50を少し超えるのがやっとでした。結局、世界史が十分に伸びないまま、1浪目の受験に突入しました。

「後から考えたら、効率のいい勉強ができていませんでした。予備校にいることと、ノートをきれいにまとめることに満足していて、内容が頭に入っていなかったのです。それでも、親に1浪の後はないと言われていましたし、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)は判定もよかったので、自分でも2浪をすることは絶対にないと思っていました」 

早稲田の商学部を第1志望に、明治大学の商学部、法政大学の経営学部も受けたヤギさん。しかし、残念ながら結果は全滅でした。

「手応え的には『明治か法政はいけたかな?』という感じはありました。でも結果を見たらダメで、それからはどうしよう……と途方にくれました。家族にも『1浪してダメならもう無理だよ、働いたほうがいいよ』と言われたのですが、1人だけ大学に行けないのがとても悔しくて、諦められませんでした」

反対する家族の中で唯一、ヤギさんを応援してくれたのが、1浪を経験していた2番目の姉でした。周囲が浪人を反対する中、1人だけ自分を支えてくれた姉の存在は、当時のヤギさんにとっては大きな心の支えでした。

そんな姉は、彼女にまさかの選択肢を勧めます。

「『そんなに大学で勉強したいなら、海外の大学に行くのも1つの方法じゃない?』と助言してくれました。私が商学部や経営学部を受験しようと思ったのも、ディズニー・チャンネルで放映されていた『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』を小さいころから見ていて、英語でビジネスを学びたいと思ったのが大きなきっかけでした。

そこで初めて、海外の学校に対する憧れを抱き、留学したいと強く思いました。もちろん親に話したら猛反対だったのですが、諦めたくなかったので、アルバイトでお金を稼ぎながら、海外大学をリサーチして、親を説得し続けていました」

両親を説得し続けた2〜3浪目

2浪目の春から、彼女は東京駅・上野駅の和食屋で昼12時〜21時までアルバイトを始めます。海外への留学費用を貯めながら、英語で接客をしてアウトプットをすることが狙いでした。

帰りの電車では、疲れて何もできなかったものの、通勤の往路の朝9時〜11時の間にも、電車で留学で使うIELTSの単語帳・参考書をひたすらやり込みました。


お金を貯めるためシェアハウスに住んでいたヤギさん(写真:ヤギさん提供)

アルバイトと英語の勉強を並行しつつ、根気強く海外大学のことを調べ続けたヤギさんは、パワーポイントを作っては定期的に親にプレゼンをしていたそうです。

なかなか許してもらえないまま1年が経過しましたが、3浪目の秋ごろ、ついにある大学への進学許可が出ます。それが、オーストラリアにあるモナッシュ大学の、マレーシア分校のビジネス学部でした。

「両親は『あなただけ姉よりも費用がかかるところには行かせられない』と思っていたようで、両親に納得してもらうには、費用面がいちばんのネックでした。

ビジネスを学ぶにはオーストラリアのモナッシュ大学がとてもいいところだと思ったのですが、当時、日本円で年間360万円ほどかかるので難しいと思っていました。

ただ、マレーシアの分校はオーストラリアと同じ水準の教育を受けられるのに、学費はオーストラリアの3分の1で、卒業も3年でできると知ったのです。すでに1年分くらいの学費をアルバイトで稼いでいましたし、年間の学費が日本の私大と同じくらいで授業料も安くなるということをプレゼンしたら、なんとか進学を許してもらいました」

1年間、勉強とアルバイトを続けながら自分に合った海外大学を探し続けた結果、ヤギさんはついに両親の了承を得ることができました。

大学に進学する許可は得られたが…

しかし、まだヤギさんにとっては大学に進学する許可が得られただけ。大学に進学するためにはもちろん、大学が求める学力水準を満たす必要がありました。

モナッシュ大学マレーシア校に入るには、IELTSのスコアが平均で6.5以上(4科目でもそれぞれ6.0以上)必要でした。

ただし、大学が基準とする数値に届かない人でも、「MEB」と呼ばれる大学附属の語学学校に入学して20週間授業を受け、4技能を問う独自試験に合格すれば、本課程に進学できる仕組みもあります(※現在は名称やコースなどが異なります)。

