伊藤 豊(いとう・ゆたか)/金融庁監督局長。1989年東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。大蔵省銀行局、財務省秘書課長、金融庁総合政策局審議官などを経て、2022年6月から現職(撮影:梅谷秀司)

相次ぐ法令違反の発覚や内需の縮小によって転換点に立たされている損保・生保業界。『週刊東洋経済』1月25日号の第1特集は「保険 異常事態」だ。悪しき慣習から脱却し本当に変革できるのか。業界大手トップへのインタビューをはじめとして、業界の最新動向に迫った。本記事では、金融庁の伊藤監督局長に、不祥事が後を絶たない保険業界の根本的な問題点について聞いた。

差別化の余地はいくらでもある


──損害保険業界で不正問題が続発する背景や構造要因について、監督官庁としてどう捉えていますか。

トップライン重視の経営やコンプライアンス(法令順守)意識の欠如、顧客軽視の姿勢などが複合的に絡み合って起きている問題だ。また業界の慣習として、競争が商品の差別化ではなく、乗り合い代理店への便宜供与などに向かってしまっていたこともある。

──商品の差別化については、そもそも保険商品は金融庁の認可制であり、すぐ他社にキャッチアップされやすい仕組みになっているため難しいという声を、保険会社からよく聞きます。

保険の自由化前に同一商品、同一価格で提供していたことの影響なのか、楽をしようと考えているのかよくわからないが、商品を差別化できないと思い込んでいるのではないか。

商品だけでなく、付随するサービスやアフターフォローなどを総合して価値を提供するのが、保険会社の役割だ。差別化の余地はいくらでもある。保険以外の便宜供与で勝負するのであれば、もはやそれは保険会社ではない。

代理店から「その保険をぜひ売らしてくれ」と言われるぐらいの優位性のある商品を開発してみてほしいが、そういう気概はなく、時に便宜供与に熱を上げ、果ては保険金の不正請求を見逃すという事態まで起きた。

大規模な乗り合い代理店の歓心を買う商売のやり方をしたからこそ、保険料のカルテルにつながっていった面もある。

われわれが設置した有識者会議や金融審議会でもさんざん議論したが、そうした保険会社と代理店のもたれ合いの構図が、代理店の自立やリスク管理能力の高度化を阻害していた部分もある。業界全体がそうした悪循環に陥っているのではないか。徹底的に意識改革をして変わってもらわなければ、またぞろ元に戻るリスクがある。

モニタリング部隊を増員

──監督責任がある金融庁としては、モニタリングをどう見直していきますか。

大規模な乗り合い代理店に対するモニタリングを強化する。保険会社には代理店を指導・監督することが求められるが、大規模代理店に対しては取引シェアなどがちらついて、機能しにくくなる側面がある。

──モニタリングの強化に向けて部隊を増員するのですか。

今後増員していく。金融庁として保険会社、代理店の監督のあり方を見直し、変えていかなければいけない。

──今回の金融審では、代理店を監督する自主規制機関の設置については見送りになりました。

自主規制機関を設置すればすべてが解決するわけではない。金融監督当局として、すぐには新たな体制整備ができないという中で、代理店への監督・指導をどう実効的に高めていくかが問われていると考えている。

──金融審の報告書にある比較推奨販売ルールの見直しについて。運用方法の詳細は監督指針で決めていく形ですが、顧客の意向がない、または「代理店に任せる」といったケースに目をつけ、その場合は特定の1社の保険商品を推奨してもよいというような、規制の抜け穴をつくろうと画策する動きが代理店側にあると聞きます。

保険業法施行規則で、代理店の都合で特定の1社の推奨を可能にしている)比較推奨販売におけるハ方式というのはなくす。代理店独自の事情で特定の1社だけを推奨することは、できなくする。

そもそも顧客の意向がないなどというケースが、本当にありえるのか。保険料が高くてもサービスが充実しているほうがいいか、サービス内容はある程度落ちるが保険料が安いほうがいいかなど、ヒアリングの仕方で意向はいくらでも明確にできるはずだ。

商品を比較する知識が顧客に薄いのであれば、どういうメルクマールがあるか顧客に提示することぐらいは、あってしかるべきではないか。

──顧客の意向がなかったと代理店が装って、自分たちに都合のよい保険会社の商品を引き続き顧客に推奨することも考えられます。

「意向把握手続きの負担が重すぎる」という代理店の声は聞いているが、最低限のヒアリングまで省略してしまうのでは、比較推奨販売をしたことにならない。

ましてや意向確認の証跡を残すときに、顧客の意向がなかったと代理店が勝手に装うというのは、明らかに虚偽の記録をしていることになり、許されるものではない。

問われる業界の倫理観

──比較推奨販売ルールの見直しをはじめとして、金融審の報告書は「最後の詰めは監督指針でよろしく」と、監督局にバトンパスされた項目がかなり多かったように思います。

知恵を絞った、やや創造的な監督指針の改正が必要になるかもしれない。企業内代理店や保険仲立ち人制度の見直しをはじめとして、金融審での議論をベースに、しっかりと腰を据えて設計していく方針だ。

──2度にわたって報告徴求命令を出した情報漏洩問題について。契約者情報の漏洩だけではなく、競合他社の引受基準規定集や出向している銀行の預金者リストといった機密情報の漏洩もあると、取材の中で聞いています。出向者などが思考停止で漏洩しているケースもあって、倫理観が崩壊しているように映ります。

情報漏洩の問題は法令違反の最たるものだが、法令違反とも思わずに違反しているというのが、いちばんたちが悪い。損保からの報告を精査している段階だが、調査の深度にばらつきがあり、実態把握にもう少し時間がかかりそうだ。

──金融業界を見渡すと、損保の不正事案に加えて、金融庁に出向していた元裁判官によるインサイダー事件や、三菱UFJ銀行元行員の貸金庫事件、野村証券元社員の強盗殺人未遂事件など、大きな不祥事が相次いでいます。業界全体が弛緩しているのでしょうか。

それぞれまったく性質の異なる不祥事案だが、投資への意識が強まり、日本の金融市場が盛り上がり始めている状況下で、その担い手である金融機関やわれわれ金融庁が、信用を失うような事態を引き起こすというのは、本当にダメージが大きい。

金融は信用を前提にしたビジネスなので、不祥事につながる予兆を検知し、早期に是正される環境を整えたうえで、一歩ずつ信用を取り戻していかなければいけない。

(中村 正毅 : 東洋経済 記者)