2011年の韓国戦、北朝鮮戦を振り返った李氏。前者は先発、後者は85分からプレーした。写真:田中研治(サッカーダイジェスト写真部)

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【不屈のストライカー特別インタビュー(5回/全10回)】

 不屈の闘志で成り上がり、その左足で光と影を目定めた李忠成。ユニホームを脱いだ2023年9月からは新たなステージで挑戦を続けている。特別インタビューで胸の内に迫った。

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 在日韓国人4世の李氏は、FC東京U-18からトップチームに昇格したプロ1年目の2004年、U-19韓国代表候補のトレーニングキャンプに参加した。しかし「日本と韓国の文化の差を肌で感じました。僕は朝鮮学校出身で、朝鮮半島のアイデンティティがあるなかで、現地に行ってみたら『どっちの国でもない存在に自分はいるんだな』と気付いた」という。

 そこで「じゃあ僕は何人だ」と考えた時に、「日本生まれ日本育ち、4世だし、日本のためにサッカーをして、貢献できればいい」という答えを導き出し、日本への帰化に至った。

 イ・チュンソンからリ・タダナリに名前を変えたストライカーは、日の丸を背負って北京五輪に出場。さらにアジアカップ決勝では、自慢の左足でスーパーボレーを炸裂させ、ザックジャパンを優勝に導くゴールを奪ってみせた。

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 鮮烈なアジアカップでの活躍から約半年後の2011年8月。札幌ドームで行なわれたキリンカップで、李氏はルーツを持つ韓国の代表チームとも顔を合わせていた。

 訊けば、特別な思いは「もちろんあった」が、大前提として「日本代表に残るため」という考えが強くあったようだ。

「アジアカップのボレーシュートの時もそうだし、韓国戦の時も『この試合でゴールを取る』と。スタメンでもありましたし、自分が出たことによってチームがどう変化するのか、『目に見える変化を見せなきゃいけない』という、サッカー選手としての気持ちで臨みました。

 あとは『李が韓国代表じゃなくて日本代表で出てる』『今はグローバルな世界になってるんだ』って、色んな人たちに勇気や元気、可能性を見せたかったです。そのためにはやっぱり活躍しなければ、かっこよくなければ、希望を見せられないので、プレパフォーマンスもしっかりしなければいけないと思っていました」
 韓国戦からさらに3か月後には平壌に遠征し、ブラジル・ワールドカップ予選で北朝鮮代表と対戦した。「変わったことはありましたか?」という問いに「めちゃくちゃありましたよ!」と笑みを浮かべて答えた李氏は、当時をまず、こう振り返ってくれた。

「僕は朝鮮学校に行っていたので、朝鮮の重要建造物とかを教科書で見ていました。それを(向こうの人が)バスから見せてくれるんですよ。みんな『もう長いよ』みたいな感じなんですけど、僕はキラキラした目で見ていて、『本物だ!』みたいな。その記憶がすごくあります。

 それで夜中にホテルに着いて、食事をとろうって時に、みんな『怖い怖い』って言ってたんですけど、『仕方ない』って食べたら、『美味い美味い』って。めちゃくちゃ美味しかったです」

 非常に興味深いのは、ホテル内の環境だ。「全面鏡張りで本当ラブホテルみたいな感じです(笑)。鏡がぶわーってあって、どこを見ても自分の顔が映ってる」異様な部屋に、たった1人でいるのは、とても耐えられなかったようだ。

 
「日本代表のマネージャーは『お前ら変なことするな』と。『カメラが1個あったら隅々まで見られてるから変なことはするな』と。変なことできようがないんですけど。その注意も聞いて、自分の部屋に上がっていった時に長廊下があって、長廊下の奥に2部屋2部屋の、1フロアに4部屋なんですよ。真ん中にエレベーターがあって、チーンって降りた瞬間に、拳銃を持った軍隊がメタルギアソリッドみたいな感じで歩いてるんです。

『うわ、こわ!』と思って。で、部屋に入ったらガラス張りじゃないですか。寝ようと思っても寝れなくて。もしも入ってきたら怖いと。テレビをつけたら戦争の映画をやってるし、怖いと思って寝れなくて。『これは1人じゃ寝れないから、誰かと一緒に寝よう』と。『誰にしようかな』って思った時に、喧嘩が強い人がいいなと。それも年下より年上の方がいいなと思って。川島永嗣、栗原勇蔵、この2択だったんです。

 うわ、どっち…永嗣さんより多分、勇蔵さんの方が強いなと思って勇蔵さんの部屋に行って、コンコンってやって、勇蔵さんはもう寝そうだったんですけど、『勇蔵くん!ちょっと怖いから寝させて』って言って。ベッドちっちゃいんですけど、あんなクマみたいな人と3日間ずっと一緒に寝てましたから。勇蔵くんがいなかったら寝れなかったですね。『お前、あっち行けよ!』って言われても『怖いから無理!』って(笑)」

 北朝鮮での強烈エピソードはまだまだありそうだったが、時間の関係でこれ以上は深堀りできなかった。また機会があれば、ぜひ話を伺いたい。合わせて、ザックジャパン屈指の武闘派、栗原氏の口からも“平壌の夜”を聞きたいところだ。

取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)