年2回入学時期のあるこの語学学校では、IELTSのスコアが平均5.5以上、4科目ではそれぞれ最低5.0以上と本課程よりも基準は下がります。

語学学校に入ろうと思っても、スピーキングのスコアが4.0までしか取れなかったヤギさんは最初こそ苦戦したそうですが、海外大学に行くことを決めてからは対策に集中できました。

「海外のお客さんの接客だけでなく、時間があるときには一人で英語をつぶやいてみたり、姉の彼氏のアメリカ人とたくさんしゃべることで対策を頑張りました。マレーシアに行くことを決めてから半年間、スピーキングを中心に頑張ったかいがあって、なんとか年明けの試験でギリギリ5.0をクリアして、語学学校に入学しました」

こうして3浪を経て2019年3月、日本円にして学費40万円程度の語学学校「MEB」に入学したヤギさんは、ついに海外で目標に向けた勉強を開始することができました。

語学学校のクラスには30人いて、日本人は3人。午前中のみで、リスニングの日、ライティングの日、スピーキングの日と、日によって課題が違ったそうです。

「やっとマレーシアに来ることができてうれしかったです。自分の英語力を伸ばすことができるチャンスだと思いました。ただ、私は英語ができるほうだと思っていたのですが、入ってすぐに『日本で英語ができる』と、『海外で英語ができる』はまったく違うのだなと痛感しました。特にスピーキングは本当にできなくて、本課程に入るためのテストの前まで『大丈夫?』と先生に心配されていました」

直前まで不安な気持ちを抱えて試験に臨んだものの、今までの努力の日々が実り、独自の4技能試験に合格したヤギさんは、2019年7月にモナッシュ大学マレーシア校の本課程であるビジネス学部へ入学しました。


モナッシュ大学マレーシア校に合格したヤギさん。写真右側(写真:ヤギさん提供)

3浪を経てモナッシュ大学マレーシア校に無事合格したヤギさん。浪人してよかったことを尋ねると、「浪人する前よりも知識が増えたこと」、頑張れた理由については、「大学生になりたかったから」と答えてくれました。

「私は留学するまでの数年が人生最大の挫折でした。周りの友達や家族も大学に行っているのが当たり前だったので、私も周囲の子のようにどうしても大学生になりたいという気持ちがありました。支えてくれた姉の後押しがあったから、1人でも信用してくれる人がいるから、そのために頑張りたいと思えました」

お金持ちでなくても留学できる

大学1年目は、経済や会計を中心に多くの授業を受講したヤギさん。2年次からは新型コロナウイルスの流行で日本へ帰国し、オンライン授業に切り替わりました。それでも地道にマーケティングとデータ分析に重点を置いて学び続け、2022年に卒業しました。


大学でのマーケティングチームのプレゼンの写真(写真:ヤギさん提供)

卒業後は、学んだ知識を生かし、海外のクライアントを対象とする日本の情報通信系企業で働いています。

「マレーシアの授業では、レクチャーを受けた後、自分たちで問題を解き、その解き方や考え方について議論する環境が整っていました。自ら考える機会が多く、主体的に学ぶ力が養われたと思います。また、現地で出会った人々もフレンドリーな方ばかりで、交友関係も広がり、留学して本当によかったと感じています。

海外留学は『お金持ちしかできない』と思われがちですが、私は4姉妹の末っ子で、両親も共働きでした。金銭的な余裕がなくても、大学進学の選択肢として留学があることを知ってもらえたらうれしいです」

大学受験の挫折、金銭面の障壁を乗り越えて、進学をかなえ、今前向きに社会人人生を送っているヤギさんの人生からは、どんな状況に追い込まれても、情報を得てそれを活用すれば、乗り越えられるということを教えてくれました。

ヤギさんの浪人生活の教訓:金銭的余裕がなくても、情報を得て活用すれば、海外の大学にも行くことができる

(濱井 正吾 : 教育系ライター)